第十五話 Two Worlds

「うわ、マジでここにいた。ナルキスのヤツ実は知ってたりとかすんじゃねーの?」

 大仰な装置のそばに、ダチュラは立っていた。タオの素人目から見ても、おそらく装置はそろそろ稼働限界が近いだろう。時折火花を散らしては、警告音を発している。

「ダチュラ! 何してんの。それ何? なんかこう……すごいねそれ」

 いつもなら、どんな軽口にも、相槌程度の反応はする。今回はまったくの無反応だ。

「……危ねーし、あと……外ヤベーことになってるからさ、異邦人大量発生してて……手伝ってよ。マジでヤベーから」

「……」

「そっち……行くよ」

「……」

 タオはガラスを踏まないように、それから、ダチュラから目を離さないように、足を動かす。


 やっぱ触れられたくない何かなんだ。殺気が途切れねえ……。


 あと数メートル、というところで、タオの靴先がガラス片にわずかに触れ、わずかな音を立てた。瞬間、目と鼻の先に、ダチュラの突き出した棒の先端がくる。

「こういうわけだ。手伝わない」

「あのさ、前から聞こうと思ってたんだ。ダチュラはなんでそんなに死にたがりなんだ?」

「言ったことあったっけか……? ないよな。ベラしかそこらへんは知らねえはずだが」

「オレ、生育環境ってやつが良くなかったらしいから。なんか……わかるんだよな、そういう感じのヤツのこと。全然自分の命にこだわりなくて、なんかとりあえずデッケェことしてから死にたがってるヤツ……いっぱい見てきたから」

 タオの脳裏によぎる、見送ってきた顔の数々。皆、誰かを愛して死んだか、誰も愛せずに狂ったかのどちらかだった。

 ダチュラは何の感情もない声で「そうか」と呟いたあと、棒の先をタオの喉元に向けてわずかに寄せた。タオは動かない。まだ、払える位置だ。

「死にたいっつーかよ、そもそも生きてる実感持ってねえんだ。あのひとといた頃は少しはあったかもしれねえけど……あのひとが死んじまってからはもうなーんにもわかんなくなっちまってな」

「それってドレイク?」

「そ。なんだ、そこまで見当ついてんのか。おまえ……マジでわかんねえな。よくもまあこんな短期間で魔法界に馴染めるようになったよ……」

 指でツツ、となぞりながら、棒を下ろさせる。ダチュラはされるがままにしている。

「オレのこと知ってんの?」

「まずはいろいろ説明させてくれ。それでも止めたければ、頑張ってみてくれ」

「わかった」

 得物の棒の距離だけ離れたまま、ダチュラは話し始める。

「俺はな、実は異邦人の発生するシステムを知ってる。この装置だ。あのひとが残したモンでな、あのひとが暴走させてからこの方、止まったことがねえ。異邦人ってのは、人間界から吸い上げた死霊らしい。それがこの装置や、穴から、めちゃくちゃにミックスされた状態で魔法界に入り込む。だから連中は見た目がキショい」

「じゃこの装置、人間界につながってんの……? ゲートとは別に?」

「そ。おまえもここから連れ込まれたんだぜ」

「……は?」

 予想だにしない事実。タオは思わず、装置とダチュラとを交互に見た。ダチュラは相変わらず表情が無いが、装置はだんだんと火花の量を増やしているように見えた。

「人間界に行きたい、そんな御法度を犯したいと思うような連中はな、ゲート突き破って真正面から行ってやろうなんざ考えねえさ。穴から無理して出ようだのなんだのするわけだ。で……あのひとがいなくなってから、俺がここを管理してたんだが。どっから嗅ぎつけたんだか、筋モンどもがやってきてな。金払いが良かったんで使わせてやった。身元の保障はできねえと伝えた上で、人間界にちょっかい出しに行きたがる連中の頭なんざ知ったこっちゃねえしな」

「え、じゃ、まさかオレの親父も? 親父、知ってんの?」

「知ってる。とっ捕まったって聞いて、人間界のガキがようやく世間様に知れ渡ると思った。芋蔓式に俺もお縄だと思ってたんだが、どういうわけか、おまえがここにいる」

「だから……」


 ジョジョ知ってんだ……。


 空気に合わないことは、言わない。「普通の暮らし」の中でタオが学んだことだ。しかし実際のところこの事実の裏付けというのは、ここまでの事情に踏み込まなければ知れなかったものではある。上手いところで切ったタオに、ダチュラは、乾いた笑いすら、浮かべない。

