第十七話 You'll Be In My Heart
箒専用高速路を飛ばしに飛ばし、首都から遠く離れた場所からさらに郊外へと向かうと、古い洋館がぽつねんと残されている敷地がある。広い庭にガーデニングがされた形跡があるが、無人になって久しいのだろう、枯れた土の上に、近隣の薮から飛んでくる枯葉が乗っているばかりだ。錆びついた柵が折り重なって倒れている。
アメジストは箒を玄関に立てかけると、呼び鈴すらないその家の戸をノックした。ノッカーも当然錆びついていたが、鈍い音は出せた。
「……どうしてここが
「そりゃまあ、大変だったさ。それと、できれば敵意を収めてほしい。ダチュラくんに用があるが、彼を傷つける意図はない」
「彼はいま、どなたにもお会いできる状況じゃありませんわ。
「いや……悪いがこればっかりは伝えさせてもらわなくちゃな。失礼するよ」
不服そうな顔はしていたが、ベラドンナが後を追うことはなかった。静かに戸を閉め、拳をきつく握る。
ダチュラは、古びたソファに横たわっていた。くたびれたスウェット姿で、身じろぎひとつも起こさない。近づいてくるアメジストに一瞥もよこさなかった。包帯で巻いた右目には、未だうっすらと血が滲んでいるが、左目の下は泣き腫らしたような筋ができていた。
「やあ、機嫌は悪くなさそうだな。きみに、見せたいものがあって来たよ。まずはこれ」
白紙のノートと、ペンを取り出す。マジシャンがしてみせるように、あちこち角度を変えて見せて、仕掛けの何も無いことを確認させる。ダチュラは何も言わないし、やはり一瞥もくれない。
「いいかい、いまからここに、私の記憶を写す。嘘でないと証明するために、きみの前で実演することを選んだ。私はきみに、これを伝えるべきだった」
ノートを開き、ペンを置く。白紙のページが光ると、そこにペンが勝手に走り出した。ざらざらとひとしきり走り、それから、止まった。
「こんなのは序の口。さてと……テレビあるかい。ラジオでも構わないが……テレビの方がいいな。あるかな」
ベラドンナが黙ったまま部屋の一角を指差した。古い型のテレビが埃を被って鎮座している。
「ブッ壊れてて、映りませんけど」
「私には関係ない。なぜなら、映せるから」
ノートをテレビに被せる。アメジストはペンを振りかぶり、ノートをテレビに固定するように突き刺した。一連の行動に、ベラドンナは困惑の表情を隠せない。
が――。
「! 嘘、何か映ってる……」
「ダチュラくん。どうか見てくれ。これは私の記憶。かなりはっきりしてると思うよ、忘れたことがないからね……」
しばらく砂嵐がテレビを覆っていたが、徐々にそれが晴れてゆく。映し出される、白黒の景色。天井まで覆い尽くす本棚と、そこから溢れ出るほど大量の本。様々な場所に用意された止まり木。そのうちの一本に白いフクロウがおり、じっと、画面の中の男を見下ろしている。
『頼みますよ、先生。あんたならそれができるのに』
男が話し始める。ダチュラの左目が大きく開かれ、包帯にはまた血滲みが広がる。
テレビの中の男は、額にある大きな傷跡を見せつけるように前髪を分けて、不適に笑っている。
『とんでもない魔法なんだろ? 文筆の魔女なんて呼ばれているんだ、まるで本を書くみたいに、ものごとを自在に書き換えてしまえるとか』
『まあ、そんなところだが。だけどお断りするよ。私は魔法を使うより、本を書いている方が好きな性質でね』
アメジストの声。姿は画面にはない。男は肩をすくめて苦笑する。
『魔女の中でも抜きん出て魔力のある魔女が、こんな簡単なこともできないと言うのか? ちょっと世界を書き換えるだけじゃないか。無魔力者への差別は存在しないってさ』
『煽ったところで無駄だぞ。それにきみの申し出はさすがの私でも持て余す内容だ。お引き取り願おう』
『いや、困るね。もう頼みの綱はあんただけだ』
男は引き下がろうとしない。むしろ、強い意志のある目で、こちらを見つめてくる。
『もう僕は引き下がれない。もはや、退けない。そこまで来てしまった。振り向くこともできない。戯れはこれまで。だからこんなところにまでやってきてしまった。わかるだろ? こんな僕が、あんたに、会いに来る、そのわけが』
『わかるさ。わかるに決まってる。だが私もそんな頼みは聞けない。そういう立場にあるんだ。……本音を話そうか』
『本音?』
『私は、いまの社会の在り方を好ましく思っていない。むしろきみたちと同じ考えだ。やれ無魔力だのなんだのと、それが他者を虐げる理由になんぞなるものか。憤慨している。それを赦す者も、見て見ぬふりをする者も、私からすれば同じだ』
『ならばなぜ!』
『私は力ある魔女だ! そんなのが好き放題に力を振りかざしてみろ! そこに何が残る! そこにきみたちの求めた自由があるのか!?』
