16・あるスライムと少女のダンス



「ギッ……!!!!」

 ああ、痛みを噛み殺した声。痛々しい。

「ご、ごめんなさい!ごめんなさい!」

「……いえ、お嬢様、……だ、だい、じょ……!」

 ちっとも大丈夫そうではない。

 痛みを堪えている彼はしゃがみ込み、ぷるぷると震えている。彼はこの屋敷の執事さんだ。

 何故こんなことになっているのかというと、ルーのダンスレッスンに付き合っていたのだけれど、まあ、つまり、足を踏まれたのだ。……かれこれ十回ほど。

 ダンスとは貴族が社交界で踊るお淑やかなダンスだ。前世にあったようなテレビで色んな人が踊っているあのダンスではなく、男女が二人一組になって手を取りくるくると踊る、いわゆる社交ダンスである。

 そしてこのダンスを踊る時、もれなく女性の靴はヒールだ。そう、その鋭いヒールの一点が、ルーの体重を乗せて執事さんの足に刺さるように踏みつけられる。

 とても痛そう。

 寝転がっている時に猫が乗っかってくることが、前世何度かあった。その時猫のおみ足の先に猫の体重が集中して掛かり、グッと刺さったような痛みと圧迫感があった。

 まあそれとは比べものにならないだろうけれど。ヒールの方が鋭いし……。

 それに猫に踏まれるのはちょっと幸福感もあった。が、執事さんはルーに踏まれても喜ぶ変態さんでは勿論ないので、ただただ痛々しいばかりだ。


 ダンスの練習がはじまったものの、ルーはどうやら苦手らしい。

 一人でダンスの基本やステップを学習した後は相手がいた方が良い練習になるからと、執事さんが練習相手になってくれているわけなのだが、ルーは何度もステップやタイミングを間違え、その度に執事さんの足が犠牲になっていく。

 最初のうちは執事さんも痛くても笑顔で耐えていたけれど、かれこれ十回ほど踏まれれば最早堪えきれないようだ。そりゃあね、同じところ何回も踏まれたら痛みも増すよね。

 それでも怒っている様子は微塵もないのは流石プロの執事。痛みだけが我慢出来ないようだ。


「ルーリルア様、体を動かすのはお得意のはずなのに、ダンスは……何故でしょうね……」

 ダンス講師の先生も遠い目をしている。

「ううっ……」

 ルーも苦手の自覚はしっかりあるようで、肩身が狭そうだ。

「いっそ練習のお相手の足に踏まれても痛くないように厚手の布をあてて……」

 先生の方はもう踏むことを前提に練習を考えはじめている。これには執事さんの顔も真っ青である。その厚手の布とかでどれほど痛みは軽減されるのだろうか。

「先生、ヒールのない靴での練習はダメなのですか?」

「ステップを覚えるくらいになら良いかもしれないですけれど……本番ではヒールは必ずあるものです。ヒールあるなしでは感覚が違いますからね」

「……そうですよね……」

 ルーはしょんぼりしている。執事さんには何度も謝っていたけれど、申し訳なさは積もる一方のようだ。

「このままでは少なくともお父様とお兄様とハルの足が犠牲になってしまうわ……」

 頭を抱えてルーが悩んでいる。

 ダンスの本番を迎えるのはまだ先だろうけれど、確かに踊るのなら家族と婚約者だろう。すると、このままいけば犠牲者はその三人になるのか。

 正直三人ともルーのことはすごく可愛がっていると思うので、踏まれたら踏まれたで慌てるルーの可愛さに痛みを忘れてニコニコしていそうだ。本番ならばこの執事さんのように、何度も踊って何度も踏まれるわけでもないだろうし。

 ちなみにこの執事さんとの本番を想定した練習もかれこれ数度行われているが、特別手当が出る上に練習後は手厚く足の治療も行われるので、彼は喜んで練習相手を続けている。勿論出来れば踏まれたくないそうだが。





 ハルくんの婚約者に正式に決まってからのルーは、結構忙しくなった。

 とはいえまだ子供なので家族と過ごす時間や遊ぶ時間、眠る時間は当然確保されている。けれど婚約が決まる以前よりは学ぶことがとても増えた。

 本格的な王族の作法や知識はもっと大きくなってからになるものの、王族の婚約者となる以上、普通の貴族令嬢よりも覚えることは多い。

 元々体を動かす方が好きで勉強はあまり得意ではなかったルーだけれど、成長したこともあり、ハルくんの婚約者なのだという自覚もきちんとあるらしく、泣き言はあまり言わずに励んでいる。偶然拾ってきた野良のスライムをここまで大切に扱うくらいだ、責任感は強いのだろう。

 頑張るルーを見て偉いなあと思う反面、わたしには絶対に無理だなと思う。

 よくある異世界転生とかで王族貴族になる話もあるけれど、わたしだったら即挫折だわ、これ。スライムで良かった。


「グッ……!!」

 いつの間にか休憩は終わり、ダンス練習は再開されていた。そして早速執事さんの足は犠牲になったようだ。

「あああごめんなさい!」

 本当に運動神経は良いはずなのに……。

 走るのは早いし、馬にも乗れるし、護身術もすぐに覚えたし、簡単な剣術も出来る。音感が駄目なのかと思えば、ピアノは出来なくてもヴァイオリンは弾けるし、歌も上手いからそうではない。

 それにダンスも、一人でステップの確認をする時はこんなに間違えないのだ。ちなみに執事さんは先生と踊って見本を見せてくれた時、ダンスがめちゃくちゃ上手いのは確認している。

 相手がいると緊張して駄目になるのか、あるいは複数のことを同時にするのが苦手、とかかな?

 ダンスは相手の動きに合わせて、音楽を聴き、踊る。練習だからルーと執事さんだけだが、いざ本番となれば周りにも踊っている人がいるので、そこも気を付けつつ踊らなければならない。

「…………っ!!!!」

「ごめんなさい!ごめんなさい!」

 ……まだ先は長そうである。


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