28・あるスライムとある料理長の一幕



 俺の働く侯爵家には、ちょっと変わったスライムがいる。

 スープが好きで、人の言葉を理解しているような行動を見せる、ノラという名前のスライムだ。

 見た目は他で見かけるスライムと何一つ変わらない。というかスライムなんてどれも同じ姿をしている。見分けはつかない。


 ルーリルアお嬢様に随分可愛がられてきたノラはある日突然姿を消した。

 これまでもしばらく姿が見掛けないな、ということはあった。そういった時でも探してみれば屋敷の中にいたり、いつの間にかひょっこり戻ってきていたりで、恐らくどこかで日向ぼっことかをしているのだろうとみんなで話していた。実際、日向で見つけたことが何度かあったからだ。

 けれどその時はいつまでもノラは戻らず、見つからず、どこへ行ったのかもさっぱりだった。

 十歳になったその時のルーリルアお嬢様は、何度も何度もノラを探して回ったけれど、以前のように泣いてしまったり、他のことに手をつけられなくなってしまったりすることはなかった。

 きちんと勉強の時間を取り、食事をし、眠り、空いた時間でノラを探している。

 成長されたな、と感じた。

 けれどそんなルーリルアお嬢様の思いも虚しく、五年以上もの間、ノラの所在は掴めなかった。俺や他の使用人たちも探したし、休日も街のどこかにもしやいるのではないかときょろきょろしてしまったが、見つかるのはノラではないスライムばかり。

 ノラのように意思疎通を試みてみても、どのスライムもノラのような反応は示さない。


 一年経ち、二年経ち、三年経ち。

 それでも俺を含めて屋敷の者たちはノラのことを待った。スライムは子供でも簡単に倒せるほどに、とても弱い。どこかでノラはもう誰かに倒されてしまってこの世にはいないのではないかとも思ったが、同時に賢いノラなら何とかしているのではとも思う。

 俺は毎日料理を作り、ノラの分のスープを少し残しておき、今日も来なかったなと残ったスープを食べる。こんなに美味く作ったのに、残念だったなと思いながら。





 結局五年以上経って、ある日突然ノラはけろっと帰ってきた。何の前触れもなく、屋敷の門前に来たらしい。

 こっちの心配なんて意にも介さないように平然とした様子で、出したスープをぐびぐび飲んだ。毒気を抜かれた。まあ元々、スライムだしな。俺たち人間とは違うペースで生きているのかもしれない。

 でも良かった。生きていて、帰ってきてくれて良かった。


 ノラが不在の五年の間、俺もまた何もしていなかったわけではない。

 料理の腕を磨くことは勿論、ノラが好きなスープも、帰ってきた時に驚かせてやろうと努力は続けてきた。

 近年、みそスープというものが出てきた。どうやら侯爵領内で生まれたものらしいのだが、以前それを領民に振舞ってもらった商人がいたく気に入ったそうで、みそという食材をその時少し分けてもらった。それを流通出来るように工面し、売り出しているのだという。

 俺は長らく侯爵家に仕えてきたがみそのことは知らなかった。まさか侯爵領内にそんなものを作っているところがあったのだとも。

 一度食べたが不思議な味で、だがどうにもクセになる。それで侯爵様の許可を得て、屋敷でもみそスープのレシピ研究をはじめ、作っていた。料理人としての好奇心があったのも勿論だが、スープがやたら好きなノラは新たな味に驚き、喜んでくれるだろうとも思ったからだ。

 そうして何度も試作をし、侯爵家の食卓に出して良いレベルまで仕上げた。


 けれどスープなら何でも食べるノラが、みそスープだけは何度出しても一口も食べなかった。

 最初は好みではないのかと思ったが、ノラはスープならば何でも食べる。塩と芋だけのスープでさえガツガツ食べていたし、まだ練習中の料理人の試作品も何ならもらって食べていたくらいだ。その中には正直、まだ実力不足だろうというものだっていくつもあった。

 みそ自体が苦手なのかとも思ったが、食べてもいないのに苦手というのも不思議だし、それにメイドが作って渡したというみそクッキーは食べたらしい。

 ならば俺のレシピと技術不足かと何度も試行錯誤をしては具材なども変えて出したけれど、一向にノラはみそスープだけは食べない。

 今日も夕食がみそスープだったが、ノラは一切手をつけず、椅子に座っているだけだったという。

「はあ……みそスープ、ノラはいらねえのかな……」

 長年料理人として誇りを持って仕事をしてきた。ちょっと意地になってみそスープを食べてもらいたいと躍起になった自覚はあるが、どうにも解決策も思い浮かばない。

「料理長のみそスープ、すげえうまいっスけどね!」

「お前に言われてもなあ」

 弟子でもある料理人が今日のみそスープを食べながらニコニコと感想を話す。

「料理長」

 突然調理場に響いた声に俺も弟子も思わずびくっとしてしまった。普段ここに来ることはない方が来たからだ。

「ルーリルアお嬢様。こんなところへ、どうされましたか?」

「うん……ノラちゃんはみそスープ、食べないでしょう?そのことを料理長は気にしていると思って」

「ああ、そのことでしたか」

 いつも食事を共にされているルーリルアお嬢様だ。ノラがみそスープだけを食べないことを気付いていたのだろう。

「今日のはかなりの自信作だったんですがね。ダメそうでしたので、次からはノラには違うスープにした方が良いかと考えていました」

「料理長、私たちの食事がみそスープの時は、ノラも同じで構わないわ。……残してしまうのは、申し訳ないけれど」

「いえ、ですが食べないものをお出ししても……」

「食べないけれど、ノラちゃんはいつも見ていると思うのよ。もしかしたら匂いとかも嗅いでいるのかも」

「そう、なのですか?」

「うん。だってスープ以外の食べないものには見向きもしないのに、みそスープだけはそっぽを向かずにじっとしているの」

 言葉の通じないスライムに明確な話を聞くことは出来ない。従魔契約をすれば別だが、ルーリルアお嬢様はそのことをノラがいなくなった後でも戻ってきてからも口にすることはなかった。

 理由はわからなくても、わからないままでも、種族が違くても、ルーリルアお嬢様とノラの間には確かなものがあるのかもしれない。

 言葉の通じる人間同士だって、言わないこともある。何もかもを伝えないからといって関係性が崩れるかといえば当然それは否だ。

 ノラがみそスープを食べないのも、食べなくてもそこでじっとしているのも、ノラにしかわからない理由があるのだろう。

「わかりました。今後とも、精進します」

「ありがとう」





 それからも俺は侯爵家で料理を作り続けた。

 ノラは相変わらずスープばかりを好んで食べる。

 やがて俺が引退し、弟子に引き継いで。

 けれど俺が知る間、生涯ノラがみそスープを食べることはなかった。


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