第十六話 If Only
突然のことであった。いまのいままで混戦を引き起こしていた異邦人は、すべて、ふっと姿を消した。砂になるでもなく、どこかへ行ってしまうかのように、姿を消したのだ。それはまるで、「異邦人」の名に寄せられるように。
「気配がしないだと?」
「……仕留めた感じがしなかったぜ」
「ポール! 急いで偵察!」
『もちろん、ディギー。けど落ち着いて聞いてくれ。異邦人はもう、どこにもいない。信じられねえけどな、この広い魔法界のどこにも……もういねえんだ。地方支部の通信からも同じことを聞いてる』
『全部隊に命令する』
通信に、ヤカツの電子音声が割って入る。全員がもう一度、身構えた。
『これより保護活動に移行。全部隊、医療班を中心にスタジアム近隣の異邦人被害による怪我人の救護に当たること。カロライナ、エンカイ、ジギタリス、ベラドンナは私と共に来なさい。以上』
『了解。えー、医療班総隊長ポールだ。まずはスタジアム内の観客の保護活動に移行。第三部隊及び第四部隊は総員集合のこと』
隊長たちは顔を見合わせながら、これまでになかった不思議な現象を訝しむ。しかしカロライナはすぐにそれどころではなくなった。くしゃっと顔を歪ませ、頭を抱えながら走る。
「うおおお〜! ロッキーちゃ〜ん! 無事でいてくれえ〜!」
「あいつがああまで可愛がった子、いたかしらね……」
「まるでガチ恋の様相ぞ」
無人、否、無霊となっていたムーンリット・ハウスを、オリビンはまたしても驚愕の表情で見上げている。
「みなさん……! 戻ってらしたんですね……!」
惜しい気持ちの残る中での、相変わらずの散歩途中、一瞬、魔法界の気配を感じたかと思ったときのことだった。がらんどうのはずのムーンリット・ハウスの窓辺には、再び、ぼんやりとした人影が立つようとなったのである。
オリビンが喜んでいるのも束の間、すぐさまジェイから連絡が入った。
『なんだいまのは……!』
「さあ。わかりかねます。ですがジェイ、ムーンリット・ハウスは再度ご入居がありましたよ」
『やはりか。同様にゴーストの消えていた物件の複数件に、ゴーストの再出現が観測されてる。それも、さっきの謎魔力波の直後からだ』
「裏付け……みたいなものができましたね」
『そういうことになるな。こりゃ忙しくなるぜ』
ジェイからの電話はそこで切れた。オリビンはゆっくり、首を傾げる。
「人間界のゴーストを、何か……素材として、使っていたと仮定すると……一体……いえ、考えるのやめましょう。どうせみなさんが一枚二枚噛んでるでしょうし」
そして道すがら聞こえた通り、帰ってみれば、魔法界とのチャットもつながりを取り戻しているのだった。
箒専用高速路を、とてつもないスピードの箒が二本、駆け抜けてゆく。職務に則り取り締まるべきか、そうはせずにおくか、慌ててアーマーを着込んだビャクダンは悩みながら必死に二本の箒にかじりつくしかできない。
迷っているうちに、トップスピードの箒二本とビャクダンは、タオたち四人が向かった自然公園に行き着いた。ようやく、二本の箒も止まる。
「おふ、た、り、とも……! ハァッ、ハァッ……ちょ、落ち着いてくださいッ……異邦人はまだどうなってんのかわかんねえんですよ……!」
「……タオくん」
「……!」
自然公園内のオブジェ・ハウスは、完全に倒壊してしまっていた。火の手も上がっており、このままでは勢いを増して燃え広がるだろう。まだ土埃が立ち込めていることから、つい先刻の出来事だと察することができる。
呆然と立ち尽くす二人の魔女の背後に、ところどころ凹んだ古い車が停まった。わらわらと降りてくる、トキシカ隊長の面々とベラドンナ、そしてヤカツ。
「はわわわわロッキーちゃん! 無事でい……これ無理かなあ……!?」
「派手に壊れたな。もうかなり古かったとはいえ……子らは中にいるのか?」
「あの子たちいるなら早く助けに行かなきゃじゃない!」
「見なさい。あの子たちはやはり強い」
