32・あるスライムと恋バナ
よく耐えたものだと思う。
食堂でその話を聞いてから食事を終え、廊下を歩き、わたしの部屋に一人と一匹で訪れ、きちんと扉を閉めるまで。
「…………」
しん、とした静けさの後、ぷっと吹き出す音がした。
「むり、……もう無理笑っちゃう……!!ねえノラちゃん、見た?あのお父様とお母様の呆気に取られた顔!私、あんなの見たことないわ!」
もう耐えられず、ルーはお腹を抱えて大笑い。
食堂を出る時からこちらを見てニヨニヨと笑いを噛み殺していたリィンは、ルーがこうなることを予想済みだろう。
「ほんとリィンお兄様は最高よね!」
そう、今日はリィンの件の計画を両親に話したのだ。
「結婚式が終わったら、妻とちょっと海の果てと地の果てを見てきます。たぶん一年くらい」
リィンとルーの両親は、ぽかーんである。
流石に遠くない?長すぎない?の当然の問い掛けに、リィンは学校を成績トップでい続けた約束の旅行だと強気の姿勢を崩さない。しかもリィン、ちゃっかりちょっとした商売をしていてお金もしっかり稼いでいた。旅費も護衛の手配もそれで事足りると予算の詳細まで計算して提出。先に伯爵家の許可までもぎ取っているという、反論を許さない完璧な布陣だ。
まあ、約束は約束だからね。そうして見事両親の言質を勝ち取っていたのだ。入念に準備された努力家の計画の恐ろしさよ。どこからどう見ても勝ち確だったよ、あれは。一体何年前からこつこつと準備していたのだろう。
で、鳩が豆鉄砲をくらったような両親の顔にルーは大笑い。
「ちょっとですって、一年掛かる旅行って全然ちょっとじゃないわよね」
もう笑いすぎてルーは涙目になっている。余程ツボにハマったらしい。
「ふふ、海の果てと地の果てね。本当にただ楽しむ為だけに旅行に行くのね」
リィンの話を聞いたルーの反応は、嬉しそうだった。
侯爵家の嫡男として真面目にあり続けたリィンのことを、ルーはルーなりに心配していたのかもしれない。
まあね、リィンの休日や旅行って結構領内巡りが多かったものね。わたしも一緒に行ったりしたし、あれはあれで楽しんではいたと思うけれど、仕事から完全に切り離されたものかといえばそうではない。
海の果てに地の果てなんてどんな場所かわたしには想像もつかないけれど。果てって言うくらいだから、何にもなさそうな場所っぽくない?掛かる時間もとんでもないし。
「お兄様は本当に、お義姉様のことが好きなのね」
ようやく笑いが落ち着いたルーが、息を吐いて呟く。
「ねえノラちゃん。実はね、ララもお相手が決まりそうなのよ」
何だって!あのヒロイン感溢れるララちゃんが?この間その話したばかりなのに早くない?
「随分頑なだったから、これは何かあると思って問い詰めたのよ」
自慢げなルーの姿である。相変わらず強い。
「そうしたらね、幼馴染みと小さい頃に結婚の約束をしているって言っていたわ。今もその幼馴染みくんが覚えているかはわからないけれど、とも言っていたけれど」
まさにテンプレ。ララちゃんの幼馴染みってことは同じ街に住む平民の子だろう。急遽貴族の学校に通うことになって離ればなれになったわけだけれど、大丈夫なのかな?
けれどララちゃんも顔面偏差値が高い人間が多い貴族に囲まれてまだ幼馴染みとの約束を大切にしているのなら、大丈夫なのかな。順調にいってもあと卒業までは一年以上の時間がある。その先にララちゃんがどんな道に進むのかはまだわからないけれど、その小さな約束をお互い大切にしているのなら、いずれ道は交わるものだろう。
「すごいわね。みんな、ちゃんと恋を出来るのよね」
真っ白い大きな紙に、ぽつりと墨を落としたような声だった。
わたしはそれに覚えがある。それがルーと同じものなのか、そうではないのかはまだわからないけれど。
ルーは、婚約者であるハルくんを特別好きなわけではないのだろう。
まだ恋を知らないだけなのか。違うのか。
……意外、といえば意外だなあ。
婚約する前から、ルーとハルくんの仲は良かった。もっともそれは友達であったり幼馴染みであったり、そういった情だろうけれど。
時間の変化とともにハルくんがルーのことを女性として好きになったのだな、ということは、態度を見ればわかった。ハルくんがルーを見る目は特別優しいし、二人でいる時には随分と笑う。ルーが大切にしているものはハルくんも大切にしている。
けれどルーは、と考えてみれば、確かにハルくんとは違うなと思う。子供の頃からと変わらない感情と距離感だった。大切に思っていることは、確かだろうけれど。
貴族の結婚なんて政略的なものがほとんどだし、そんなものだ、といえばそうなのだろう。最低限お互いを尊重し、大切にすることが出来ているのなら、政略結婚としては満点だ。それ以上を求める、となると、また違う話になる。
「ねえ、ノラちゃん。気持ちって、やっぱりおんなじだけのものを返さなくちゃ、いつか破綻してしまうのかな」
ルーはそのハルくんとの差異に気付いている。気付いたところで心なんてコントロール出来るものではないのだけれど。
……どうかな。わたしには正解がわからない。
けれど求めて返されないことも、求められて返せないことも、どちらもつらいことだ。実体験では後者しかわたしは知らない。そしてわたしは破綻した天秤しか知らないのだ。わたしの方に乗せるものがない為に。
ぴとりとルーに体を寄せる。
わたしとルーは、どこか似ている。だからもしかしたら出会ったのかもしれない。友達になったのかもしれない。
けれどわたしは思う。ルーには、心がきちんとついてきますように、と。
「心配してくれているの?ありがとう、ノラちゃん。……私、ちゃんとわかっているわ。大切にされていることも。嫁ぐ以上、その責任も」
そうだね。きっとルーなら、ちゃんとやれるのだろう。もしも乗せるものがわたしと同じように見つからなかったのだとしても、壊れた天秤をそのままにはしないのだ。
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