第8話 服を買いましょう
レイナの作ったシチューは美味であり、お代わりまであった。
クラエルとレイナは二杯ずつシチューを平らげて、昼食を終えた。
「午後からですけど、必要な物を買い出しに行きましょう」
食事を終えて落ち着いたタイミングで、クラエルがそんなことを切り出した。
「これからレイナさんが神殿で暮らしていくにあたって、必要な物が色々とあると思います。それらを買い出しに行きましょう」
「わ、私のためにそんな、買っていただくことはないと思いますけど……」
「私が買いたいんですよ。神殿を綺麗に掃除してくれて、お昼まで作ってくれたんです。御礼をさせてください」
「…………はい」
レイナが照れた様子で頬を染めて、コクリと頷いた。
「それじゃあ、この服に着替えてください」
「これは……?」
「先ほど、出かけた帰りに買ってきた物です。たぶん、サイズは合っていると思うんですけど」
クラエルが鞄から女児用の服を取り出した。
買い出しに行くにしても着ていく服が必要なので、帰り道に露店で売っていたのを買ってきたのだ。
あくまでも間に合わせとして買ってきた服なので、特にオシャレなものではない。無地のワンピースである。
「それに着替えてください。着替え終わったら、買い出しに行きましょう」
「私の服……司祭様が買ってくれた服……」
レイナが差し出された服を抱きしめる。
「ありがとうございます……服を買ってもらうだなんて、お母さんがいなくなってから初めてです……!」
「そ、そうですか……」
「嬉しいです……!」
「…………」
そこまで感動されると、もっと良い服を買ってきてあげた方が良かったのではないかと罪悪感が芽生えてきた。
買い出しの時に改めてちゃんとした服を買おうと思っていたので、適当に選んでしまったのが悔やまれる。
「それじゃあ、着替えますね」
「ッ……!?」
レイナが着ていたシャツを脱いだ。
すっぽんぽんの幼女が現れる。
クラエルは慌てて視線をそらし、レイナの裸を見ないようにした。
「あー……次からは部屋で着替えるようにしてください。いくら僕しかいないからといって、はしたないですよ」
「あ、ごめんなさい……気をつけます……」
「わかればよろしい。それじゃあ、そのシャツはこっちで……」
「私が洗濯しておきますねっ」
貸していたシャツを返してもらおうと手を伸ばすが、レイナが素早くそれを背中の後ろに隠してしまう。
「私が洗濯しておきますねっ!」
「あ……はい……よろしくお願いします……?」
さっきと同じセリフをさらに強い語尾で言われて、クラエルは首を傾げながらも任せることにした。
すると、レイナは何故か嬉しそうにシャツを抱きしめて、どこかに持っていってしまう。
「それじゃあ、お出かけしましょう。司祭様っ」
「はい、行きましょうか」
レイナがシャツをどこに持っていってしまったのかは気になるが……それはともかくとして、買い出しに出ることにしよう。
クラエルはレイナを伴って神殿から出て、市場へと足を向けた。
二人が暮らしている町は『エッグベル』という名前の地方都市であり、王都から見て東の辺境にある。
王都に比べるとずっとずっと小さい田舎町だが、それでも近隣ではもっとも大きな町であり、三千人ほどの人達が生活をしていた。
「おや? 司祭様、その子は誰だい?」
近所の顔見知りが声をかけてきた。
買い物かごを片手にした中年女性が不思議そうに首を傾げる。
「こんにちは、ロッテルさん。彼女は見習いのシスターですよ。昨日から神殿に住み込みで修業をしています」
クラエルが落ち着いた笑顔で挨拶をする。
その中年女性はロッテル夫人。神殿のすぐ傍の家に住んでいる主婦だ。
レイナがクラエルの背中に隠れながら、おずおずと挨拶をする。
「こ、こんにちは……レイナです……」
「こんにちは。レイナちゃん、まだ小さいのに神殿で修行だなんて大変ねえ」
「は、はい……えっと……」
「この子は家庭の事情で引き取ったんですよ……この子の父親があまり尊敬できる人間ではなかったらしくて」
「ああ……そうなの……」
ロッテル夫人が同情したような顔になる。
ぼかした言葉から、おおよその事情を察したのだろう。
「良ければ、今後も良くしてあげてください。僕は男ですから、女の子のことでわからないことも多いでしょうから」
「ええ、もちろんだよ。何かあったら相談しておくれ」
ロッテル夫人が力強く胸を叩いた。
この恰幅の良い夫人は噂好きでおしゃべりなのが欠点だったが、面倒見が良くて子供好き。信心深くて神殿にも寄付金を収めている。
付き合いが浅いクラエルにも、善人であるとはっきりと分かった。
「よ、よろしくお願いします……」
「よろしくね。まずは髪を切った方が良いわねえ。せっかく可愛い顔しているんだから、服もオシャレしないと」
「服はこれから買いに行くところです。髪は……どうしましょうか?」
「後でアタシが切ってあげるよ。買い物が終わったら、暗くなる前にウチにおいで」
ロッテル夫人がカラカラと笑う。
願ってもない提案である。クラエルが頭を下げた。
「すいません。お願いできますか?」
「ああ、いいよ。レイナちゃんも可愛くなりたいだろう?」
「なりたいです……可愛く……!」
レイナがクラエルの背中から出てきて、前のめりになる。
