33・あるスライムとの約束
ルーとハルくんの婚姻は、卒業後すぐに決まった。
王太子妃教育も無事終わり、学校の成績も問題なく、四年生の授業を休み休みの登校になったとしても卒業に問題ないと判断された為、学業と並行して婚姻の準備も進めることになったのだ。
婚姻したらルーは王城に住むことになる。そうなれば簡単に会うことは出来なくなる。思い出深いこの屋敷にいられる時間も限られているのだ。これまでのようにはいられない。
わたしは一念発起した。
正直、最弱のスライムに出来ることなど高が知れている。けれどわたしはきっと誰よりもルーの心には触れていると思う。
ルーは普段からたくさん話すし、たくさん笑う。けれど本当の部分は隠している。わたしと二人だけの時にひょっこりと顔を出す、寂しがりの子供のルー。
でもわたしはもう、当たり前のようにいつもいつもルーの側にはいられないのだ。
今日、わたしは屋敷にハルくんが来ることを知っている。
そしてさっきルーの部屋をちょっと散らかしてきて、出迎える準備を遅れさせる工作をしてきた。その為ハルくんは一人きりで(なお護衛さんはいないものとする)応接室で待っている。
そこへわたしは侵入し、テーブルの上、ハルくんの目の前に鎮座した。ふんす。
「ノラ。どうしたの?」
きょとんとしているハルくんに、わたしはじわじわこそこそと準備をしてきたその成果を見せる。
ここ数日、ゴミとして捨てられた書類の中から、わたしが欲しい文字だけ破り、わたしは自分の体の中に保管していた。
食べないぞこれは、と思えば、体の中に留めておけるのだ。ただし他の人に見つかるわけにはいかないので、数日間わたしは隠密活動をしていた。スライムの体の中にちらほらと破れた紙が浮かんでいたら、違和感しかないものね。
わたしはその体の中に集めた紙を動かし、文章にしたものを、ハルくんに見せる。
『るーに あたりまえを もとめるな』
わたしの意思を示した文字をハルくんはきちんと読んだのだろう。驚いて、目を見開いて固まっている。
何を伝えようかは、散々迷った。
泣かせるなとか幸せにしろだとか、そんなことも伝えたかった。そんなありきたりな言葉たちも。けれどそれはわたし以外からもたくさん言われてきたことだろう。
だからわたしは幸せを願う言葉より、最悪を回避する言葉を選んだ。
だってそもそもハルくんは、ちゃんとルーのことが好きなのだ。幸せにしたいと思っていることは明白だ。そうであるのなら、それを前提としてわたしはルーが苦しまないようにしたい。
つらいものだ。これが普通だから、当たり前のことだから、そう言われることは。言われ続けることは。努力でどうにかなるものだったら構わない。けれど理解していて、それでも出来ないこともあるのだから。
これからルーがハルくんと恋や愛を知っていけるのならそれで良い。そうなる可能性だって十分にある。けれどもしもわたしのように欠けているのだとしたら。わたしはルーに、わたしのようになってほしくない。笑っていてほしい。
体の中にあった紙を、食べることを意識して消化する。これでわたしがハルくんに伝えたことはどこにも形に残らない。ハルくんだけが受け取っている。
ハルくんはわたしを見て、優しく微笑んだ。
「ノラは、不思議だよね。ルーの保護者みたいだ」
まあね。とはいえ実際は侯爵家にめちゃくちゃ養われている居候スライムだけど。
「……子供の頃から、気付いたらルーのことが僕は好きだった。けれどね、ノラ。わかっているよ。ルーの好きが僕とは違うってことは」
そうだよね。現状、ルーのハルくんに対する好きは、両親やリィンやウィルくんが好きというのとまるで同じものだ。ハルくんはずっとルーを見ているのだから、気付いていないはずがない。
「兄上たちのように、リィンたちのように、同じだけの感情を返してもらえることは、とても幸運なことだと思う。それはきっと、当たり前ではないことだよね」
好きだから、好きになってほしい。愛しているから、愛してほしい。同じだけ。それ以上。そんな風に求めてしまうことは当たり前のことなのかもしれない。けれどそれはひどく難しいことだ。
「もしも感情がそこに伴わなくても、ルーに求められるものは多い。王族になるから。責任があるから」
ハルくんもそうだったのだろう。王族として、第二王子として求められるたくさんのもの。それを今度はルーも背負っていくことになる。
そしてその中には子供のことがある。
第一王子であるウィルくんは隣国の婿だ。だからハルくんとルーの間に世継ぎが生まれなければ困るのだ。王族の直系はウィルくんとハルくんしかいないから。
自然な流れで生まれてくれれば良い。けれどそうならなかった場合は?