遠方からの轟きのように、エンジン音が聞こえてくる。徐々に近付いてくるそれらが、土埃の中から飛び出してくる。運転できているのが奇跡的なほどに壊れたリリーフカーと、擦り傷だらけのアーマーだった。
「ちょっ……な、何!? やだっ、リリー! あの子ったら長官さん抱えてるわ! んもう! やっぱり見込んだ通りだわ!」
「フ……余の可憐なる花よ……炎避けの衣を持つとはより美しい……」
「おわあ~ッ!? ロッキ~~~!? なっ、なにそのドラテク! 俺教えてな、痛ッ、痛ェってディギー! 俺を叩くな!」
無事を喜ぶ者、
「あいつ……! ったく、心配かけて……!」
「タオくん」
涙する者、
「……マジかよ……あのアーマーって……」
絶句する者。
それぞれの感情が集まりだすところへ、遅れて、ほぼエメラルドに引きずられる形で連れてこられたシャノアールと、箒の相乗りでルビーとサファイヤが到着する。
「あら、あら? なんだか嫌な予感がするわ」
「サフィ?」
「う~ん、まあでも、そういう感情も必要なのかしら。先に言っときますけれど、あたくしは止めませんわよ」
「何のこと?」
ルビーが視線を前に戻したとき、事はもう起こりかけていた。
ベコベコの車体からガランとバンパーが外れ、リリーフカーに乗っていた面々が飛び出してくる。リリーのアーマーもところどころから火花を散らしつつ、ギリギリの着地をしてみせた。
「ダチュラの出血は止まりそうかい?」
「わかんね……押さえちゃいるんだけどよ……」
「長官さんの腕ァ嵌めといだけどヨ、肋骨も折れでんだどよ。さすがに救急呼ぶ余力ァ無がったべ……」
皆、総じてボロボロだ。タオは一段と怪我の状況が酷い。外れたままの片腕でダチュラを抱え、外れている方はナルキスに支えられている。そのナルキスも、自慢の髪を荒れ放題にさせ、白い肌にいくつもの薄い傷ができている。ロッキーは割れた額を千切ったタオルで縛ってあるし、リリーもアーマーの中とはいえ痣だらけになっている。
「あんたたち!」
ディギーが先頭きって走り出したのを、エンカイとカロライナが追った。ベラドンナが一歩出遅れる。
「きゃーっ! すごいわリリー! きゃーっ! なんてすごい子なのっ!」
「おー、ったりめぇだこんぐれえ。ウチはいいべさ、早えごとこのモヤシなんとかしづくれェ」
「手折られはしなかったか。それでこそ余の花」
「ええ、まあ。ある程度当たりは付けていましたからね。僕は恵まれている、こんなにも心強い友に囲まれていますから」
カロライナはロッキーを見て、輝く表情に変わり、それからほんの僅かに、タオの腕の中で虚ろな目をしているダチュラにも目をやった。胸倉を掴み上げて怒鳴りたい衝動に駆られる。
「ッ……ロッキー!」
カロライナの出した答えは、己のダチュラを嫌う理由を先んじてまでロッキーを後回しにはしたくない、というものだった。力強くハグをし、頬にキスを贈る。
「あ、あ、うぁ」
「心配したんだぜ、ロッキー! 俺ァもう気が気じゃなかったんだ本当によォ……!」
「はひゅ……」
怪我とは関係のない事象で、ロッキーはそのまま気絶する。いずれ疲労困憊でしていたようなものだが、憧憬と愛情を同時に抱く相手の腕の中であることは、ロッキーにとっては何よりも嬉しい事実だろう。
「……よかった。みんな元気だぜ、ダチュラ。なんかいい感じにまとまってるわ。あ、ベラ来た。お~い……」
「邪魔」
「……トパーズ?」
タオとダチュラの前で立ち尽くしていたベラドンナを突き飛ばし、トパーズはダチュラの右目を押さえているタオの手さえ払いのけた。がらんどうの目に、ズッと鍵が突き刺さる。
「え、お、おい、トパーズ……」
「これは、ナイフ。私が魔法解いたら、あなたの頭を貫通する刃渡りの」
「……いいな。ひと思いにやってくれよ」
「いいえ、やらない。だってそれじゃあなたを苦しめられないでしょ」
タオは目の前のトパーズの表情を信じられない心地で見つめている。
あれ? なんか……魔女、っぽくね……?
