第4話 ヒロインと寝ます

 夜半。

 町は暗闇に沈んで、人々が寝静まる。

 夜空の中央には月が煌々と照っており、青白く冷たい光を大地に落としている。

 そんな夜闇の世界の片隅。神殿の一室にて、二人の人間が寄り添うようにして眠っていた。


「スー……スー……」


「やれやれ……まあ、こうなるとは思っていたけどな」


 泣き虫な少女を肩までお湯に入れて、初めての入浴を終えた。

 しっかりとお湯で温まったクラエルとレイナは、湯冷めする前にベッドに入ることにした。

 神殿には司祭であるクラエルが一人で暮らしている。当然ながら、ベッドは一つしかない。

 レイナにベッドを譲ろうとしたクラエルであったが……当然のように、レイナはフルフルと首を振って、いつものことだからと床で眠ろうとする。

 年端もいかない少女を冷たい床で寝させられるものか。クラエルは必死になってレイナにベッドを使うよう説得を試みた。


 しばらく押し問答をした結果。

 やはりというか、最終的にクラエルとレイナは一つのベッドで眠ることになってしまった。


「スー……スー……」


 クラエルの腕の中では、レイナが安らかな寝息を立てている。

 安心しきった表情はまるで陽だまりで丸まる猫のようだ。

 いくら食事を与えて風呂に入れてあげたとはいえ、初対面の男に気を許し過ぎだとお説教をしたくなる。


(いや……まあ、仕方がないことなんだろうな……)


 レイナは十歳の子供だ。

 ゲームのヒロインであるとか、聖女であるとか関係ない。

 まだまだ親に甘えたくなるような年頃のはず。

 それなのに母親を亡くして、子供にとって毒にしかならないような父親に引き取られて。

 虐待されながら、必死になって生きてきたのだ。

 レイナにとって、クラエルは物心ついて初めて優しくしてくれた相手なのかもしれない。


「やだよ……いたいの、や……」


 しかし、レイナの顔が不意に歪む。

 怖い夢でも見ているのだろうか……クラエルの服を必死につかんできて、閉ざされた瞳の端から涙が流れる。


「やだ……ひとりは、いや……さびしいよう……いたい、よう……」


「……大丈夫だ。ちゃんと俺がいる」


 クラエルが痛ましそうに目を細めて、レイナの耳に囁きかける。

 うなされているレイナの頭に手を置いて、神聖魔法を発動させた。


「マインドキュア」


 レイナが淡く青い光に包まれた。

 ゲームにおいて『混乱』や『恐怖』といった状態異常を無効化させる魔法をかけると、再びレイナの寝顔に穏やかさが戻ってくる。

 母親の腕に抱かれているかのように安堵の表情になったのを見て、クラエルは胸を撫で下ろす。


「クー……クー……」


「大丈夫。大丈夫だ……君の苦労は必ず報われる」


 イバラを敷き詰めた道を歩くような痛みを味わってきたのだろう。

 どれほど苦しみ、辛い思いをしてきたのかはわからない。

 だけど……もう不幸の時間は終わり。

 これからは落としてきた幸福を拾い集めるような生き方をすればいいのだ。

 美味しい物をお腹いっぱい食べて、ぽかぽかのお風呂に入って、悩みなど一つも持たずに眠りにつけばいい。


「君はきっと幸せになれる。誰もがうらやんで、見蕩れるようなヒロインになれるよ」


 そう……レイナは乙女ゲーム『虹色に煌めく彼方』の主人公なのだ。

 いずれは素敵な男性と出会い、結ばれ、幸福な未来を手にすることが約束されている。

 これまでの不遇な生活が帳消しになるような、黄金色に輝く未来がレイナの歩く道先には広がっているのだ。


(正直、最初は気まぐれだったんだけどな……)


 本来であれば……聖女の存在を大神殿に知らせて、それでクラエルはお役御免のはずだった。

 それ以上、レイナの人生に関わる必要のない人間のはず。

 にもかかわらず、レイナに食事を与えたり入浴させたりしたのは、レイナを大神殿に送ることで不幸にしたくなかったから。

 自分が原因で一人の少女が辛い思いをするのが、堪えられなかったからである。


(だけど……今は違う。俺は君が幸せになるのを見届けたい。心からそう思っている……)


 きっとこれが父性というやつなのだろう。

 クラエルはレイナに幸せな人生を送ってもらいたいと、心の底から思っていた。

 雑草を食べることが、殴られて身体にアザを作ることが、床で眠ることが当たり前の日常であると思っていたレイナを守ってやりたい。

 いつの間にか、そんな気持ちが芽生えている。


(君はいつかヒロインとして世界に羽ばたいていく。その日がやって来るまでは俺が守ってやるよ。だから安心して眠ってくれ……)


「スー……スー……」


 レイナが聖女として巣立つその日まで、必ず守る。

 クラエルは深くそう決意して、瞳を閉じたのであった。

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