いつになく強い口調だった。色々と不調法な部分があるが、やはりレイナも女のこと言うことだろう。
「はいよ、それじゃあ待ってるからね」
「はい、失礼します」
「ありがとうございます、失礼します……」
ロッテル夫人と別れて、クラエルとレイナは市場に向かった。
市場には多くの店が立ち並んでおり、行商人が露店などを開いている。
王都の市場のように人で溢れかえるという規模ではないものの、それなりに多くの人間の姿があった。
「レイナさん、迷子にならないように気をつけてください」
「は、はい……」
レイナが不安そうな表情になり、ちらりとクラエルの右手を見た。
何とはなしに言いたいことが伝わってくる。クラエルは手を差し出した。
「良ければ、手をつなぎませんか? はぐれないようにね」
「はいっ!」
レイナが嬉しそうに頷いて、クラエルの手を握ってきた。
小さな手が感触とぬくもりを確かめるように、何度もギュッギュッと力を入れてくる。
この子にもすっかり懐かれたようだ。娘でもできたような気分である。
(十八歳で父親とはな……まあ、不思議と悪い気分ではないが……)
「司祭様、まずは何を買うんですか?」
「最初は服を買いに行きましょう」
「服? 服だったらもう買ってもらいましたけど?」
レイナがワンピースの裾を掴んで、わずかに持ち上げる。
「その服だけでは色々と不便ですからね。ほら、寝間着も必要でしょう?」
「寝間着だったら、司祭様のシャツを頂けたら大丈夫ですよ?」
「いや、それは……」
「とても寝心地が良いです」
レイナが断言するが……出来れば、もう少し声を押さえてもらいたい。
喜んでもらえているのは嬉しいが、『神殿の司祭が幼女に自分の服を着せて喜んでいる』などと噂が立ったら困る。
「……とにかく、色々と見て回りましょう」
「……はい。司祭様がそうおっしゃるのなら」
レイナを連れて、クラエルは手近にあった服屋に行った。
店の規模はそこまで大きくないものの、品ぞろえが良さそうな店だ。子供用の服も売っている。
「いらっしゃいませ……あら、新しい司祭さんじゃないですか」
中年男性の店員が出てくる。
この町に赴任してきた際にも挨拶をして回ったので、会うのは今日が二度目になる。
「今日はお買い物ですか? 服を選ぶのでしたら、
「あ、ははははは……」
クラエルが引きつった笑みを浮かべた。
話し方からわかる通り……この店員はいわゆる『オネエ』というやつである。
年齢は四十前後で筋肉ムキムキ、オールバックの髪で化粧もしているという濃ゆいキャラクターだった。
(信じられねえ……ヒロインが生まれた村にこんなモブキャラが潜んでいるなんて……)
もしかして、自分が知らないだけで何か重要な役割を持っているんじゃないかと思うくらい、キャラクターが立っている。
品揃えが良くて値段も良心的だからこの店に来たが……そうでなければ関わり合いになりたくない人種だった。
「今日はこの子の服を買いに来ました。選んでいただいても良いですか?」
「こ、こんにちは……」
レイナがクラエルの背中から恐々とした様子で顔を出した。
「あらあ、可愛い子じゃないの。司祭様の娘さん……じゃないわよね、妹さんかしら?」
「家庭の事情で神殿に引き取ることになった新米シスターですよ」
「家庭の事情……そうなの」
店主がわずかに表情を曇らせる。
クラエルのわずかな言動から、事情を察したようだった。
「いいわあ、アタシが選んであげる。こっちにおいでなさあい」
「し、司祭様?」
「えっと……大丈夫だと思いますよ。評判の良い店ですから」
『信じられないことに……』と心の中で付け足して、ドナドナのように連れていかれるレイナを見送った。
「お待たせ~」
「も、戻りました……」
数分後。
クラエルの前に天使が現れる。
正確には、天使と
戻ってきたレイナが着ていたのは先ほどとは異なる白色のワンピース。
色こそ同じであるが、レースのリボンや飾りがふんだんにあしらわれており、クラエルが買ったものとは大違いである。
靴も赤いブーツになっており、髪もアップにまとめていた。
まだ栄養が足りずに痩せてはいるものの……どこに出しても恥ずかしくない美少女である。
「これは……驚きましたね。とても可愛いです」
「可愛い、ですか……私が……?」
「ええ、とても似合っていますよ」
「…………!」
レイナが感極まったような笑顔になった。
奥から自信満々の店主が出てくる。
「この子、すごい素材だわあ。何を着せても似合っちゃうんだから」
「そうでしょうね」
「神殿のシスターとして一生を終えるのはもったいない子よ。良いように将来を考えてあげてね?」
「…………」
年上の男性からのアドバイスを受けて、クラエルは頷いた。
言われずとも……レイナの将来は考えている。
神殿のシスターとして終わらせはしない。
いずれは王都の学園に通わせて、ヒロインとして然るべき相手とくっついてもらうつもりだ。
「あの……司祭様。こっちの服も勧めてもらったんですけど、着てみてもいいですか……?」
「ええ、もちろん。是非とも見せてください」
「えへへへ……」
レイナが恥ずかしそうに微笑んで、こんどは赤のワンピースを片手に試着室に入っていくのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます