第11話 20××年12月17日・墓標
森栖が目の前で死んだ後の自分はとにかく焦っていたのを微かに覚えている。
急いで管理人室、そして杏崎の元へ駆け込んで事態を説明し、上下に分断された森栖の遺体を地下室に運んだ。
気づいた頃には昼前で、自分は汗塗れになっていた。
森栖をギロチンのように切り裂いた物の正体は、この館の窓だった。それは
自分たちに疑いがかかることは無かったことは幸いだった。しかしながら自分も杏崎も辛酸を嘗めることになってしまった。
自分のせいで殺してしまったような気がして、部屋のソファに座り込んだまま動けなかった。
杏崎は気を使ってくれたのか、メモとの睨めっこを一旦止めて自分の代わりに食事を取りに行ってくれたりした。あとから思えばますます情けないと思う。何度もくどいようだがこの時の私は正直冴えないオッサンなんて表現が生ぬるいと自らが思うほど情けなかったのである。
食事を無理やり口に詰めている時も、自分の脳裏には森栖が死んだ時の瞬間が繰り返し映し出されていた。鼻腔には血の匂いが染み付いている気すらした。
4人が既に死んでおり、少なくともあと2人死ぬ。手がかりだったはずの森栖の証言は聞く前に犯人によってかき消されてしまった。
私は自分は何も出来ていない、という無力感に苛まれていた。今までの推理も取調べの腹芸も杏崎のやった事でしかなく、自分はそこに追従しているに過ぎない。
その頼りの杏崎ですら詰まっている状況故に、より己の無能感が酷く感じられていたのであった。
座っているのも嫌になって、洗面所に行って顔を洗う。冷たい水は体を冷やしてはくれたが、心の方を冷静にしてはくれなかった。
洗面所から部屋に戻ると、杏崎は外套を着ようとしている所だった。
「どこかへ行くんです?杏崎君。」
「ちょっと土井氏の墓標を訪ねて見ようと思ってね。来るかい?」
「そう…ですね、私も行きます。」
気分から言えばついて行く気はあまり起きなかった。しかし心理学を学んだ身として、じっとしているのは悪影響だと理解していたので無理やりにでも体を動かそうと思ったのだ。
外套を着て、遅れて部屋から出る。玄関を開けると銀世界を染めていた血の跡は埋もれてもう見えなくなっていて、まるで今朝の事が夢であったかのように思える。
並んで歩く自分達の間に言葉はなく、響くのは吹き付ける風の音と雪を踏みめる互いの足音だけだった。
城壁の重厚な門をくぐる、実に3日ぶりにこの門の外に出た。
目の前には雪原、そして絶海とも言うべき大海原が広がる。空は灰色で重苦しい、まさに今の憂鬱のような空模様だった。
土井氏の墓標は波止場から少し東にある。波止場は門からちょうど南の方向にあるため、自分達は左斜めに雪原を縦断する。
しばらくとも言わないほどの距離を歩くと、雪に覆われながらもはっきりと見ることのできる十字架があった。近づいて見るとおおよそ自分の腿の中間辺りにあたる高さで、墓にしては小さい印象を受ける。
杏崎が丁寧に雪を払うと、十字架の下の石の土台に「Takashi Doi」とだけ刻まれていた。
少しの間杏崎は眺めていたが、すぐに周辺の地面の雪までかき分け始める。
「き、杏崎君一体何を?」
「何って、決まってるだろうセンセイ。墓を掘り返すんだよ。」
杏崎ならそれぐらいやりかねない、とここ4日間の付き合いでわかっていたが、本当にやるとは思わず絶句してしまう。
「センセイも手伝ってくれ、この吹雪の中で1人で掘っていたら日が暮れてしまう。」
どこに持っていたのだろうか、軍手を投げ渡して来た。何やらもう色々めちゃくちゃだったので、自分は返事すらせず軍手をつけて雪を掘り出した。
必死の雪掻きによって雪が分けられ段々と土が見えてくる。その土にさらに手を突っ込んでいく。幸い土は多少柔らかいがそれでも段々と手が痛くなってくるのを感じる。
軍手がすっかり土にまみれ、低い気温に反して汗が止まらず目に何度も入った。
何分程そうしていただろうか、ふと手に土とは違う硬い感触を感じ急いで周りの土を払うと、1つの箱が見えてきた。
「棺桶…の大きさでは無いですよね、これ。」
「棺にするには小さすぎるね、取り出してみようか。」
