第十三話 鏡花水月
「元は美しい家だったろうにね……」
色の褪せた壁紙を撫でる。細かな砂粒のようなものが指に付く。ナルキスは残念そうにそれを見つめている。
「芸術としての在り方を壊すのは実に惜しい。まあ、液体が飛ぶよりは、マシかな?」
デバイスに表示されたマップに、超人的な速度で動く点たちと、ゆっくり、身じろぎのような動きをする点の群れがある。
皆、善戦してくれている。僕も応えなくてはね。
刀を抜く。オラパにとっての白銀は鎧だが、ナルキスにとっての白銀はこの刀だ。
「僕だけに許された輝き……いま、ここに……」
枝毛やハネ毛の一つとてない美しい長髪が、ぱん、と音を立てて波打った。刀のしなりのようにそれらが揺らぐと、月の軌道にも思われる白銀の筋が描かれてゆく。すると、不思議なことに、異邦人たちの異形の造形が、品の良いアート製作物に変わってゆく。
「ああ……なんてことだ! マーベラス! 異邦人でさえこの美しさ!」
ただし核を潰したわけではないため、ここまでではただのナルキスの自己満足だ。
「この彫刻が魔力持ちには見えないなんて、もったいない……!」
己の美しさに酔いしれて背後を見ていないナルキスに、まだ動く部位のある異邦人が襲いかかる。
「では、フィナーレもどうぞ」
が、ナルキスが刀を鞘に納めた途端、ざあっ、と砂になって流れた。
「学びとは実に素晴らしい。とどめを刺し、確実に葬り去る。これに美しさがあると知れたのは、ブルーミアで得た学びの中の大きな一つだ」
刀を垂直に上に向けて抜く。タイミング良く、真上から異邦人が襲いかかってきたのを、その刀が串刺しにする。
「この僕が、踊ってやろうと言うんだ。断るわけがないだろう?」
ナルキスが陣取っているのは、広いダンスホールだ。寂れたピアノや、置き去りにされた弦楽器や楽譜などもあり、やはり元は展示用の家屋であったためか、ドレスなども飾られたままである。どれも煤けて埃っぽいが、ナルキスの目には、美しく映る。在りし日の記憶を映し出す。
「これだけ広く、無観客なら、僕が自由に踊っても、誰も怒らないさ。おいで。この僕と、踊ろうじゃないか」
刀を掲げ、抜き身を晒す。そして刀身が眩く輝くと――。
本当に、踊るかのようである。誰が見ても感嘆のため息をこぼすだろう、ナルキスの足捌き。指先の動き一つ取っても、一流のダンサーが感心して魅入るだろう。
ああ、やはりね。異邦人は倒されたものたちの近くに集まる習性があるようだ。
これまで異邦人研究はなかなか進んでこなかった。研究している暇があるのなら、倒すしかなかったのだ。
異邦人の暴れる様は、人々に本能的な恐怖を呼び覚ます。人影と見れば襲いかかり、それらが砂に成り果ててからも決して満足することなく暴れ続ける。もはや災害だと主張する者もいる。
ナルキスがオラパに混じっての訓練に参加し始めて最初に行ったことは、彼女たちへの聞き取り調査だった。直近で倒した異邦人の動きや分布を細かに調査した。
無策でなく、必ず倒すための近道はある。ヤツらに有効な、戦術が。
「そうだ、そうとも! どうぞこちらへ! 決してタオには追いつかせやしない、まだまだ……僕たちと遊んでいようとも!」
エンカイの視界一面に、おびただしい数の異邦人が向かってくる。後ろに控えるオラパの一人が、ざっくり開いたエンカイのナイトドレスの背に語りかける。
「我々史上最大の数だね。不思議だけど……私たちはちっとも恐ろしく思っていないんだ、オサ。どうしてかな」
「ん〜あたしはね、あんま負ける気しないかな! てか絶対勝てる! ナルちゃん言ってたじゃん?」
「そーそー。そんでアイツの指揮的確なー。連中の性質とうちらの布陣、相性良すぎよな」
オラパの面々は警戒を解かずにこの様子である。
「ね、オサ。準備できたら、いつでも言ってね。私たちも準備、できてるから」
「……余の月女神たち。愛しき女たちよ。花は言った、汝等に栄光あれと。余も同じきを贈ろう」