「皮肉なモンだよな。異邦人がいなきゃ、俺もおまえも出会ってねえんだ。世界は滅びかけだってのによ」

「事情はわかった。んで、ダチュラはなんで、死にたい……っつーか、生きてる感じしねーの」

「……そう、だなァ……いやまあ、それがわかってたらこんなことはしちゃいねえんだろうな」

「んー、たぶんなんだけどさ、ヤケになってんだよな。ドレイクも、アンタも」

 タオにとって「地元」で経験してきたものは、最近の生活がどれほど濃密でも、長さで勝る。タオにとってはダチュラの行動には見覚えしかないのだ。

「ヤケ、なのか」

「ん〜……。オレがいた家には、ダチュラみたいな連中がちらほらいたよ。生きてるかもわかんねー兄弟のために仁義通せずに逃げようとしたヤツとか、惚れた女と逃げるために商品盗もうとしたヤツとか……そんなのが結構いたんだよ。なんつーか、そういう連中はみんな、『もうそうするしかない』って言うんだ。他に上手くやってく道があるのも知ってるけど、どーしても折り合いつけらんなくて、そうするしかないんだ、って……ダチュラはずっとそんな感じだ」

「なるほど……そりゃヤケだ」

「うん。だから……」

 まったく予期しないタイミングだったために、タオは直撃を食らった。脇腹にめり込む棒の固さが、がさついた床を滑る痛みに混じる。

「話……最後まで聞けよ……!」

「ヤケなんだからしょうがねえだろ。そんな話聞いたところで、じゃあ俺はこいつをどう止めたらいいんだよ。じきに完全に制御できなくなってブチ壊れて、そうしたらこいつはただの違法ゲートどころじゃ済まねえぞ。いまだって暴走しまくって異邦人だらけにしちまってるじゃねえか」

「ドレイクは止め方とか……教えてくんなかったワケ?」

「そんなモンあったらこんなことになってねえよ。あのひとはこいつを動かすの最後まで渋ってたんだぞ」

「トリガーわかんねえよ〜……!」

 呻くタオに、ダチュラはゆっくりと近づいて行く。飛び散る火花と明滅する照明のせいで、ダチュラの表情はより窺えない。

「あのひとはな、この世界ごとめちまおうって、こいつを作ったんだ。本当ならアルラウネの夜の日に、全部終わってたんだよ。でも終わったのは結局あのひとと、あのひとを勝手に祭り上げた連中だけだ。俺は、わけもわからねえまま取り残されちまった。こいつがもう終わるってんなら、そうさせてくれよ。いい加減俺を、止めてくれよ」

「クソッ……! オレがあの装置見たとこで仕組みなんざわかんねーし……! あーでもッ……あーもう! わかったよ!」

 ぶんぶんと頭を振って、タオは立ち上がって構えた。

「トキシカ第一部隊候補生、タオ! こっからは真剣勝負だオラァ!」

「……なんで名乗った」

「一騎打ちの礼儀作法ってヤツ! 悪ぃけどな、舐めてもらっちゃ困るぜ、こっちゃマジで行くからな!」

「よくわからんが、おまえとやり合って死ぬなら悪くないかもな」

「いーや、オレは殺さねえ。ギベオンさんに怒られちまうからな」

 その刹那に鼻柱を突く一撃が繰り出されたものを、まずは右手の甲で流す。続く棒の振り上げは、こちらも振り上げた左足の裏で受ける。それを蹴り出す勢いに乗せて、引いたままの右手の掌底を突き出した。ダチュラは軽く頭を倒してそれを避け、棒を引き、空いているタオの左胸を狙って突く。タオはそれを触れるスレスレのところで流し、腕で挟む。引いてきた右手の掌底で棒を折る一撃を繰り出すが、ダチュラが棒を床に叩きつけて引く方が僅かに速い。

「おまえそんな強かったっけ」

「ベラのおかげかもな。アンタの見てねえとこでめちゃくちゃオレに暗殺技仕掛けてきてたから」

「後輩の面倒見のいいヤツだ」

「ほんと、そうだよな」

 軽口を叩き合いながら、一進一退の打ち合いが続いている。両者とも気の抜けない状況に、息が上がるばかりだ。ダチュラの振り下ろす棒の先を、タオは必ずギリギリのところで避ける。そして不規則な四肢のくねりで棒ごとダチュラを捉えようとする。ダチュラはときに棒を手放し、タオの背後に回ることで隙を狙い、棒を取り返す。

