19・あるスライムとスライムの恩返し



 このところ、屋敷内の雰囲気が少し暗い。

 勿論使用人さんはみんなプロの使用人さんなので、仕事中は表に出すことはない。けれど休憩時間とかにする雑談では、ちらほらと不安や心配の声が聞こえてきた。

 どうやら、流行病が侯爵家領地で起こっているらしい。

 流行病、というのは時折一部地域で非常に増える病気で、その症状は様々。風邪のような症状のこともあれば、腹痛だけの場合もあれば、体に妙な模様が浮かぶ場合もある。要するにこの世界においての流行病とは『よくわからない病気全般』のことなのだ。

 よくわからないということは当然、治療法もない。わからなければ闇魔法で治癒することは出来ないから、魔法や薬で症状を緩和することしか出来ない。

 流行病の研究は国の主導で進められているけれど、追いつかない、わからないのが現状だ。

 前世で言うインフルエンザとか、あるいは昔に流行ったという黒死病とか……他にも色々ある。わたしの前世の世界では治療法が確立されたものでも、この世界では恐らくそうではない。だってまずどれが何の病気なのかもわかっていないのだから。

 だから流行病になると、この世界ではどうしようもないのだ。対処療法しか出来なければ当然、弱っていき耐えられない人間も出てくる。

 食料の供給、闇魔法使いと薬師の派遣、看病を行う人員の派遣、色々しているけれど、状況は芳しくないようだ。


「東の村の方、深刻だって聞いたわ」

「住民のほとんどが罹ってしまったらしいわね」

「ここまで流行るのも久しぶりだけれど……」

 ぽつぽつと話をする使用人さんたちの表情は暗い。特に東の村の出身者は、家族や友人が心配だからと仕事を一度お休みして村に戻ることにしたそうだ。屋敷にも何人かいるみたいだ。

「明日、支援の食料を積んだ馬車と一緒に帰るのよね」

「大丈夫かしら……」

 ここの屋敷の人たちは、使用人同士も仲が良い。だからこそみんな、心配でたまらないのだろう。


 ルーの両親も対応に追われてわたしは最近姿を見ていない。

 屋敷の食事も少し質素になった。食料の供給も行っているから、ある程度制限しているのだろう。それに東の村は農村だと聞いた。住民の多くが流行病に倒れた今、作物の育成は難しいだろう。

 闇魔法使いも薬師も人手も、派遣するにはお金が掛かる。

 いざという時の為に貯蓄はしているだろうけれど、いつまで、どのくらい続くかわからないものだ。


 けれどわたしはその流行病の話を聞いて、思った。

 たぶんそれ、わたしは『食べられる』と。


 元々、日差しやら空気やら曖昧なものを食べて燃料にしているスライムだ。ゴミを食べても体を壊すこともない。

 だからその流行病の原因の何か。菌なのか何かわからないけれど、それをわたしが選んで食べることは出来る、と思う。

 ただそれをする為には現地に行かなければならない。それにわたしはスライムが病原体を食べることが出来るという事実は、知られたくない。

 そもそもスライムは害のない、無能な魔物で通っている。もし病気に対処出来る個体がいるなどと知られれば、わたしだけではない多くのスライムが実験材料にされてしまうだろう。

 それは絶対にダメだ。

 ダメだと強く思うし、スライムの本能も警鐘を鳴らしている。絶対にやるな、やめろ、と。

 無能でいること、争わないことはスライムの生きる唯一の術なのだ。


 けれどわたし個人……いや、個スライムとしては、侯爵家にはとてもお世話になっている。

 リィンと一緒に侯爵領も色々行って、そのどこでも暖かく迎え入れられている。だから恩は返したい。

 とすれば方法はただ一つ。

 バレないようにやる、である。





 ちょうど明日、東の村行きの支援の馬車が出る。

 わたしは普段通りに過ごし、夜中にこっそりと馬車へと乗り込んだ。密入国ならぬ、密入村である。

 出来る限り体を縮めて、先に積んであった荷物に紛れる。村にさえ着いてしまえばわたしの見た目は普通のスライムと何ら見分けはつかない。村で奇怪な行動さえ起こさない限り、バレることはないだろう。

 そうしてわたしは、屋敷を発ったのだ。





 屋敷から数日掛かる東の村は、少し遠いということもあってリィンと一緒に来たことはない。

 リィンと出掛けるのは日帰りの出来る場所がほとんどで、たまに一泊して帰ってくることがあるくらいだ。

 農村、と聞いていた通り、東の村はのどかなところだった。

 とにかく広い、畑がいっぱいある。家はぽつぽつと間隔を空けて建っていて、今は出歩いている人はほとんどいない。しんとした、活気の消えた村だ。多くの人が寝込んでいるからだろう。

 先に村に滞在していた以前屋敷で見掛けたことのある使用人さんと、今来た人たちが話をして状況を確認する。

 わたしはその間にこっそりと、馬車から降りた。

 と、村にも野生のスライムがいた。折角なのでそのスライムの近くへ行く。

 ……こんにちは、というのはおかしいか。というより言葉を発せないスライム同士の交流ってあるのか?

 わたしたちはしばらく見つめ合ったのち(目がないのでたぶんだが)仲間かとわかりあえたので(恐らくはだが)とりあえず一緒に寝た。


「お、スライムが二匹寝てる」

「ああ、この辺りスライム結構いるみたいなんですよ。ほら、侯爵家でスライムを可愛がっているって聞いてからみんな、スライムを倒したくなくなってね。村の人たち、こうなる前はご飯まであげていたみたいで」

「なるほど」

「無害だし、よく見ると可愛いし。……こんな時だけど、癒しになってますよ」


 人間の会話が聞こえる。

 なるほど、ここはスライムの安全地帯だったのか。通りで。


 わたしはこの村に来てからじわじわと、病原らしきものをもぐもぐと吸い取っていた。まずは空気中に混じっているものから。人間の目には見えないだろうから、人間からはわからないだろう。

 けれどどうやら、スライムにはわかるらしい。

 わたしと隣り合ってご挨拶をしたこの野生のスライムは、わたしが吸い取って食べているものと同じものを、選んで食べはじめた。

 言葉はない。感情も感じない。けれど、こうすればこの村の役に立つことはどことなく理解したのかもしれない。

 そうだよね、安全にいさせてもらって、ごはんをもらったら、友達だ。弱いわたしたちを助けてくれた恩人でもある。だからみんなで、恩返しをしよう。


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