21・あるスライムと命の価値
村の人たちの多くは回復した。侯爵家の支援もあって、流行病の被害は最小限で止められたと言っていいだろう。
そこに村にいる野生のスライムたちが一枚噛んでいることは誰も知らない。スライムたちの安全の為にも知られない方が良いことだ。
まあ誰もただぽやぽやしているだけのスライムが空気感染を食べて防いだなんて思わないだろう。スライムたちも喋れない生き物だし、例え従魔契約をして意思疎通が出来るようになったとしても、スライムの本能がお話NGを必ず出してくる。本能に逆らうスライムは性質的にまずいないから、このことが漏れることはない。
そしてまだ回復に時間が掛かっている人間には、闇魔法使いと薬師が無償で診てくれる。
無償というか、侯爵家からお金はもらっているんだろうけどね。村人から取らない、ということだ。
シユはどちらの世話にもなった。
闇魔法使いは治癒魔法を掛け、薬師はいくつかの薬を処方した。けれどどちらの表情も明るくはない。もう、わかっているのだ。
わたしが以前、シユの体の中の病原を食べた時。その時にはもう手遅れだった。
シユは村の人間の中でも、流行病に罹るのが早かった。シユの両親もだ。だからシユも若く、また両親も働き盛りであったのに、治療が間に合うことはなかったのだ。
ずっと流行病に侵され、弱った体はもう長くない。
食べ物はなかなか受け付けず、ゆっくり食べても時に吐き戻し、眠る時間が増えてきた。眠るというか、意識があってもなくても、動けない時間が増えている。
気休め程度の治癒魔法と、薬。
それでも流行病で寝込んだまま最期を迎えるよりは、幾分か有意義なものではないだろうか。
「……そうだ、みそ汁、作ろう」
寝ていたシユは思い出したように起き上がる。
「何の具がいい?やっぱり豚汁?」
痩せ細り骨が浮いた状態のままでも、シユはにっこりと、眩しいくらいに笑う。言葉を返せないスライムのわたしに。
豚汁が好きなわたしは、ぴょんぴょん跳ねてみせる。すると、シユはとても嬉しそうに笑った。
シユはいくつかの種類のみそ汁やスープを作ってくれたけれど、中でもわたしは豚汁がお気に入りだ。そのことは喜んで震えて食べている様子から、シユも理解したらしい。
「味噌、もうなくなっちゃうね」
元々大した量があるわけでもなかった味噌は、もうほとんど残っていない。
というより食材がそもそもあまりこの家にない。シユがあまり食べれない状態だから。それでもわたしがスープを喜んで食べることを知っているシユは、村の人間の手を借りて多少の食材は置いている。シユの分は村の人間が心配して調理済みの食事を持ってきてくれるから、わたし用のスープの分くらい。
「でも、もう、作れないかな……」
ふと、シユの手が止まる。またどこか遠くを見ている。
しばらくするとシユはまたふらふらと動き出し、慣れた手付きで豚汁を作る。
もう三人分の食事は作らなくなった。少しだけの、スライムだけの分を彼女は作る。それも休み休みで、思うように体が動いていないというのはわたしから見ても簡単にわかることだった。
くたくたに煮えた、不揃いの野菜。野菜に対して少量の豚肉。懐かしい味噌の味。
味見はしていたのに、どうしようもなく、しょっぱい味。それに微塵も気付いていない様子の彼女。
「おいしい?スライムさん」
出来たての豚汁をすぐに食べてしまうわたしを見て、彼女は笑う。青白い顔で、嬉しそうに。
『おいしいよ、とても』
わたしの心の中の声。
聞こえていなくても笑っている。
「……ねえ、スライムさん。あたしね、前世の記憶があるの。って言ったら、信じてくれる?」
豚汁をもりもり食べているわたしに、シユが話す。
これは屋敷にいた時と同じで、回答を求めてのものではない。ただ話したくて話すことなのだろう。誰かに聞いてほしい。聞いてほしくない。そんな曖昧な気持ちの。
実際、シユにもう同居家族はいない。村の人間と話すことはあっても、長時間親しく話をすることもない。以前はどうだったのかはわたしは知らない。けれど今は接触を避けている感じはする。だからこんな話をする相手は今のシユにはわたし以外にいないのだろう。
誰もいない場所での独り言ではあまりにも寂しい。だからスライム相手は、丁度良いのだ。
「流行病に罹ったあと、急にぶわって思い出したの。それまでは何も知らないできたけど、でも前世の料理が懐かしかったのかな。味噌は既に自作していたんだよね」
なるほど、命の危険があった後の思い出し系か。しかもこれ、出身は日本だろう。
「前世のあたしは、なんていうか、親に全然愛されてなくてね。ネグレクトってやつ?それで家飛び出して、愛されたくて、でも変な男に引っかかってばっかで。結局愛されないまま死んじゃった」
顔も知らないシユの前世の話。それはどこにでも転がっているようで、けれどたった一人しかいない、彼女だけの物語だ。
数多いる人間のその中の一人。かつてすれ違っていたかもしれない誰か。
「でもね、シユとしてのあたしは、両親にすごく愛されていたの。味噌とか、わけわかんないもの作ろうと頑張るあたしのこと、すごい笑顔で応援してくれてさ」
ふわ、と笑う。そうだ、シユは笑っていた方が良い。顔色が悪くても痩せていても、シユは美人だと思う。
「……」
けれどふと、口を閉ざす。もう両親はいないのだ。
はらはらとシユの目から涙が溢れる。
流行病に罹る前の、幸せだった家族を思う。わたしはシユの両親の顔を知らない。けれどきっとどこかシユに似ていて、そして優しい両親だったのだろう。この狭くて暖かな家の中で、確かに暮らしていた。
姿は知らなくても、見えなくても、残っている。三人分の食器も、年季の入った家具も、家に残る一つ一つに。
「あたし、生まれ変わっても、父さんと母さんの子供になれるかな」
「どんな姿でも、どんな種族でもいいから、父さんと母さんの子供になりたい」
「もっと二人に大好きだよって言いたい」
「ありがとうって伝えたかった」
矢継ぎ早に彼女は話す。
眩しい、と思う。
今世、両親に愛された人生だったとしても、流行病で苦しんで苦しんだ末のたった十五年程度の命だ。前世に至ってはただただ苦しいだけのもののような感じなのに、彼女はまだ、生まれ変わった先に希望を持てるのか。
次も両親に愛される確証はないし、苦しまないかも、早死にしないかもわからない。苦しんだ何もかもを手放す方が楽なのに。
「それにあたし、憧れてるから。両親みたいな関係に」
まだはらはらと涙は止まらないままなのに、彼女は柔らかく微笑む。苦しみなんて微塵も感じさせないほどの、暖かな春の日だまりのように。
「愛されたい。誰かに。あたしだけの人に」
瞬間、溶けるような気持ちになった。
命の価値は基本、等価だ。
一人にひとつ。一匹にひとつ。人間でも動物でも植物でも何でも、それに変わりはない。
どれも生きて、どれも死ぬ。誰も彼もそれは同じだ。
わたしが死んでも、わたしではないスライムが死んでも、ルーが死んでも、リィンが死んでも、それはひとつの死。死んでしまえばそれまでで、そこでおしまい。
命の価値を変えるのは、何だろう。
親が子供を大切にする気持ち。みんなの役に立つ存在。偉い王様。あいしているひと。
溶けるような気持ちになって、わたしの中の命の価値が変わったことに気が付いてしまった。
わたしは自分が死ぬのは別に、どうでもいい。
けれど彼女には、……彼女には。
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