第42話 努力の桁
ぐりんと首を横に向けて、リリィは恐る恐る尋ねた。
「お、王妃様でいらっしゃいますか……?」
「あー、はい、ソウデスネ……」
なぜか彼女は片言で答えた。
だが、しっかりと頷いたのだ。
つまり、この国の中で最も高貴な女性であり、貴婦人の頂点に君臨する人物であり、ダミュアンの初恋の相手でもある――王の妃様!
こんな綺麗な人に、ダミュアンは恋をしていたのか。
だとしたら、なおさらにリリィを金で買って恋人にした理由がわからない。
リリィは庶民出の偽物聖母である。
もちろん孤児院の運営と教育を一手に引き受け、日夜金勘定をして日銭を稼いではいるけれど。
慈愛とかなにそれ、食べられるの? 生きていけるの? みたいな精神で日々を送っているリリィである。
高貴さの欠片もなければ、抜きん出た美貌があるわけでもない。
だというのに、ダミュアンはリリィに一体何を求めたというのだろうか。
だが、今はダミュアンのことよりもこの状況だ。
「はあ、本当に馬鹿ね。ゲゼヤトも騙されているってどうしてわからないの」
「なんだと?」
「王妃様を殺したなら、その首謀者としてあんたが処刑されるだけよ。貴族になんてなれるわけないじゃない。ちょっと考えたらすぐにわかるでしょう。アンシムを騙して借金作って仲間に引き入れたくせに、なんで自分は騙されていないと思うわけ?」
「なんで、お前こそっ。貴族になりたくて、デジーアにすり寄って惨めに捨てられたくせに……本当に昔から気に食わないんだっ!」
そのまま、ゲゼヤトはリリィに突進してきた。
それをひらりと躱して、足払いを繰り出す。盛大に床に転がったゲゼヤトは、頭を打ったらしく呻いている。その鳩尾に踵を落とす。
「うぐっ」
「口で勝てないからって、すぐに暴力振るうような男は、こっちから願い下げよ」
「お前のこれっ、暴力だろうが……っ」
「愛ある鉄槌よ」
「ゼゲヤト、リリィはあの孤児院のボスだから」
アンシムが真っ青になりながら、苦悶するゲゼヤトに声をかける。
「なんで、リリィがボスなんだよっ」
「そりゃあ、誰も勝てないからに決まってる」
なぜかアンシムが死んだような目をして呟いた。
だが、リリィに言わせれば必要な過程だ。
「猿山みたいな孤児院だったのよ? 多少の力技は必要に決まっているでしょう」
遠い過去、孤児院で乱闘騒ぎを起こしたのは今となってはいい思い出だ。
そして六歳のリリィが孤児院の頂点に君臨して、グイッジとデーツを従え、あの性悪シスターを追い出したのだから。
幼いリリィには、腕力はないけれど、工夫する頭はあった。大抵のことは力業で片付ける孤児院の子どもたちを御すのは容易かったともいえる。
シスターに虐げられてきた子どもたちはそもそも、あまり考えることをしなかった。漫然と日々、暴力に曝され続けていたのだ。
だが、リリィが頂点にたったことで、孤児院はがらりと変わった。
それからは徹底的に子どもたちに教育を施した。
読み書きと算術、礼儀だ。規律を徹底して、乱した者には罰を与える。
集団行動を体に叩きこんだ。
デジーアを伯爵家に戻して、その恩でリリィは令嬢としての教育を受けさせてもらえたことも大きい。
伯爵家はリリィをデジーアの婚約者候補として遇しているという建前で、彼を納得させたようだったが、本当のところはリリィが教育を欲したからだ。
――知識と技術とお金は裏切らない。
それがリリィの信念である。
「あんたとは、努力の桁が違うのよ。不満ばっか口にして甘ったれてんじゃないわ」
そうして、ゲゼヤトの鳩尾を思い切り靴のつま先で蹴り飛ばしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます