第5話 毒親と交渉します
翌日、前の日から決めていた通りにクラエルはある場所に向かうことにした。
レイナを残していくことに不安はあるが……彼女は苦労してきたせいか、そこらの子供よりもよっぽどしっかりしている。留守番くらいできるだろう。
「いいですか、絶対に神殿の外に出てはいけませんよ! 誰か来ても鍵を開けてはいけません! 絶対にです!」
「はい、わかりました」
レイナがコクコクと頷いた。
クラエルがここまで強く言い含めるには理由がある。その原因はレイナの格好だった。
レイナが着ているのは、昨日も着ていたボロ雑巾のような服ではない。クラエルが貸したシャツに身を包んでいる。
裸にシャツの少女。年齢は十歳。
もしも神殿にこのような姿の女の子を囲っているところを見られたら、とんでもない誤解をされかねない。
(だってしょうがないじゃないか……神殿に女物の子供服なんて置いてるもんか!)
ここは神殿ということもあり、神官やシスターが着るための服はある。
しかし、レイナにはサイズが合ったものがなく、仕方がなしにクラエルの服を貸すことになったのだ。
「それじゃあ、お留守番をお願いします」
「はい、キッチリお掃除をしておきます」
レイナが箒を握りしめて送り出してくれる。
別に何もしなくて良いからゆっくりしておくように言ったのだが……何か仕事をさせて欲しいと言って聞かなかったので、神殿の掃除をお願いした。
(多分、何か役に立たないと追い出されるかもしれないと思っているんだろうな……)
子供というのは無邪気なものだが……レイナには無邪気でいられる時間と環境が与えられなかったのだろう。
これからクラエルと一緒に暮らすことで、これまで手に入らなかった『子供の時間』を取り戻せると良いのだが。
神殿を出たクラエルは引っ越して日が浅い町を歩いていき、大通りにある目的の場所にやってきた。
「……ここか」
クラエルがやってきたのはこの町にいくつかある商会の一つ……『アウスター商会』である。
レイナの養父母が経営している商会であり、彼女を虐待した人間達がいる伏魔殿。
表向きは生活雑貨を取り扱う良心的な商会ということになっているものの、裏では様々な悪事を働いている。
「フウ……」
クラエルは溜息を一つ吐いてから、商会の店舗に足を踏み入れる。
「失礼いたします」
「ん、アンタは誰だい?」
手近な人間に声をかけると、仕事中の店員が鬱陶しそうに睨んできた。
「今月よりこの町の神殿に赴任してきました。司祭のクラエル・バーンと申します。遅れましたが、挨拶に伺いました。商会長はご在宅ですか?」
「あ、ああ……いるよ、じゃなくて、います。二階に。すぐに呼んできますから、ちょっと待っていてください!」
店員がぞんざいな態度を改めて、奥にある階段を上っていく。
おそらく、『バーン』という家名を知っていたのだろう。
この国でも有数の名家の一つであり、宮廷においてもそれなりの権力を持った侯爵家なのだから。
そうでなくとも、聖職者の不興を買うと商会の評判にひびが入ってしまう。慌てて丁寧な対応に切り替えたようだ。
「これはこれは、バーン司祭様! よくぞお越しくださいました!」
階段の上から降りてきたのは、いかにも裕福そうな恰幅の良い男性である。
神経質そうな顔をしており、頭が薄くてハゲが目立っていた。
(この男がレイナの養父か……ゲームのイラスト以上に腹立つ顔をしてやがるな)
「お噂はかねがね。時間ができたら挨拶に伺おうと思っていたのですが……そちらから来ていただけるとは恐縮ですな」
「初めまして、アウスター商会長殿。お忙しいところを申し訳ありません」
「いやいや、とんでもない! さあ、奥へどうぞ。お茶を淹れさせますので!」
「ごちそうになります」
アウスターに案内されて、クラエルは商会の応接間へと通された。
応接間には高級そうな家具が置かれており、壁にはどこかの戦争のワンシーンを切り取ったと思われる絵画がかけられている。
いずれも贅を尽くしたものだ。いかにも成金親父の部屋である。
フカフカとしたソファに座ると、すぐに女性店員がお茶と菓子を運んできた。
「…………」
仮にも侯爵家の生まれだからわかる。
茶葉も菓子も高級品。庶民には手が出ないような品物だった。
(こんなものを買えるだけの金があるくせに、レイナのことは飢えさせていたのか……)
持て成されているのだろうが……クラエルの心中には不快感しか湧いてこない。
目の前の成金親父を殴り飛ばしてしまいたい衝動を必死に堪える。
「コホン……アウスター商会長殿、今日、
「皆まで言わずとも構いませんよ。どうぞ、こちらをお納めください」
アウスターがたるんだ腹を揺らしながら、上質な刺繡が施された布袋を差し出してきた。
「寄付金です。どうぞ、お納めください」
「…………」
ニコニコと笑うアウスターであったが、神殿に心付けを渡すのは商人として珍しくもないことだった。
もちろん、税金のような義務ではない。あくまで寄付である。
しかし、神殿をないがしろにして信者に悪評が広まれば、それはそのまま商会の信用失墜に繋がってしまう。
(人の
「ありがとうございます。アウスター商会長殿の信仰に感謝いたします」
「いえいえ、とんでもありません」
「しかし……これはお返しいたします。今日は寄付金の件で来たわけではありませんので」
「へ……?」
アウスターがキョトンとした顔になる。
寄付金の無心以外に、神官が商会を訪れる理由が思い浮かばなかったのだろう。
「それでは……何の用事で参られたのですか。まさか本当に挨拶だけで……?」
「実は……昨日、ご息女が神殿に来られました。レイナ嬢です」
「…………!」
アウスターがグシャリと表情を歪めた。
人の好さそうな商人の顔が一瞬だけ、醜悪な表情になる。
アウスターはすぐに顔を取り繕って笑顔に戻った。
「そうですか……娘が。いや、ご迷惑をおかけしませんでしたかな?」
アウスターがやや警戒した様子で揉み手をする。
「あの娘は妾の産んだ子供で躾ができていないもので、屋敷でも色々と面倒を起こしているんですよ。いや、やはり育ちが悪いといけませんな」
「そうですか、それは苦労なされているんですね」
「ええ、それはもう。厳しく
(だから、身体に殴った痕があったのも仕方がないとでも言いたげだな……下種が)
クラエルが苛立ちに奥歯を噛みしめながら、表情だけは笑顔を維持する。
「ご息女が神殿にお祈りに来た際にわかったのですが……どうやら、彼女には神聖魔法の素養があるようです」
「神聖魔法……? あの出来損ない……じゃなくて、レイナにですかな?」
「ええ、いずれは神官として大成なさることでしょう。それで彼女を我が神殿に引き取らせていただきたいのです」
「ムウ……そういう話ですか……」
アウスターが渋面になる。
彼はレイナを奴隷のようにこき使って虐待して、成長したら売り飛ばそうとしていた。
この国では犯罪者に対する刑罰を除いて奴隷の所有が認められていないが、金持ちの後妻や妾、奉公人として子供を売る人間がいるのだ。
「娘は……その、あまり出来も良くないですし、神官になっても当家の恥になるだけでしょうから……その……」
どうにか理由を付けて断ろうとするアウスター。
クラエルは鞄から取り出した包みをアウスターに差し出した。
「こちらは支度金です。どうぞお納めください」
「これは……!」
包みを開いたアウスターが息を呑んだ。
そこに収められていたのは大量の金貨。先ほど、アウスターが差し出した金額の十倍以上もの金が入っていた。
「これほどの額を……本当によろしいのですかな?」
アウスターが探るような目を向けてくる。
おそらく、この男の頭の中では素早くソロバンが弾かれていることだろう。
(ダメ押しだな)
「ええ、問題ありませんよ。僕は何の力もない聖職者ではありますが、実家はそれなりに裕福ですから」
「……バーン侯爵家ですな。なるほど、なるほど。実家とまだ太いパイプがあるということですか」
アウスターが勝手にそんな解釈をする。
実際には、家を出る際に金を受けとってそれきりの間柄。
険悪ではないし、当主になった兄とも仲は良いが……家名を名乗ることが許されているだけで、もはやバーン家と強いつながりはなかった。
しかし、アウスターはそうは思わなかったようである。
王都の大貴族とパイプを持った若い神官に貸しを作り、多額の支度金まで受け取ることができる。
これらの好条件にホクホク顔になって、大きく頷いた。
「我が娘で良ければ、喜んで神殿に奉仕させましょう。どうぞ好きなように使ってください」
「それは良かった……つきましては、こちらの書類にサインを頂けますか?」
「これは……?」
続いて鞄から取り出した書類を差し出すと、アウスターが不思議そうな顔をする。
それはレイナの親権を完全にクラエルに譲り渡し、以後、親としての権利を一切主張しないという誓約書だった。
「親権の完全放棄とは随分と物々しいことですな。どうして、そこまでなさるのかな?」
「レイナ嬢には実家のことを気にせず、しっかりと神聖術を学んで欲しいですからね。他意はありませんよ」
「ああ……なるほど。そういうことですか」
アウスターがニタリと下卑た顔をする。
「……司祭殿も物好きですなあ。あんな鳥の骨のような娘が好みとは。これだけの金があれば、もっと容姿に優れた娘などいくらでも見つかるでしょうに」
ニヤニヤと品のない笑顔を浮かべたアウスターは、クラエルがレイナに対して性的な関係を迫るつもりだと思っているのだろう。
実際、親権を完全に譲渡してしまえば、クラエルがレイナに何をしたとしてもアウスターは口出しできなくなる。
(修行の名目で引き取った娘に性的な関係を迫る生臭坊主もいるからな……俺までそうだと思われたのは不快だが……)
「いいでしょう、それではサインをさせていただきます」
アウスターが書類にサインをして印を押す。
これでレイナは正式にこの男とつながりが切れた。
仮にアウスターが返せと喚いたとしても、応じる義務はない。
「ありがとうございます。必ずや彼女を立派な神官に育てて御覧に入れます」
(その頃には、アンタは檻の中かもしれないがな……)
クラエルは最後まで笑顔を崩すことなく話し合いを終えて、心の中でほくそ笑んだのであった。
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