エンカイの指輪型魔法具から、ナルキスのものと同じ誂えの刀が現れる。
「我らに栄光あれ!」
最前線の女たちが一斉に弓を引いた。剣を持つ女たちと槍を持つ女たちが突撃を仕掛ける。エンカイは力強く地面を蹴り、彼女たちの頭上遥か上を飛び越え、異邦人の群れの真ん中へと降り立つ。その顔は、いつもの狂気じみた笑顔でなく、勇ましい戦士のものに違いない。
「Ahhhrrrr!!」
核から真っ二つにされてゆく異邦人の群れ。エンカイに向かう多数の群れがまず矢の雨に倒され、剣と槍に貫かれる。それでも獲り逃されたものたちがエンカイに真っ直ぐ向かうのである。
「何百何千来ようと無駄よ! 余が遍くを排するを、しかとその核に刻みつけて死ねい!」
「オサに倣え! 地の果てまででも追いつき殺せ! オラパは怯まない、どれほど瑕物になろうとも!」
「ふふ、愛い女たちよ。良かろう! 余が汝等の輝きをさらなるものとする!」
エンカイ自身が発光しているかのような眩い光。魔法具から取り出した刀剣がずらりと、エンカイの背後に円を描く。
「おお、オサ! 美しい、まるで後光のようだ!」
「オサかっこい〜! だ〜い好き!」
「愛い……では
後光を為していた刀剣が一斉に異邦人の群れを潰しながらオラパの女たちの手に渡る。エンカイには弓、槍、剣がそれぞれ一揃えずつ残るのみだが、おそらく誰しもが、彼女が負ける瞬間など想像もできないだろう。
ススス、とサファイヤの隣に移動するルビー。
「無事に切り抜けたら、彼女に営業かけて頂戴よ」
「まっ。どうして?」
「あのドレス、改良の余地がありすぎると思わない? あれだけスパンコールがついてるのよ。全部を魔法具にしたら、彼女もっと武器をしまっておけるのよ」
サファイヤはホホホと笑う。楽しいようだ。
「さすがは錬金術の魔女様ですこと。てことはなあに? 仕立てるのがあたくしでしょ、スパンコール用の素材の錬成があーたで……」
「もちろん見習いちゃんにも手伝ってもらわなくちゃ。魔法具の性質はこの子の魔法に通ずるところがあるわ」
「魔法具でしたら、いくつかご用意したことがありますよ! お力になれるかと!」
「決まりねっ」
「……僕らが無事で済めばの話ですからねェ」
シャノアールは大きな背を丸く縮こめて、珍しく弱音に近いものを吐く。普段通りならビャクダンが即座に「甘えてんじゃあねえ!」と掴みかかってくるところだが、あいにくと当のビャクダンはアメジストのメンタルケアに努めているため聞いていない。
「シャノアールくん、異邦人が怖いの?」
「僕、ちっちゃい頃はそんなに魔力強くなくて、異邦人見えてたことあるんです。だからも〜刷り込みで、怖くってしょうがないんですよゥ」
「だから魔力持ち相手には全然怯まねんスかね」
「否めないですゥ……だってだって、魔力持ちより怖いもの、知っちゃってますもん。魔力持ちがどんだけ束になってかかっても、そもそも見えないんだから、敵うはずないんだから。そんなん、魔力持ちとか無魔力とか、関係ないじゃないですかァ」
子供っぽい口振りをしているが、その考えは達観したものだ。大魔女たちは顔を見合わせて、それから、思い切りシャノアールを撫でにかかった。
「……何してんだアイツ」
遠くからその様を見ているビャクダンが小さく呟く。その隣で、アメジストは先にも増して顔を翳らせている。
「やっぱ無理にでもジムに通わせてやるべきだったかな……」
「ハハハ! いやいや文筆先生、あの長官ですよ? 長続きもしないでしょうし、なんなら施設に足踏み入れただけで吐きそうじゃないですか!」
「学生の頃から体育はきちんと受けろとしつこく言わなかった私のせいだ……」
「そんなこと誰も言ってねえ! ど、どうしちまったんです先生、普段の勢いはどこ行っちまったんですか!」
ビャクダンの胃がそろそろ、本格的な悲鳴を上げはじめる頃合いだ。
続
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