第43話 間違い
気絶したゲゼヤトを床に放置して振り返れば、女がきらきらとした瞳を向けてきた。
「いやあ、格好いいわ……」
「あら、王妃様。お褒めいただき光栄ですわ」
リリィが優雅にお辞儀して見せれば、彼女は満足そうに頷いた。
「ダミュアンはこういう趣味なのね。それはいいとして、どうしようかしら」
困ったように女は考え込んだところに、聞き覚えのない声が飛び込んできた。
「この状況はなんだ?」
部屋に新たにやってきた見知らぬ男が、盛大に顔を顰めて床に転がっているゲゼヤトを見やった。
「なんてざまだ。おい、なんで女が増えてる?」
「あらまあ、貴方は見たことがあるわね。センデ伯爵家のゆかりの者ではなかったかしら。つまり、今回の黒幕はセンデ伯ということね」
「王妃様もお目覚めですか。ふん、正体がばれていようとあの世に行ってしまえば関係ない。貴女はやりすぎたんだ」
「未成年保護法案かしらね……確かに、あの家の反発はすごかったけれど。そんなに雇っていたの」
「領民の子どもたちまで働かせないなどできるわけがない。子どもは立派な労働力だぞ。なぜ立ち行かなくなることがわからないんだ」
「子どもは単純な労働力ではないわ。しかも過酷な労働で亡くなってしまっているじゃないの。生んで増やせばいいだなんて、家畜みたいな扱いを許せるはずもないわ。人間なのよ、尊厳を踏みにじる権利は大人にはないわ」
毅然とした態度の王妃に、男は鼻で笑う。
「理想は死んでからいくらでも語ればいい」
先頭にいた男が顎をしゃくれば、ナイフを手にした男たちが入ってきた。
無言のままナイフを振りかぶって向かってくる。
さすがにこの相手を一人で立ち向かうのは、リリィでも無理だ。
せめて王妃だけでも守ろうと身構えた時、窓ガラスが枠ごと吹っ飛んだ。
「うわっ」
「な、なんだ?」
窓ガラスが直撃した男が倒れ、他の者たちも窓に注意を向けた。
リリィは一番近くにいた男の手元を蹴り上げて、ナイフを飛ばす。
別の男は窓から侵入してきた騎士団の制服を着た者に、殴り飛ばされていた。
よく見れば、グイッジである。
彼はちらりとリリィを一瞥して無事であることを確認すると、すぐに逃げようとしていた男たちの捕縛に回る。
アンシムもグイッジの姿に気が付いて、ほっと胸をなでおろしていた。
「無駄な抵抗はやめて、大人しくしていろっ」
外から野太い声が聞こえた途端に、王妃が声をかけた。
「ソジト、ここよ!」
「おー、無事か」
窓からのっそりと室内に入ってきたのは、ダミュアンの友人のソジトだった。
「リリィっ」
そのソジトの後ろから続いて部屋に入ってきたのはダミュアンだ。
いつも隙なくびしっと完璧に整えているくせに、今は髪も服も乱れに乱れている。
そのまま、リリィは大きな腕に強く抱きすくめられた。
「は?」
「無事でよかった……」
リリィの小さな肩に顔を埋めるようにして抱きすくめてくるダミュアンの声は震えていて、どれほど心配をかけたのかと切なくなるほどだ。
安堵まじりの声は掠れてさえいるのだ。
背中に回った腕は離れる気配はないし、なんなら彼の心臓はどこどこと凄い音を立てている。
だが、リリィは金で買われた彼の恋人だ。
彼に愛を捧げるのはリリィであり、彼からの思いは必要ない。
リリィの横には彼の初恋の相手である王妃がいるというのに、そちらの心配はしなくていいのだろうか。
リリィは状況に混乱した。
だというのにダミュアンは、茫然としているリリィの顔を覗き込んできた。
スターライトを宿した瞳をどこまでも切なげに細めて。
「リリィが怪我をしていたらと考えるだけで、心臓が潰れそうだった。怪我はないんだろう?」
「え、ええ」
相手を間違ってませんかと聞きたいけれど、そんな空気ではない。
リリィは空気は読めるのである。
「なぜ、一人で向かったんだ。話してくれてもよかっただろう」
「いえ、まさかアンシムがこんなことに加担しているとは思いもよらなくて……」
「アンシム? 誰だそれは。また、別の恋人か」
途端に険しい表情をしたダミュアンの声を聴いて、傍にいたアンシムがぶんぶんと顔を横に振った。
「僕はそんなものではありませんっ」
「貴様がアンシムだと?」
ぎろりと睨まれてアンシムは今にも卒倒しそうである。
リリィは慌てて言い添えた。
「いえ、アンシムは孤児院出身なので顔見知りなのです。というか、ダミュアン様は一体何を聞いてここに駆けつけたのですか?」
なんだか話が食い違っている気がして、リリィは躊躇いがちに尋ねたのだった。
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