第41話 信じられない話

「ダミュアン様をご存知ですか?」


女からダミュアンの名前が出たので、思わずリリィは縋りたくなった。

リリィがとりなすより、ダミュアンに何とかしてもらえるならありがたい。


だが、女は青ざめたままふるふると首を横に振る。


「い、いやよ。彼には知られたくないわ。だって、絶対怒られるもの」

「は?」


ダミュアンが彼女を怒る?

一体、彼女とダミュアンはどういう関係なのだろうか。

というか、先ほどから女はリリィに怯えている気がする。


アンシムに鉄拳を振るっている姿を見られたからだろうか。

リリィはにっこりと慈愛の笑みを浮かべて、取り繕った。


「ご安心ください。ダミュアン様はお優しい方です。きっとお力添えいただけますわ」

「ええ? 本気であの男が優しいと思ってるの……ああ、本物じゃないの。やっぱり、無理だわ」

「あの……?」

「いえ、こちらの話よ。ところで、私は夫から逃げ出したことになっているのね?」


いつからか目覚めていて、リリィとアンシムの話を聞いていたらしい。

貴族女性の割には肝が据わっている。

落ち着いて話を聞いてくれる相手はありがたい。


貴族にしては珍しい部類ではある。

庶民であるリリィたちを侮る様子も少しも見受けられないのだから。


「手紙をもらって待ち合わせ場所に向かったのだけれど、その手紙は?呼び出されたと思ったけれど、偽物だったということかしら」

「僕が鍵を開けて、部屋に手紙を置かせてもらいました。手紙は偽物だと聞いています。指定された待ち合わせ場所に待機していたのは別の者で、こちらに連れてきたのはその男です」


アンシムはリリィの孤児院での教育をきっちりと受けているので、ある程度の受け答えは一般の庶民よりは丁寧である。なんせ孤児院のイメージアップをはかって、寄付金を吊り上げるという遠大な計画を立ち上げた時の一期生なのだから。


だからこそ、孤児院を出てから金物細工師としても重宝されていると聞いていたのに、ゲゼヤトは本当に余計なことをしてくれたものだ。


「なるほど。では、ここには私たち以外に誰かいるの?」

「見張りがいますが、今他の場所に移送できるように準備をしていますので、人数は多くないです」

「つまり、逃げるなら今しかないということね」

「え、逃げる?」

「アンシムはだから騙されているのよ。この誘拐は何か変よ。単純な手助けではないと思うわ。だってわざわざ偽物の手紙を用意して呼び出す必要がないじゃない」

「そうよ。だから、早く逃げたほうがいいわ」


リリィの言葉に女は大きく頷いて同意した。


「ご明察と言いたいが、なんでここにリリィがいるんだ?」


いつの間にか部屋の出入口に立っていた男が不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「ゲゼヤト、お帰り。お姫様の相手ならリリィがいた方が安心するかと思って……」

「お前かよ、アンシム。他言すんじゃねえって言っただろうが!」

「ご、ごめん。でも、リリィはお貴族様の対応には慣れているし」

「うるせえ、これで殺す人数が無駄に増えただろうが」

「え、こ、殺す……!?」


アンシムがひっと息を呑んで目を白黒させている。

リリィは、すっかり荒んだ空気を放つゲゼヤトに、冷めた視線を向けた。


あの修道女がいた頃の昔の孤児院出身者はたいていが皆暗い瞳をしていた。

ゲゼヤトも、同じだ。


「誰に頼まれているのか、聞いてもいいかしら」

「どうせ死ぬんだから、知らなくても構わないだろう?」


女性がしおらしく尋ねても、にやにやと馬鹿にしたような笑みを浮かべて、ゲゼヤトはあっさりと答えた。

圧倒的優位に立っているのは自分だと自信に満ちたゲゼヤトの態度に活路を見出すしかない。


「どうせ、ちんけな下っ端には黒幕の正体なんて教えられていないだけなんでしょう。見栄を張ったってバレバレなのよ」


リリィがふんっと小馬鹿にして告げれば、苛立たしげにゲゼヤトは怒鳴る。


「粋がるんじゃねえぞ。俺が今回の主導だ。王妃を殺せば、貴族にしてくれるって伯爵は約束してくれたんだからな」

「はあ?」


待って、ちょっと情報量が多くてリリィは混乱した。

そもそも犯罪者が貴族になれるわけがない。

そして、ゲゼヤトを雇っているのは伯爵らしい。

そこまではいい。


今、リリィの横にいる女性を王妃だって言ったのか!?

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