第36話 契約違反
「昨日の夜会で、いいことがあったんですか?」
デイベックが夕食の席に着いたリリィを見やって、にやにやと締まりのない笑みを向けてくる。
むしろいいことがあったのは、彼の方なのではないだろうか。
仕事で今日はダミュアンの帰りが遅かったので、彼は今自室で着替えているところだ。なので、先にデイベックと共に夕食の席についているというわけである。
「とくに何もありませんが。ダミュアン様に何か言われたのですか」
「いえ、公爵様は何もおっしゃいませんよ。ただ雰囲気が随分と柔らかくなったので、何かいいことがあったのかなと思ったのです」
「雰囲気が柔らかい?」
そんなダミュアンは知らないな、とリリィは不思議になる。
もちろんリリィは買われた恋人なので、ダミュアンが不機嫌だろうがなんだろうが全く構わないのだが。
「それは、ダミュアン様のお仕事に支障はありませんの?」
「大丈夫ですよ。気になるところはそこですか」
「それ以外に何かあります?」
「むしろ、リリィ様のような若い女性は公爵様の愛を欲しがるものかと思いまして。自分のおかげで相手の態度が柔らかくなったと知ったら、少しは嬉しくなりませんか。仕事の心配をする前に」
「仕事に支障が出る方が問題ではありません?」
「『慈愛の聖母』様となると、全人類に対する深い愛情を注がれるんですね」
どんな偏見だろう。
しかもそれがどんなものなのか、リリィには見当もつかない。
デイベックは腹に一物抱えている人物であることはわかっているので、彼が一体何を知りたくて問いかけているのかわからない。
迂闊なことを言って、違約金を払わされるのだけは御免だ。
「麗しの公爵様に愛されたいなとか思いませんか?」
別に歩みよってほしいとか、愛して欲しいとか考えたこともない。
契約ではダミュアンをなんだか広い愛で愛する恋人になることである。
「それは契約違反では?」
「ということは、ご自身を律しておられるということでしょうか」
「一体、何を求めておられるのです?」
デイベックの質問の意図がわからずに、イライラとする。
リリィは別に聖人君子というわけではないし、すでに正体がばれつつあるので、『慈愛の聖母』の演技を続けるつもりもあまりなかった。
素で問えば、デイベックは少し考え込んで答える。
「いえ、公爵様の機嫌がいいと仕事がはかどるのです。リリィ様がもっと積極的になっていただければ、面白――いえ、効率がいいなと思いまして」
「言い直した意味あります?」
リリィは思わず半目になって、デイベックを見つめてしまう。
彼は快活にはははと笑う。
「いろいろと思うところはありますが、一番は公爵様の幸福を考えているんですよ?」
幸福の壺を売りつけてくるのはデイベックだとリリィはダミュアンに忠告しようと決心するのだった。
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