箱自体に目立った取っ掛りが無いため少し周りを掘ってから両手で挟むようにして持ち上げる。それなりに重いが少し振ってみても音はしなかった。
幸い鍵は掛かっていなかったので容易に開けることが出来た。その中に入っていたのは大量の紙束であった。
「書類…?」
「古い紙だな、それに日本語じゃないねこれ。」
一見何語かは分からないものの、文書の文体は筆記体のアルファベットである事は自分も理解できた。
「屋敷に戻って分析してみよう。センセイ、言語は幾つ習った?」
「英語と独語、仏語なら何とか。」
「十分だ、急ぐよ!」
それなりの重量のある箱を抱えつつ、書類が痛まないよう雪の降りしきる道を急いで戻ることとなった。
この時掘り返した墓を埋め直していない事をすっかり失念していたに気づいたのは、この事件を振り返る事になった今になっての事だ。
不問になっているといいのだが。
両手は土で薄汚れ、全身が雪で濡れ鼠になりながらも部屋に戻ってきた。時刻は夜頃であった。不動夫人には少々心配されたが、適当に誤魔化してタオルを借り、食事を用意してもらった。
わかる範囲で読み解いていくと、これは領収書や売買契約書であり、金額欄には膨大な桁が書き込まれていた。箱の書類を次々取り出していると、1冊の小さめのメモ帳が転げ落ちた。
中を開くと、このように書かれていた。
『このメモが見つかったという事は、私達が犯した罪を暴かんとする何者かが現れたことだと思う。それが数十年か、数百年後かは分からないが、それでもいずれ暴かれる事には変わらなかったということだろう。結局もって、口裏を合わせたはずの彼らを裏切ったのは私なのだ。良心に往生際まで悩まされた結果、こんな都合のいいメモと証拠を隠したのだから。』
それはおそらく、土井孝氏が遺した懺悔とも言えるメモであった。メモにはまだ続きがあった。
『私達は戦後から十年ほどの時、今だ低い日本経済を少しでも回復させたいと願った。そこで目をつけたのが天使邸の遺産だった。戦火に巻き込まれることも無く綺麗なまま残っていた宗教的、文化的にも価値のある資料達。私と百津川氏、神戸氏、坂口氏など価値を理解していた者たちが協力して秘密裏に鑑定士を海外から呼び出して買い取りを頼み込んだ。そしてその中で最も価値のある3つを売った。得た大金は膨大であり、その後の20年ほどの経済成長を後押しした。』
なんてことだ…と杏崎は声を漏らす。美術品や歴史的資料が外国に流出する事は許せないことなのだろう。
『しかしこれは非合法な取引だった。出来れば関係する書類は作成したくなかったが、向こうがそれを受け入れなかった。立場上仕方がなかったとも言える。さっさと処分するべき出会ったのだろうが、もし買い戻す機会があるのならという希望を抱いた己の間違いであった。結局、今それらがどこにあるかはわかっていない。』
これは自分でもわかる、もしこんな事が判明すれば、少なからず問題になる事は分かりきったことだ。
『そしてあの日、招かれざる客たる清張氏によって全ては暴かれた。今思い返せば、あそこで素直に罪を認め、償うことが最善だった。しかし、我々は殺人の道を選んでしまった。百津川氏、白烏氏、須藤氏、森栖氏、神戸氏、坂口氏、そして私は彼に手を下した。姪たるあの子達には遺体の処理を手伝わせた。これが我々の罪だ。』
「これは…」
「概ね白烏大臣の証言と一致しているね、やはり殺されている人々は清張氏を殺した関係者だ。」
「でも結局犯人についてはわからないですね…」
「落ち込むことは無いよセンセイ、これを元に聞き込める人物が増えたじゃないか。」
杏崎はニヒルな笑みを浮かべて応える。
「須藤さんですね?」
「その通りさ、夜が明けたら行こうか。さすがに墓荒らしは疲れる…」
そう言うと杏崎はソファーに倒れ込み、10秒としない内に寝息を立て始めた。
結局自分の悩みはあまり晴れていなかったけれど、この時は言葉に表せない満足感があった。
そんなことを考えている内に、座ったまま意識が暗転してしまった。
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