男は目を見開いて、ぐっと息を呑んでいるらしい。
『結果は堂々巡りになるだろうさ。占いが得意な友達がいるけど、彼女に頼むまでもなく、わかる。私のような魔女や魔法使いがこぞって競り合う世の中になるだけだ。そして彼らは結局、きみたちを虐げる道を選ぶだろう。なぜかって? 自分が蹴落とされるのが怖くて、下に誰かを置いておかないと気が済まないんだよ。自分に自信がないからな。言ったろ、私はきみたちと同じ考えだと。こんな、馬鹿げた競争社会をやってる魔力持ちの連中なんてのは、どんな世になったって、変わらず存在してしまうんだ。だからな、私の力を貸すことは、できない。きみたちの次の被害者を出さないためだ。わかってくれ、きみは賢い。だから恥を忍んで私に声をかけてきた、そうだろ?』
男はやけに優しい目付きになって、俯いている。
『……はい。本当は、わかっていたから。あなたならそう言うんだろうって、なんとなく予想がついていたから。一縷の望みというのに、賭けてみたかったのもあります。あなたを訪ねて良かった。ありがとう』
『すまない。申し訳ないよ、本当に……私にもう少しヤケになれるだけの胆力があればな。そうしたら喜んできみたちに手を貸していただろうさ』
『駄目ですよ。僕は所詮、ただのテロリスト。あなたは、未来を託された偉大な魔女。それに、僕はろくな死に方をしないでしょうが、その後に残った世界は誰かに託さなくちゃならない。だったらあなたみたいなひとじゃないと』
最初のいやらしい笑みはどこへやら、男はやけにすっきりとした笑顔だ。
『おかげで腹が決まりました。なるべく綺麗な形で、事態を終わらせたい。あの子のために、世の中を少しでも良く変えておきたい。僕がいなくても、あの子が前を向いて生きていける世界にしておきたい』
『なあ、その子と……いっしょにいるために、大人しく捕まっておくってのは、なしか?』
『そんなの! ハハ、駄目ですよ。アハハ。だってあの子は……綺麗だから。僕となんて駄目だ。うーん、そうだなあ。もし僕が捕まることを選べるなら、あの子には僕のことをさっぱり忘れてもらえるようにもしなくては。僕なんて存在は忘れて、自分らしく生きていってほしいから』
快活な笑顔。
『その願いは素敵なことだけど。その子自身は、きみとどうなりたいとか、言わないのかい?』
『それを聞くのも僕には許されないはずですから。僕があの子を縛り付けてるだけなんだし、あの子は、あの子こそ、自由でいるべきだ。僕はね、先生』
引き攣った笑顔。涙が一筋、男の頬を伝っている。
『あの子を心から愛しているんです。だからこそ、僕から解放してあげなくてはね』
『そうか……。そうか。わかった。さ、もう帰りたまえ。あまり長居しては良くない。このことは黙っておくから、行きなさい』
『ええ、はい。失礼しました。……さよなら先生。どうか後の世をお願いします』
『ああ。必ず』
再び、画面には砂嵐が入り出す。男の姿はかき消えてゆく。そして、完全な砂嵐となって、やがて、テレビはブツンと暗転した。
「きみはね、ダチュラくん。大丈夫。大丈夫だ。トパーズくんはきみを許せないだろうけど、私はきみの、いや、きみたちの、味方だ。ギベオンのことは、まあ、その、結果的にあいつが元気でピンピンしてるから、気にしないでおくよ。いやむしろいまからでも運動させようと思うね。なんだよ回復だけは速いって。意味わからんだろ」
ペンを、頑張ってテレビから抜こうとするが、思いの外強く刺さってしまったらしく、抜けない。颯爽と去るつもりだったアメジストがしばらく格闘していると、ヌッと影が差した。ペンを掴み、引き抜く。風圧でカーテンが少し揺らいだ。
「俺は」
わずかに差し込んだ朝日が、少し痩せた頬に残る涙の筋を写した。
「連れてってほしかった……」
テレビの上からノートを取り上げ、細かく、破り捨てる。アメジストは何も言わず、ペンを握りしめて、出て行った。
「さて、それじゃ失礼。彼をよろしくな」
「もちろんです。
「ああ、さよなら。魔法を捨てた魔女さん」
ベラドンナが靴棚から隠したナイフを投げつけるより、ほんのわずかに、アメジストの箒が飛び去る方が早かった。
「はーやっぱりな。あの執着は魔女じゃなきゃそうそうないぜ。オリィがああならないことだけが現状の希望かねえ」
懐中時計を取り出す。首都に戻る頃には、病院の面会開始時刻になるだろう。
「……寄ってってやるか」
朝日が眩く輝きだす。仕事を失った異邦人警報機が寂しそうに立ち尽くしていた。
続
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