34・あるスライムと手紙



 お嫁さんと絶賛新婚旅行中のリィンからは、わりとこまめに手紙が届く。

 海の果てと地の果てを見に行く期間のたいへん長い新婚旅行は、のんびりと各地を観光しながら進んでいるようで、手紙の他にも絵が添えられていたり、現地で購入した品物も一緒に送られてきたりと、届く度に屋敷内は盛り上がった。

 何というかこうして定期的に知らせてくれるのも、リィンらしいというか。あとリィンの絵が上手い。すごい。


 リィンとお嫁さんは予定通り卒業の半年後に婚姻し、ウィルくんと隣国の王女様の成婚パレードを見届けた後、旅立って行った。

 予定ではルーの結婚式前には戻るらしい。

 手紙や情報は商会のネットワークを利用していて、行き先も予めざっくりと知らせてくれているので、時間は掛かるがやり取りは行えている。多国間を股にかける商会ネットワークの凄さよ。


 そんなわけでリィンたちが屋敷から出立してしばらくは寂しさが充満していたような屋敷内は、今やリィンの手紙に歓喜している。

 本日もまたリィンから手紙が届き、みんなニコニコである。

 しかも今回はお土産付き。調味料らしきものが届いたのだ。

「うーんこれは……おっレシピまで入れてくれているな」

 食品関係はまとめて料理長さんのところへ届くのだが、今回もそうだった。料理長さんも未知の食材に届く度にニコニコしている。

 リィンは気遣いさんなので、何だこれはみたいな食材を送ってきても、必ず手紙で詳細を書いてくれる。地元ではこうやって食べているようだとか、こんな感じの味だとか。そして量も多めに送ってくれるので、料理長さんも試作がしやすくて助かるそうだ。

 自分が味見しないものや納得が出来ないものを食卓に出すわけにはいかないものね。とはいえ折角のリィンからの贈り物なのだから、侯爵家のみんなとしては食べたいだろうし。

「ノラ、今回のコレ、スープのレシピだぞ」

 料理長さんがわたしを見てニンマリとする。

 なんと、スープ。未知のスープ。それはとても楽しみだ。

「ただ、辛いらしい。ノラは辛いの平気なのか?」

 辛いスープ!それはこのスライム生活の間、まだ出会ったことのないスープじゃないか。

 食べれるか食べれないかで言えば、たぶん食べれるんじゃないかな。痛覚とかあんまりないし、辛くて痛い、ということもこの体ならなさそう。

 前世のわたしはどうだったかな。……なんかあんまり、辛いものを好んで食べていた記憶はない。いや、だからこその今なのでは?今ならノーリスクで辛いものも食べ放題。

 ぴょんぴょん跳ねて楽しみを表現する。

「お、辛いのもいけるのか!よし、まずはレシピ通りに作ってみるか」

 やる気満々の料理長さんを、わたしは心の中で応援する。味見は任せてほしい。


「料理長、コレほんとにこんなに入れるもんなんスか?」

 レシピを見ながら小さめの鍋で試作する間、料理長さんの弟子くんはものすごく不安そうな顔をしている。

「この調味料、入れれば入れるほど辛くなるらしい」

「何でそんなドバドバ入れてるんスか!?」

「だっていっぱい入れて食べるのが地元でもベターらしい」

「でもすごいにおいしますよ!あっ目ぇ痛いっ」

 弟子くんの主張もわからないでもない。この厨房内にはなんかすごいにおいが充満している。わたしに目はないけれど、目があったら確実に痛くなっているやつ。なお弟子くんは喉にも来たのか、ゲホゲホと咽せている。

