第6話 20××年12月15日早朝〜昼・氷天使
「久野さん…!?」
ありえない、という言葉を飲み込む。杏崎の推察では彼女は犯人の協力者であったはずだ。
私達に悟られたせいで消された?それとも最初から犯人は彼女も消すつもりだった?
瓦解した考えを組み立て直そうとするが、動揺した脳髄では何も浮かばない。
「み、脈は!?」
「私と管理人夫妻の3人で確認したが…」
坂口は言い切ることなく首を横に振った、つまりもう息がないということだろう。
「と、とりあえず…何をすれば?」
「遺体を運び出すこと、そして現場検証だ。落ち着け助手役。」
慌てふためく自分を諌めたのは神戸だった。
「そ、そうですね。とりあえず杏崎君を呼んできますので皆さんはどうか触らないでください。」
急いで自分たちの部屋に戻り、ドアを勢いよく開ける。
「杏崎君起きてください!」
「んん…?何かあった声色だねセンセイ。」
「久野さんが亡くなったんです!」
その言葉を聞いた杏崎は恐ろしい速度ではね起き、自分に詰寄った。
「久野さんが亡くなっただと…?」
鬼気迫る表情で杏崎は聞き返す。
「え、ええ。」
「わかった、直ぐに現場検証を始めよう。」
色々な道具を持ち出した杏崎とともに久野の寝室に戻る、現場はそのままになっていた。
杏崎はおそらく事件発生当時の状態まま安置された久野の体に触れないように黒いマーカーで人型を取るとこちらを振り返る。
「彼女の死亡は3人で確認したんだったね?」
「ああ、そうだ。」
「なら運んでもらって構わない、誰か頼むよ。」
では我々が、というように坂口と不動夫妻が持ってきていた担架に乗せて運んで行ってしまった。
その間も杏崎は虫眼鏡のようなものを用いて久野が倒れていた辺りを調べている。
「何か残ってたりするのか?」
「残っていなくても少しでも違和感がないかを探すんだ。念入りに形跡を消していても何かしらは残るはずだからね。」
黙々と観察しながら神戸の質問に答えている。1件目の時も同じように手馴れた手つきで調べており改めて彼の手腕には感心する。
杏崎はあちこちを見たりライトのようなもので照らしたり触るなどしているうちに、ふと一言呟いた。
「冷たい…」
「冷たい?」
「彼女が倒れていた場所だよ。センセイも触ってみてくれ。」
そう言って手袋を差し出されたので言われるがままに手袋をつけてから触れてみると、人型のラインの内側だけは周囲に比べて妙に冷たいことに気づく。
「妙ですね…室温と比べてもここだけ冷たいというのは。」
「まるで氷でも当てたみたいだ。普通の遺体でもこうはならないはず、死因は凍死なのか?でもそれにしては濡れていたり雪が吹き込んだ様子などはない……」
ブツブツと考え込みながらメモを取りだして書き込み出してしまった。こうなると考えをまとめるまでは動かなくなりそうなので周りの人らに何かしら知っていることはないかどうか聞き出した方が彼の為かもしれないと感じ、部屋の外にいた人々に話しかける。
「久野さんの発見経緯に関してご存知のある方は?」
「確か…僕たちが駆けつけた時に部屋にいたのは管理人の2人と坂口さんだったはず…だよね?」
自信なさげに答えたのは坂東だった。それに賛同するように横田、蘭堂が頷く。
「確かそのあと白烏のおっさん、森須、須藤、ジョセフの爺さんと神戸さんが来たんだよ。んですぐあとにエリナとイーサンが来たんだ。」
横田が補足を入れる、だいたい見えてきた。
「つまりそこで悲鳴を上げたのはおそらくエリナさんで、それを聞いてようやく駆けつけたのが私という感じですかね?」
「おそらくそういうことだろうな、俺たちが聞いたのは管理人の驚いた声だ。」
「あれ?でも私はその声を聞いていないような…」
「なんか管理人の声が聞こえた時に、ブブブブって言う、変な低い音が聞こえたんだよな。それで聞こえなかったんじゃねえか?」
低い変な音…と聞いて、自分の朝の行動を思い出すと1つ思い当たるものがあった。
「多分それは…私の電動シェーバーの音ですね。」
「そりゃ管理人の驚いた声なんざ聞こえねーな、何しろ2階にいた全員がその音を聞いてたんだ。」
そんなに音が大きかったとは、と思い恥ずかしくなる。10年近く使ってる古い品だからだろうか?買い替えたいのだが何しろ三文物書きなものだから買う余裕が当時の自分にはなかったのだ。
「辻褄は合ってきましたが……そう考えるとその中で寝続けていた杏崎君が恐ろしいですね。」
「細い体のくせに図太い奴だ。」
神戸は苦笑気味にそう言ったのとほぼ同時に、管理人夫妻と坂口が戻ってきた。
「ああちょうどいいところに、御三方に話を聞きたいところだったんですよ。」
「お話とは…具体的にどのような?」
「久野さんの発見経緯と状況についてです。」
「それは私からお話いたしましょう。」
名乗りでたのは管理人夫妻の夫の方であった。
「えっとでは…まず何故久野さんの部屋を?」
「昨日あのようなことがあったので、予定をどう変更されるか話す予定だったからです。」