その直感は外れていないのだが、そこから先に何をすれば良いのかは、タオはまだ知らない。トパーズはそのまま鍵をグッとダチュラの目に押し込んでしまった。その上で、別の鍵で右目に「鍵をかけた」。
「私がこの先あなたを許すことがないって意思を、ずっとその穴にしまっておいて。私が死んでも、あなたの右目の魔法は解けないから」
「待ってよトパーズ! いやあの、なんつーかさ、説明がムズいんだけどダチュラもあの、その、被害者? ってヤツ? でさ……」
「このひとがそうだとしても、私には関係ないよ。私はね、タオくん。タオくんに酷いことしたこのひとを許さないの。このひとがどんな目に遭ってきたかなんて、そんなのはどうでもいいの」
トパーズは真剣な表情をしていた。やけに光って見える瞳から、タオは目が離せない。
「ならそのひと頂戴よ。私に頂戴よ。生きてても死んでても、どうせ貴方には
ベラドンナは優しく、それでいて強引に、タオの腕からダチュラを抱き上げた。
「魔女から恨まれるなんて、このひとが
「好きにして。ていうかこれ以上私たちの間に立ってないで。邪魔って言ったでしょ」
「……無害な顔してても
呆然としているしかできないタオだったが、トパーズの手を借りてようやく立ち上がる。駆けつけた救急が運び出してきたストレッチャーに、意識を取り戻したギベオンが乗せられたところだった。
「おや、何て顔してるんです」
「おまえなあ! 何笑ってんだ怖かったんだろ!?」
「それは、言わないって、お約束じゃ、ないですか」
「ビビリでモヤシのくせに意地張ってる場合か! 私がどんだけ心配したと思って!」
きっと二人の他は知らない事情だろう。興味はあったが、ビャクダンはこっそり、スススとその場を離れた。ちらりと他の大魔女たちの様子を伺うが、やれやれと笑っているばかりで、どうやら怒り心頭らしいトパーズのことも、大泣きしながらいまにもギベオンを殴りつけそうなアメジストのことも、放っておく様子だった。
それより。
ビャクダンはそのまま、リリーのもとへ向かう。自分が着用するものより、一回り以上も小さなサイズで、改良が施されている、リリーのアーマー。
「リリー……危ないからやめろって、いつも言ってたろ」
「んでも、ウチのアーマーさ無がったら、あんちゃんだってここまで箒一つだべ。そらしんどいべ」
「そういう話じゃなくてだな……。はあ……あのなあリリー、俺は土井中で散々言ったはずだぞ。おまえ自身が前線に出る必要はないだろってな」
「ふふん! ウチをそんじょそごらの雑魚っ端といっしょくだにすんでね」
腕を組んで胸を張るリリー。そうしてビャクダンの向こう側に小さく見えるエメラルドを視界に捉え、周囲には聞き取れない声量で「あれがライバルだっぺか……背デケェべ……」と呟く。間違いだと割って入る者はいないし、仮にエメラルドが聞いていたとしても強い否定をしないだろうから、おそらくいまはまだ、リリーの勘違いに留めておくことが、誰にとってもちょうどいい。
すべてを見渡していたヤカツは、泣きながら去ろうとするベラドンナの肩を叩いて止めた。
「このひとは私がお世話を……」
「構いません。警察には、『ギベオン長官を襲った者は不明』として処理してもらいます。長いこと我慢させていた私の責任でもあります」
「え?」
「つらい思いをさせてしまいましたね、ダチュラ。あなたはずっと彼を忘れられずに苦しんでいたのに、終ぞ適切な方法がわからず、こんな目に追い込んでしまった。ごめんなさい。これ以上、どう詫びたら良いか、私にはわからない」
ダチュラの頬を、まだ固まりきっていない血が流れる。
「いいんですよ。あんたにはあんたの子がいて、俺は素直じゃないガキだった。俺が勝手におかしくなっただけだ」
「いいえ。私はあの場で何より早くあなたを避難させるべきでした。彼は殺さねばなりませんでしたが、その様をあなたに見せてはならなかった。そのせいであなたは、囚われてしまったのですから」
「……やっぱり、違いますよ。やっぱり、俺が勝手におかしくなっただけです。あんたは悪くない」
そうしてベラドンナに下ろせと指示し、おぼつかない足取りでどこかへ消えてゆく。ベラドンナはヤカツをチラチラと振り返りつつも、それに付き従うように消えていった。
「やはり夜に、囚われたままなのですか。ダチュラ。あなたの夜はどうしても明けないのですか」
しかし世界は、そんなことどもはどうでも良いふうに、明けてゆく。空はドーン・パープルに包まれ、風が出てきては鳥が鳴き、この日、魔法界は、あまりに突然に、長きにわたる異邦人との余儀なき戦いを終えたのだった。
続
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