 突き、蹴り、振り払い、掌底、震脚、関節技へと流す動き、高跳びの要領での避け。

 お互いに削り合っている状況。タオはもうこれ以上二の腕で受けることは危険だと判断しているし、ダチュラはタオの腹を狙うのをやめた。

「さっきの払い、めちゃくちゃ痛かった! ぜってーヒビいってるわこれ」

「折られたらどうしようもねえんだから捕まえようとすんなよ、怖えな。あとなんで突きとか食らってくれねえんだズルだろ」

「オイ! オレさっき五連蹴りしたぞ! 三発で避けられたらバランス崩れちまうだろーが!」


 これで、楽しく笑っていられればなあ。


 届かぬ願いをタオが抱いたとき、装置から、電撃が弾けた。もはや火花では留まらない。運悪く、タオの真正面の視界だ。

「う!」

「悪く思うなよ」

 ダチュラの棒の先がようやく、タオの右肩を強く突いた。並の人間なら確実に、肩から腕が弾け飛ぶほどの勢いだ。壁に叩きつけられたタオは脱臼を自覚した。

「い……てぇ……!」

「はあ……はあ、ったく、クソ、まさかこんなに、手間取るとは……思ってねえよ……クソ……」

「い……ててててて……! なんで押し込んでくんだボケ……!」

「腕一本ダメにしようとしてんだからそんくれえすんだろ……」

 ぐ、と押し込まれる棒からは、身を捩っても逃れられない。メリメリと肉が音を立てるのを、タオは至近距離で聞いている。



「倒しても倒してもキリがないわね……嫌よ、こんなとこで使うなんて」

 唯一遠視可能な第四部隊から、にわかに苦戦の様相が滲み出る。

 各部隊とも、疲弊してきているのは目に見えていた。だが異邦人の勢いは止まらない。むしろ勢力を増してすらいる。文字通り、無尽蔵に発生してきているのだ。

このまま押し負けてしまうかに思われた、そのとき――。

『トキシカ満乃久みちのく支部。繰り返す、トキシカ満乃久支部。応援さ来だ』

『はいたーい! トキシカ辺宮へんぐう支部! やっとぅかっとぅうぃーちちゃびたんやっと追いつきました!』

『トキシカ壁円へきえん支部到着やき。ヘッヘ、首都で田舎モンが暴れるんは珍しいきにの、よう見ちょけ〜!』

 耳慣れないイントネーションの数々が、次々と到着報告をする。異邦人の群れのその奥に、彼らはやってきていた。

「お、オメーら! 地元離れて平気なのかよ!?」

『おう、カロライナかえ。なんちゃァない、地元から追っかけよったら連中ここにばあ集まりよるでの』

『地方部隊ん経験詰どーいびーくとぅ詰んでいますから助きなやびーんさぁ助けになりますよ!』

『実地訓練だば、首都よりたげだだはんでねすごいですからね

「あっあっ、すまん、なんでかな、壁円の連中の一部しか聞き取れないかも」

 彼らをはじめとした地方部隊の面々が揃う。その中には、ブルーミアの合宿初日にタオら四人に気押されて泣く泣く退学した顔ぶれもある。しかし当時と違うのは、彼らもすでに、トキシカのメンバーらしい表情をしていることだった。

まじむんぬバケモノがいない分、ぬびぬびとぅのびのびと訓練ぬなやびたんができました〜』

「すまぬ……余には聞き取れぬ。月女神たちよ、わかる者はいるか……?」

「ナルちゃんたちのことかも? そこそこ強い表現してたね〜」

「そうか。何にせよ心強い助けであるな」

『んだ』

 地方支部部隊が一斉に動き出す。外と内、一気に異邦人は数を減らしてゆく。

「……行かなくちゃ」

 泣きはらした目元のままで、ベラドンナは立ち上がった。モニタで戦況を見届けることしかできずにいたが、ここで滅ぶより、切り抜けて、ダチュラのもとへ急ぐことを選んだ。

「私も、救済すくわなきゃ」

 新調したばかりの旗槍を握りしめ、走り出す。何度となく本気でタオを突き殺そうとしたものだが、人間の血肉に濡れるよりも、異邦人の砂を浴びることを、これも喜ぶだろうと夢想する。



「おい……! 冗談ッ!」

 そのときのタオの手の動きは、ダチュラにはまったくと言っていいほど、視認できなかった。パン、と空気の割れる音の次は、ダチュラの愛用してきた得物である棒が粉砕される音だ。ほとんど音声としては、連続というより、同時だった。


 見えなかった。速すぎる、なんだ!?