「その時はお一人で?それとも奥様と?」
「その時は1人でした、ただノックなどをしても反応がなく困っていたところ、ちょうど夢様の部屋の向かい側であった坂口さんがどうしたのかと部屋から出てきたのです。」
「なるほど、坂口さんはそこで合流したと。」
「ええ、それで困っている旨を相談し、結局マスターキーで鍵を開けることと相成りました。」
「それで久野さんの遺体を発見し……という流れなわけですか。」
「ええ、そうです。」
「ふむ…ところで久野さんの遺体は百津川氏と同じ部屋に?」
「ええ、地下室の倉庫にあります。」
「ありがとうございます。充分情報は集まりました。」
たった1人で話を聞き、メモを取り、ついでに人を観察するというのは大変だ。杏崎が助手として自分を付けたのはメモに集中したかったからという理由があったのかもしれない。
ただ今の不動夫の態度はどこか「打ち合わせ通り」という雰囲気に感じた。あまり観察に集中できなかったので確証は持てなかったが。
既に人が少なくなっていた現場内に戻ると、杏崎は頭を掻き毟りながらメモを捲っていた。
「杏崎君、遺体発見当時の状況について聞いてきましたが…」
「ちょうどその情報が欲しかったところだ、共有をお願いするよ。」
杏崎は顔だけをこちらにクルリと向けて情報を催促してくる。
「とりあえずこのメモを、もし分かりにくい点があれば口頭で補足します。」
自分はちなみにメモにこのように書き記していた。メモの原本自体は今も杏崎が持っている為、一部が抜け落ちている可能性があるが。
・遺体の発見順(部屋にたどり着いた順番)は 不動夫妻と坂口が同時で最初。
・この時管理人が驚いた声を出したことで駆けつけた坂東、蘭堂、横田が同時に到着。間髪入れず白烏、森須、須藤、ジョセフ、神戸が到着。
・エリナ、イーサンはその後である。エリナの上げた悲鳴で私(辻島)が到着。
・おそらく私(辻島)が管理人が上げた声に気づくことができなかったのは電動シェーバーの駆動音で聞こえなかった為?
・杏崎が何故寝たままだったのかは不明(おそらく神経が図太い可能性)
・発見経緯は管理人夫妻が久野とスケジュールについて相談する為だった。
・ノックなどに反応がなく、困っていたところに坂口が心配して様子を見に来た
・相談の結果マスターキーで強行突破、発見に至る。
・現在遺体は地下に安置されている。
・管理人の態度:どこか「打ち合わせ通り」と言った感じに感じる
メモを一通り読んだあと杏崎はそれを自らの手帳に挟み込んだ。
「うん、情報としては十分だ。ただ僕についての記述は破っとくか消しとくべきだったと思うけど。」
杏崎は先程の狂気的な様子が消え去り、苦笑していた。
「あ、あはは……」
「あと電動シェーバーってそんなに音が大きいものかい?」
「いやァ、何しろ10年近く使ってるモノでして。」
「それは良かないよセンセイ、機械は長くて5年が寿命なんだから。」
「買いたくはあるんですがね。早く三文物書きから脱出しないとですねぇ…」
「そのためにも事件の真相究明、そして犯人を探し出さなきゃいけないんだよ。」
「まずはそうですね。そういえば一心不乱にメモを捲っていましたが、何か考えが浮かんだりとか?」
杏崎はよくぞ聞いてくれた、とでも言うように目を輝かす。
「僕は正直今だ犯人の特定にまでは至ってない。だからとりあえず僕は『
フーダニット、まぁいわゆる古典的なミステリの典型でありアガサ・クリスティ含め数多くの英国の推理作家が使用したテンプレート的考え方だ。
「フーダニットを一旦放棄するということは、『
ハウダニット、こちらはいわゆる「アリバイ崩し」のようなものと言えばわかりやすいだろうか。刑事コロンボや古畑任三郎のような一見完璧に見える犯人の工作をあの手この手で粗をみつけ崩す。小説では少々難しい技法である。
「ハウダニットから攻めるには犯人への道が色々足りないよセンセイ。ああいうのはもう少し犯人がボロを出してからやるものさ。」
「では一体?」
「動機だよ、言うなれば『
ホワイダニット、これは「ABC殺人事件」が最も有名な例と言っても良いだろう。殺害の目的を手繰る事によって犯人を導き出すといった一風変わっておりそして扱いが難しい手法である。
「動機、ですか…」
「そう、それの取っ掛りとして重要なのはおそらく30年前の何かだ。これは確実だね。」
「でも情報を得ようにも関わりがある方々はおそらく話してくれないような気がするんですが…」
「僕だってそれは重々承知だよ。何も30年前の事を知っているのは人だけじゃない、屋敷に聞けばいい。」
「探索って事ですね?」
「わかってるじゃあないかセンセイ。とりあえずマスターキーを借りてきてくれ。」
「そこは私の仕事なんですね…」
頼んだよという杏崎の声を背中に、自分は管理人が戻っているであろう管理人室に向かった。
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