3・あるスライムとにいさま
それにしても、人間に抱っこされて移動する、というのはなかなかに快適だ。
生まれてからこれまで自分の意思でもそもそと移動していたこともあった。湖の側までだとか、よく日の当たるところまでとか、大した距離ではないけれど。だが正直言って、ルーが歩いた方が断然早い。
だって移動、少し面倒だよね。だらだらと動いていると、どうやら人間の子供の足より遅いらしい。でも早く移動したいとは思わない。疲れるし。気持ちが。
スライムだって本気を出したらもっと早く移動は出来るのかもしれないけれど、わたしじゃないスライムでもそんなことをしている個体はいないんじゃないかな。だってスライムは色々希薄というか、食事にこだわりもないし、死にそうになったからといって逃げることもしない。急いで移動する理由が基本的にないんだよね。
まあでも自分の労力を使わずに、こうして景色が変わっていくのは少し面白い。折角だから森以外の景色も見てみたいという気持ちもある。
ルーがわたしを抱っこし、話しながらてこてこと歩いていると、進行方向から小さな声が聞こえた。
「あっ、にいさまのこえだわ!」
なるほど、ルーのにいさまの声か。
のほほんとしたルーに比べ、聞こえてくる声はちょっと切羽詰まったような雰囲気でルーの名前を何度も何度も呼んでいる。
ほほう、これはあれだな。ルーはたぶん、勝手に抜け出してきた系か。良いとこのお嬢さんっぽい幼子が一人でいるのは変だなあとは思ったよ。
一応ルーは来た道は覚えているようだから迷子とは言い難いのかもしれないけれど、探している方からしてみればそんなことはわからない。必死に探しているのも頷ける。というか、ルーに危機感が足りないのだと思う。とりあえず可哀想だから、にいさまとやらに早く返事をしてあげてほしい。
「にーさまー!」
ここでようやく、ルーがちゃんと大きな声で返事をした。
どうやらあちらにも聞こえたらしく、ルーの名前を呼ぶ声は段々と近付いてきた。ルーのにいさま以外の複数の声もするし、結構必死に探していたのではないだろうか。
恐らく探されているであろうルー本人は、呑気なものである。
と、ガサガサと近くの草が揺れた。
けれどそこから飛び出してきたのはルーを探していた人たちではない。その人たちの声はまだ距離があった。出てきたのは、ルーの体よりも大きい猪だ。
スライムとは違い、猪は見た目も可愛らしくはない。猪の子供ならば可愛らしかっただろうが、これは野生の成獣だ。しかも気が立っているように見える。ここの猪は気性が荒いものが多く、誰彼構わず攻撃をしてくる動物だ。人間も例外ではない。
「あっ……」
流石のルーもびっくりしたのか、足を止める。
やばいな、これは。ルーと猪、完全に目が合っている。
ルーはまだ小さな子供だ。この大きな猪に突進されたら怪我をすることは間違いない。それどころか当たりどころが悪かったり、興奮した猪が何度も襲いかかってくるようなことがあれば、命の危険もある。最悪なことに、猪の方は興奮状態だ。息も荒いし、今にも走り出しそう。
なんて考えていると、猪はルーに向かって真っ直ぐ走ってきた。このままではルーが体当たりをされてしまう。わたしを抱っこしたままルーは震えている。これでは動くことは出来ないだろうし、そもそもルーの足では猪から逃げ切ることは無理だろう。
このままルーに怪我をさせるのも可哀想だ。
怯えるルーの腕から抜け出してルーの前に降り立ち、わたしは自分の体を大きくさせる。ルーと猪の間にわたしが入ったから、ルーを狙って突進してきた猪はわたしの体にぶつかり、ぽよんと跳ね返される。
スライムの体には弾力性があるのだ。それにわたし、痛くも痒くもないし。
「スライムさん!だいじょうぶ!?」
猪の突進を呆然と見ていたルーは、わたしを心配する。小さな手が労るように、撫で撫でとわたしの体をやさしくさする。
うーん、良い子だなあ。
痛くないし平気なのだが、それをわたしがルーに伝える術はない。まあ痛くなくて平気でも当たりどころが悪ければわたしというスライムも普通に死ぬんだけど。要は猪から生えてるあの尖ってる部分とかが、ギュッとわたしの体を潰してグサッと核を貫けば、簡単に破壊されてしまうだろう。何せスライムは最弱なのである。
こうしてのんびり考えている間も、猪は懲りずにわたしに体当たりを続けている。よほど腹に据えかねた何かがあったのだろうか。生まれ変わったらスライムになると良い。心穏やかに生きていけるから。
そんなわけでわたしは平気なのだが、ルーの方は次第にぼろぼろと涙を溢れさせ、最終的にはギャン泣きした。カオスである。
「ルー!!」
そんなカオスな膠着状態を終わらせたのは、ルーのにいさまとその御一行だ。
ルーよりは大きいがまだまだ小さな人間が、ルーのにいさまだろう。すぐ側には数人の騎士っぽい格好の人たちがついていて、その人たちが到着するなり状況を見極め、さくっと猪を仕留めた。見事な手際だった。
スライムであるわたしに対しては、どうやらルーを庇っているっぽい?と判断されたのか、様子見である。普通に殺されるかと思った。
ギャン泣きしているルーが腕いっぱい広げてわたしに抱きついているので、大丈夫らしいと思われたのかもしれない。ルーはともかくこの人たちは、スライムが無害な魔物ということは知っているだろうし。
とりあえず危機は去ったので、ルーが抱っこしやすい小さいサイズに体を戻すと、相変わらず泣き続けているルーは今度は力いっぱいわたしを抱きしめた。相当怖かったようだ。まだ幼い子供だし、それもそうか。
そんなルーの様子を見て、ルーのにいさまもじんわりと涙が滲んでいる。やっと見つけた妹が猪に襲われているとか、それもそれで怖かっただろう。
「ルー、一人にしてごめん」
ルーのにいさまはしっかり抱いて離さないスライムごと、ルーを抱きしめた。
幼い兄妹愛……良きかな良きかな。
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