10・あるスライムとリィンの日



 日課であるふかふかベッドでの窓辺の日向ぼっこを楽しんでいたところ、コンコン、ととても控えめなノックが聞こえた。

 ここはわたし、スライムの部屋と化しているから、返事をする人間は誰もいない。わたしは喋れないからね。だから入るよーとノックはするけれど返事はないので、数秒後にいつもそっと扉は開けられる。

 見られて困るようなことはしていないし、居候のような感じの身だし、それは構わない。何ならノックなしでガチャリでも全然構わないのだが、この屋敷の人たちはみんな丁寧だ。

「ノラ、いる?」

 入ってきたのはリィンだった。

 わたしを見つけるとぱあっと嬉しそうな笑顔になる。この屈託のない笑顔、お兄ちゃんぽさが増して多少大人びて見えても、リィンもまだまだ子供だなあと思う。

 やってきたのは珍しく、リィン一人だ。入室するとすぐに扉を閉めて、わたしの側へと来る。ノックも声も小さめだったし、こう、忍んでいる感があるぞ。

 いつもわたしのところへ来る時はルーが一緒だった。ルーはわたしとよく遊びたがるし、勉強の時間もルーよりリィンの方が年上ということもあって長い。だからこうしてリィンとわたしだけというのは、ルーが寝た後の夜のちょっとした時間くらいだろうか。たまにルーのお昼寝中に来る時もあるけれど。

「ルーはね、今魔法の勉強中なんだ」

 こそっとリィンが教えてくれる。もう扉も閉めたし、そんなに小声で話さなくても外に漏れることはないだろうに。微笑ましい限りだ。

「だからノラ、今日はぼくがノラのこと、ひとりじめしていい?」

 内緒話をするように打ち明けられる美少年からの遠慮がちな可愛らしい頼みごと。これを断る奴は人の心がない。わたしスライムだけど。断れるわけないだろ。

 というわけで、ぴょん、と跳ねてリィンの肩に乗る。

 すると途端にリィンは満面の笑顔になった。

 ルーの前ではしっかりお兄ちゃんでも、リィンだってまだまだ子供なのだ。存分に大人やスライムに甘えればいいと思う。





 というわけで、何と街へ来たのだ。いや、ほんと何でだよ。

 リィンの口ぶりからてっきり屋敷内で何かしらの遊びをするのかと思いきや、リィンは両親の許可を取り、護衛の人たちに話を付け、あっという間に街まで来た。

 ルーのような無鉄砲さはなくきちんと許可は取っているものの、リィンも大人しそうに見えて行動力がすごいよね。流石兄妹。

 馬車を降りた後わたしはリィンに抱っこされ、街歩きが開始された。

「ノラ、この辺りはね、お父様が管理しているんだよ。いいところでしょう」

 歩きながらリィンは自慢げに話す。あそこには何があるだとか、あのお店の食事はおいしいだとか、目についたものをぽんぽん言葉にしているようだ。

 幼い頃から、まあ今も幼いが、この街に親しんでいるのだろう。貴族と平民という垣根を超えて、街の人たちもリィンに気軽に挨拶をしている。良い関係性のようだ。ただ護衛さんたちは常に注意をしているし、街の人たちもそこは理解しているのか必要以上に近付くことはしない。

「みんなに困ってることがないのか、ちゃんと自分の目で確認するのも、だいじなんだって。いつか、お父様のあとはぼくがやることだから」

 こんなに小さくても、リィンは色々なことをしっかり考えているんだなあ。わたしとは大違いだ。

「それにね、ノラにも見てほしかったんだ。ぼくたちのまちは、とってもいいとこだよって。ここだけじゃなくてもっと遠くにもあるけど、そこもいつかノラと行きたいなあ」

 うん。確かに、リィンに抱っこされて歩いて見ていると、良いところだと思う。道も整備されているし、崩れそうな建物もない。古いものはあるが、きちんと手入れをされているようだ。痩せ細った子供もいなければ、ゴミが散乱、なんてこともない。

 リィンが歩いているのは大通りだし、ここは恐らく大きな街だ。奥まった場所だったり小さな村は実際どうなのかはわからないけれど、たぶんそういうところも考えて治めているんじゃないかなと思う。


 昼食の時間帯に入ると、リィンは一軒のお店に入った。

「こんにちは」

「おや、リィン坊じゃないの。一人?」

「ううん、スライムのノラと一緒。一緒に入っても大丈夫?」

「いいよいいよ、入んなさいな!」

 店内にいたのは恰幅の良い女性だ。はきはきとした笑顔で迎え入れてくれた。奥からもう一人、似た体付きの男性が出てくる。

「おう、リィン坊。久しいな」

「こんにちは。今日はともだちをね、連れてきたんだ」

 リィンは少し照れながら、そうしてわたしを紹介する。

 流石に友人スライム、いや人ではないな、友スライムには迎え入れてくれた二人もびっくりしたようだけれど、それでも友好的な雰囲気は変わらなかった。

 料理を待つ間リィンが話してくれたのだが、二人は元々リィンの家で夫婦で働いていたらしい。通りで親しげだ。女性の方はリィンの乳母を勤めていて、男性の方は庭師だったそうだ。お金が貯まったから、念願の飲食店を開いたのだとか。

「ここの料理、ノラは絶対好きだと思うんだよね」

 リィンはにこにこと、終始楽しそうだ。


 運ばれてきた料理。それは確かにリィンの予想通り、わたしが好きなやつだった。

 お鍋だ!!!!

 屋敷ではスープは皿に盛り付けられて出てくるけれど、どこからどう見てもこれは鍋。ぐつぐつとまだ熱々で煮えている。

 鍋じゃん……何これ最高じゃないか……。

 見た目的にはすき焼きのようだ。大きなお肉がどん、と鍋の中にあり、その他に白菜や春菊、ネギのような見た目の野菜。春菊以外は屋敷で食べたけれど、味はイメージそのままだった。そこに更に豆腐まである。白滝は流石に入っていなかったけれど、他にもいくつか見たことのない野菜のような食材が入っていて、おいしそうな香りを漂わせていた。

「熱いから、気をつけて食べてね」

 リィンがわたしの分を取り皿に綺麗に盛ってくれた。優しい。

 卵をつけて食べる習慣もないようだが、わたしは元々すき焼きの卵はなし派だったので気にならない。

 そそ、と体を伸ばして取り皿のすき焼きを取り込む。味はやっぱり、すき焼きだ!入っている野菜が多少違うのもあってか、前世とまったく同じ味ではないけれど、おいしい。すごくおいしい。

 もりもりとすぐさま食べるわたしの様子を見て、リィンはとても満足そうだ。

「おいしいね、ノラ」

 こくこくと心の中で頷く。体ではひとまず、ぷるぷるぷると震えて喜びを表現した。

「今日のことは、二人だけのひみつだよ」

 秘密ごとを作ること自体が、リィンは今楽しいのかもしれない。出掛けるとは告げたものの、行き先ややったこと、話したこと、食べたもの、それらは確かにリィンとわたしの秘密と言える。

 正しくは護衛さんたちもいるけれど、そこはそれとしてね。





 この日以降、リィンとは時々秘密のお出掛けをするようになった。こんな風に街を歩いて、おいしいものを食べて帰ってくるだけのことだが、リィンには良い気晴らしになっているようで、いつも嬉しそうに笑う。

 おいしいものを食べられることは勿論だけれど、リィンのこういった子供らしい表情を見ることが出来るのはわたしも嬉しい。


 そしてこれは今よりずっとずっと未来の話だけれど、この秘密のお出掛けはリィンがすっかり大人になってからも続くことになる。

 大人になったリィンもこの時ばかりは子供みたいに笑うので、やっぱりわたしは嬉しく思うのだった。


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