 思わず距離を取る。ダチュラの手には、三分の二の長さになってしまった棒が握られていた。

「人間界の文化はよォ〜……追うんなら、やっぱ最新人気作ヒットチャート追っときてえじゃん……」

「見たことねえ……なんだその構え……!?」

 中指を中心に、すべての指を寄せ、手でおいて、刃を模った構え。

 ここのところトパーズを通じて人間界の漫画を読み倒しているタオならではの思い至りであり、タオ以外では再現不可能なものだろう。

「ジョジョ読んでんならよォ〜……こいつも読んどいてほしいトコだぜ、ダチュラ……!」

「嘘みてーだがマジなようだな。素手の指で、俺の得物ブチ抜いたのかよ……」

「ニンゴク……! 読めよ……! このケリがついたらよォ〜ッ……読んでよォ、語ろうや!」

 右腕はだらりと垂れ下がったままだが、勢いだけならばタオの優勢だ。ほぼ視認できない速度では、いかにダチュラが速く立ち回ったとしても、無力に等しい。


 おまけに一撃一撃がゼッテーに棒削ってくるとか……! 教え子超えて敵だろ、素直に。


「は……」

 ガードに立てたはずの棒が、木片に成り果てている。咄嗟に構えたときには、タオの掌底がダチュラの鳩尾にめり込み、突き飛ばす、というよりは、吹き飛ばしていた。タオを叩きつけたのと真反対側の壁に叩きつけられ、ダチュラはずるずると脱力する。

「ぐ……」

「内臓とか結構ヤバかったかも。あ、ほら、血吐いてんじゃん」

「やりやがったな……割と、マジに……」

 なお立とうとするダチュラに、タオは容赦なく回し蹴りを叩き込む。側頭部にクリーンヒットし、ダチュラはいよいよ倒れ込んだ。

「……」

 タオはすっとしゃがみ込み、まだ動く左手で、ダチュラの眼帯を取り上げた。

「あー……なんかそんな気はしてたんだよな」

「何……を……」

「ほら……オレ、トパーズといっしょ、じゃん。やっぱ……大魔女ってスゲーんだよな。近くにいるだけで……なんか魔法っぽいの、わかるように、なるんだよ……」

 ダチュラの右眼窩には、タオにはわかるが、魔法のかかった眼球が埋まっていた。

「これが、あの装置止める、鍵だ」

「何だよ……わけの、わからねえことを……言ってんじゃ……」

「薄々気づいてたくせに。目、見えるだろ。たぶん変な見え方してんだろうけどさ」

「……嘘だ」

 ダチュラは歯を食いしばって、起きあがろうとしている。タオは止めないが、首を横に振ってみせた。

「ドレイクのヤローはよ、アンタの目ン玉に細工してやがったんだよ。いいか、はっきり言うぜ。アンタは」

「やめろ」

「最初からドレイクにブッ壊されてたんだよ」

「やめろ……! あのひとは……あのひとがそんな、こと……」

 タオはどこか、冷酷な空気感をまとって、また立ち上がった。そして脚先でダチュラの肩を壁に押し付ける。

「わかったよ。ヤケになってたんだよな。みんなそうだった。愛してるなんて、言ってくれたことのない相手に縋ってたから」

「!」

「ほら、やっぱな。ドレイクがアンタに一度でも『愛してる』って言ってたら、こんなことにはなってねえよ」

「……俺は何のためにそばに」

「少なくとも、愛じゃねえだろ」

 飛び散る電撃が、天井に亀裂を入れる。タオの耳には仲間たちからの連絡がとめどなく入ってきている。どうやら倒壊までいくばくも時間が残されていないらしい。

「じゃあ俺は……何のために……生きてる……」

「……しばらくは無理かもしんねーけどさ。それを、探してみようよ。アンタは奪われすぎた。取り返せるモンはないけど、新しく得ることは、まだできっからさ」

「……ドレイク……」

 ダチュラの肩から脚を下ろす。もう立ち上がる気力は残っていないようだった。タオはフーッと長い息を吐き出すと、ダチュラの頬に手を添えた。涙がその手を濡らしてゆく。

「いまから酷ェことする。恨んでいい」

「……」

「クソがよ。会ったこともねえのに、オレ、ドレイクのこと大ッ嫌ェだ」

 振り上げた手は、暗刃。真っ直ぐにダチュラの右目に向かい――。




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