『みんな当たり前に子供が生まれるのに、なぜ出来ないの?』というその責めは、王妃、王太子妃である以上避けられず、大きく重いものだ。そしてルーが潰れそうな時、支えることが出来るのはハルくんだ。
ハルくんはそれをしてくれる?
もしもルーがハルくんを同じだけ愛せなくても。もしもルーに子供が出来なくても。
「ノラ。僕はね、ルーにも僕を好きになってほしいって勿論思うよ。子供だってほしい」
そうなってくれるのが理想的だ。わたしもそう思う。
「でも、そうだね。そうならなかった時のことをノラは心配しているんだよね。ノラはやたら賢いし」
ハルくんは撫で撫でとわたしの体を撫でる。
ハルくんは頭が良い。だから臆病なわたしと同じように、最悪を想定して色々考えているのだろう。
これ相手がウィルくんとかルーだったら、わたしの気持ちが伝わらない自信、あるわー。
「好きになってもらえるように、そっちは努力する。子供のことは……その時は話し合いしかないね。王族という立場上、必要だから。ああ、でも嫌だなあ」
そう言って、ハルくんは苦笑する。
養子という選択肢も難しく、隣国の血が混ざる以上ウィルくんの子供も難しいのだろう。とするならば子供が出来ない場合に取れる手段は数少ない。現在の王様王妃様がもう一人頑張るか、ハルくんが側妃を娶るかだ。何にしても難しい話で、つらい話になる。ルーにもハルくんにも。
ごめんね。でもわたしの大切はルーだから。ハルくんには悪いけれど、わたしはルーの味方なんだ。
「まったく。……でも僕はそういう、ルー至上主義なノラのこと、すごく好きだよ」
そんなわたしの心情を理解してか、ハルくんが仕方なさそうに笑う。
例えルーの心が伴わなくても、責任を果たす為にすることも多くあるだろう。それはきっとルーもわかっている。けれど、わかっているからといって、つらくないわけではないのだから。
逃げることは出来なくても、寄り添ってあげてほしい。一番近くで。
「約束するよ、ノラ。話をするよ。ルーと、たくさん」
そう言って、ハルくんは微笑んだ。
しばらく経つと、ようやく支度を終えたルーが応接室へとやってきた。
「ごめんなさい、ハル!……あら、ノラちゃんもいたの?」
ルーはかなり慌てて来たらしい。ごめんね、わたしがわざと遅らせたんだけど。何をしたかって言うと、ルーの部屋のクローゼットを異物を詰め込んで開かないように細工したんだよね。着替えられないように。
「ノラといたから、全然待った感じがしないよ。楽しかった」
うんうん。有意義な時間だった。みんなには申し訳ないけれど。
「二人で何をしていたの?」
「うーん。秘密かな」
「ええっ気になるわ!」
「黙秘します」
ハルくんがからかうように自分の口元を手で隠す。するとルーは隠されると気になったのか、わたしの方をじっと見た。
まあハルくんも黙秘だし、わたしもそうなるよね。この話は元々ルーには内密のつもりで暗躍したわけだし。というわけでわたしも黙秘なのでハルくんの後ろに隠れる。
「ノラちゃんまで!」
がーん、という効果音でも聞こえてきそうなほどショックを受けたとわかるルーの表情。ハルくんはそれを見て思わず吹き出して笑ってしまった。わたしにも口があったら、吹き出して笑っていたくらいだよ。
そんなハルくんの反応を見たルーは今度は大層な不満顔である。
「ごめんごめん。ねえルー、今日お土産にルーの好きなお菓子持ってきたんだけど」
「あからさまな逸らし方だわ!うう、でもお菓子は嬉しい……!」
「新作だって言っていたものも一緒に持ってきたよ」
「えっ本当?」
ルーの目がキラキラと輝いている。これはもうさっきまでの会話内容全部吹き飛んだんじゃないかな。流石ハルくん。既にルーの扱い方を心得ている。
「どんなものかしら。楽しみだわ!」
子供みたいにルーは笑う。無邪気で、無垢で。押し潰されないでほしいと願う。当たり前という言葉と、大きすぎる責任に。
出来ることなら報われてほしいと思う。
初恋がこれから生まれるように。生まれた先が、柔らかな春のように暖かい眼差しで見守る、彼の方向であるように。
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