 料理長さんはそこのところ流石プロというか、目は赤くなっていて汗は滲んでいるけれど、じっと調理を続けている。


 そうして出来上がった試作品は、なんかこう、見た目から既にやばかった。

 まずとても赤い。ものすごく赤い。トマトのような爽やかな赤みではない。もっと深く、いかにも辛そうな赤みだ。

 そしてどろっとしている。すごくドロドロしている……。

「……料理長、ほんとにコレ食べるんスか?」

「作ったからには食べる。それにレシピ通りに作っている」

「ええー……」

 まず料理長さんが出来上がった真っ赤なスープを食べる。……無言である。しかしドバッと汗が吹き出してきた。

 それを見た弟子くんが恐る恐る一口食べる。直後、ギャッと小さく悲鳴をあげて、すぐに大量の水を飲んだ。顔は真っ赤になっていて、汗もものすごく出ている。

 わたしもそっと食べてみる。

 うーん。これが辛いっていう感覚なのかな?痛くはないのだけれど、ビリビリと痺れているような感覚がする。前世のわたしが辛いものは好んでまで食べていないであろうことから、これがどのくらいのレベルの辛さで、何によっての辛みなのかもさっぱりわからない。

 でも好みでいうのならやっぱり、いつもの辛くないスープの方が好きかなと思う。食べれないことはないし、あるのなら食べるけれど。

「料理長!ノラが真っ赤になってるっス!」

「本当だ。ノラも辛いのか?」

 えっ、わたし色変わってるの?

 指摘されたのでうにょんと体を動かして確認してみると、いつも水色っぽい体が何故だか赤くなっている。

 不思議だなあ。でも別に痛いわけじゃないし、おかわりしようかな。

「……料理長、ノラ、おかわりしてますよ……」

「……そうだな」

 料理長さんと弟子くんが遠い目をしている。どうやらこの料理は、人間には辛すぎるものらしい。

 お残しはもったいないしね。わたしが全部食べてあげよう。もぐもぐ。

「……料理長、ノラ、全部食べましたよ……」

「……そうだな。俺も修行が足りないな……」

「いや、アレは絶対そういうレベルの話じゃないっスよ?」

 なお後日、この調味料を大幅に減らした良い具合に赤いスープが侯爵家の食卓に出された。そちらは旨辛な感じに仕上がっていて、好評だった。





「ノラちゃん、リィンお兄様からノラちゃんに手紙が来ているわよ」

 ルーが手紙を持ってわたしのところへとやってきた。

 リィンからは屋敷にたくさん手紙が届いているけれど、家族宛や屋敷のみんなに宛てたもので、わたし宛というのは初だった。

「ノラちゃんって字、読めるのかしら?私、読んであげる?」

 是非ともそうしてほしいので、ぴょんぴょん跳ねる。すると、ルーは嬉しそうに笑った。

 一応文字は読めるけれど、読めるって知られて意思疎通の方法を編み出されるのも避けたいしね。このことはハルくんにしか知られていないはずだけれど、ハルくんは黙っていてくれているのだろう。

 ルーはわたしの横に座り、封筒から中身を取り出す。便箋を開くと、ふわりと良い匂いがした。

「お兄様、私宛ての手紙とは香りが違うのね」

 なるほど、この良い匂いは手紙につけているのか。何だっけ、文香だっけ?そういった習慣も確か前世であったよね。わたしはたぶん、やったことはないけれど。

 わたしをイメージした香りなのか、どことなく水を思い出す爽やかな香りだ。残念ながら食欲は特にそそられない。

「読むわね。えーと、……ノラへ。元気に過ごしていますか。先日送った辛いスープの味はどうだった?実は更に辛いものを見つけて、これは送らなくてはと購入しようとしたら妻に止められたんだ。でもノラなら食べるよね?よし、食べるね。送りました。…………って」

 読み終えたルーもどう反応していいか迷っているじゃないか。

 聞いておきながら返事を求めていない。そして完全に事後報告。手紙の意味って何だろう。

「ええと、ノラちゃん……お返事書く?いえ、書けない……わよね」

 とりあえずリィンからの手紙はルーからもらって、体に取り込んでもぐもぐと消化しておいた。まあ、旅行を満喫しているようで何よりだよ。

 それに辛いものに関しては今のわたしの敵ではないことは実証済みだからね。どんなものでも来るがいいさ。

 ……とはいえ、調理場から聞こえてきた弟子くんの悲鳴は可哀想なので、辛くない調味料を次はお願いしたいかな。


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