18・あるスライムの一日
広い屋敷のとある一部屋。元は客間だった日当たりの良いその部屋は、わたし、スライムのノラの部屋となって久しい。
部屋を与えられた当初以来、あまり物は増えてはいない。
元々置かれてあった人間用の家具に、窓際にわたし用のふかふかのベッド。わたしはスライムだから生活に必要なものというのは特にない。快適な寝床で嬉しいな、というくらいで。
わたしは多くの時間をこの部屋で過ごしている。
時間の流れや成長が早い人間と違い、スライムであるわたしの時間は穏やかに流れている。
年月が経っても体が成長するわけでも老いるわけでもない。どのくらい生きるのかわからないけれど、少なくとも殺されない限り人間よりは長く生きる。
だからのんびりまったり、こうして寝て過ごしているのだけれど。
ルーに遊ぼう遊ぼうと突撃されなくなってからは尚更、眠る時間は増えた気がする。
子供の頃のようにかくれんぼをしたり、抱っこされて散歩したり、そういうことはほとんどなくなった。散歩はたまにするけれど、かくれんぼのような子供の遊びは、リィンもルーももうしない。本格的な貴族としての教育がはじまったこともあるだろうし、二人が少しずつ大人になってきているということもあるだろう。
けれどそれを寂しいとは思わない。
ルーは相変わらずわたしのことが大好きみたいで、そこはずっとそのままだ。子供だった頃と愛情表現が変わっただけで、今でも好かれているという自覚はある。大切にされているな、とも。
お茶を飲みながら話を聞いたり、庭園でまったりしたり、たまに抱っこされて散歩したり。
そう、普通の友達のようだ。わたしは喋れず、意思疎通は出来ないままだけれど。
目を覚ましたわたしは、庭園に行きたいな、と思った。
もごもごと動いて部屋の外へと出る。のんびり廊下を歩いていると、メイドさんがすぐにわたしに気が付いた。
「ノラ、庭園に行きたいの?」
向かっている方向を見てそう思ってくれたのだろう、メイドさんが問い掛けてくれた。
わたしはぷるぷる震えてそうだと訴える。すると、メイドさんはにっこりと笑ってわたしを抱っこしてくれる。
「連れて行くわね」
わたしの移動がとても遅いのと、移動をとても面倒がっているのは周知の事実なので、こうしてわたしを見掛けた使用人さんで手が空いていた時には連れていってくれる。
だいたいわたしの行く場所は把握されているのだ。
自分の部屋に戻るか、庭園に行くか、スープをもらいに行くか。……本当に行動範囲狭いな。
屋敷に来た頃は良い感じの日向を探しに赴くこともあったけれど、結局部屋と庭園の日差しですっかり満足するようになった。
メイドさんは庭園の中で、日差しがぽかぽかと気持ち良さそうなところまでわたしを運んで、下ろしてくれた。
ありがとう、という気持ちを込めて震えると、メイドさんはにっこりと笑って仕事へと戻っていった。
今日も良い天気だ。心地良い。
うとうととしたわたしは、そのまま眠ることにした。
歌声が聞こえる。綺麗なソプラノだ。まだ大人になっていない、少女特有の幼さを残した細い声。
これは、何だっけ。この世界の子守唄だったかな。確か。まだルーが幼かった頃、大人たちがよくルーに歌って聞かせて眠らせていた。
「……あ、ノラちゃん。起きちゃった?」
眠っていたわたしの隣にいたのは、ルーだった。ワンピース姿で隣に座り、わたしを見るなりにっこりと笑う。
「でもおかしいわ、子守唄のはずなのに起きちゃうなんて。私、そんなに大きな声だったかしら」
ちょっと腑に落ちない様子でルーが話す。
歌声は穏やかで、優しかった。ルーが歌っていたとは思えないくらいに。わたしはたまたま目を覚ましただけなのだけれど、それを伝える術はない。
「午後ね、マナーの先生が急に来れなくなっちゃったの。体調が悪いんだって。それで今日のお勉強はなしになったのよ」
そうなのか。最近はワンピース姿のルーは珍しい。マナーの時は外出用のしっかりしたドレス姿だし、それ以外の勉強の時も人を迎えることに変わりはないからドレス姿が多かった。魔法の練習の時には動きやすい服装だったけれど、今は魔法の練習時間はあまり取れないでいる。
「どうしようかなあって思ったら、リエッタにノラちゃんは庭園で日向ぼっこしてるって教えてもらったから、着替えてこっちに来たの。ふふ、お日さま気持ち良いねえ」
緩やかに笑ってそう話すルー。子供の頃のような力の抜けた愛らしい笑顔だった。
確かに今日の日差しもとても良い。ぽかぽかとしていて、ずっとここで眠っていられそうなほどだ。
わたしはぴょんと跳ねてルーの膝の上に乗る。
それからしばらく、二人でのんびり。日差しを浴びて、うとうとして、庭園の草木花々を眺めて。ゆっくりとした時間が過ぎて行く。
「……私ね、ノラちゃんが来てから寂しいって思わなくなったの」
ぽつりと思い出したように、ルーが呟いた。
「子供の頃、ずっと寂しかった。お父様とお母様は忙しいし、お兄様もお勉強があったし、……今ではそんな忙しい中でも私に構ってくれていたってわかるけど、当時は一人の時間がただ寂しい、寂しいって。我儘よね」
実際にはルーが完全に一人でいることは少なかっただろう。常に使用人さんが誰かしらついているからね。けれど使用人さんはあくまでも使用人さんで、どんなに優しくても家族ではない。そういうことなのだろう。
「でもノラちゃんが側にいてくれるようになった。嬉しかったの。ただ側にいてくれるだけで」
そっとルーの手がわたしを撫でる。
もう子供の頃のような、大雑把なものではない。力任せに抱っこされることもなくなったし、撫でまわして離さないなんてこともなくなった。夜中に泣いて呼ばれて、一緒に眠ることも。
「ありがとう。ずっとここにいてくれて」
ルーはまだ大人にはなりきれていない。もうすぐ十歳になる、まだまだ子供といっていい年齢だ。
けれど貴族の教育故か、それとも王子妃になる為の教育故か、わたしが前世で知る十歳の子供よりももうずっとしっかりしている。
勿論根底は変わっていないと思う。出会った頃の子供のルーも飲み込んで今のルーがあるのだから。
けれど、そうだな。……前世のわたしにはたぶん、自分の子供はいなかったと思うけれど。きっと自分の子供の成長を感じた時って、こんな気持ちなんじゃないかな。
「でもまだ、側にいてね。私とずっとお友達でいて」
うん、勿論。
同意を示すようにぷるぷるぷると震えてみせる。
するとルーはあの頃みたいに、眩しいくらいの笑顔を見せた。
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