第35話 夜の庭園
二人で連れだって夜の庭園に向かう。
小さなランプが、小道を照らしているので、迷うことはない。
そして、道を照らすと同時に植えられた花も幻想的に浮かび上がっている。
なるほど、自慢の庭園というわけだ。
ダミュアンが誘った理由も納得である。
小道で立ち止まってダミュアンを見上げる。
「ここにはよく来られますの?」
「ソジトの家だから、小さい時はよく遊びに来たな」
ダミュアンはその頃のことは思い出したくないのか、躊躇いがちに言葉を選んだ。
ソジトとは仲が良いという印象だったが、きっとこの家に来たのは遊びだけではない事情もあったのだろう。
リリィはダミュアンの手を取ると、空に翳して見せた。
欠けた月は静かに二人を見下ろしている。
「ダミュアン様の手は大きいですね!」
「あ、ああ」
「それに、とても温かいです」
「お前の手が冷たいだけだ。冷えたのか?」
ぶっきらぼうな台詞の中に気遣いを感じて、ふふっとリリィは笑みを溢した。
「ダミュアン様のお戻りが遅かったから」
「それは、すま……」
「とかいうわけではないですからね」
明らかにあんなところで呼び止めたデジーアが悪いに決まっている。中に入って待つことだってできたのに。
それにダミュアンはすぐに外套を手に戻ってきてくれたのだから。
意図的に言葉を区切ったリリィに、ダミュアンが少し考え込んだ。
「俺をからかっているのか?」
「気分を害しましたか」
繋いだ手を掲げながら、上目遣いで見上げれば、彼は瞠目してから苦笑した。
彼の瞳の中のスターライトが、小さなランプの光を受けてキラリと輝く。
それが、とても美しく思えた。
「お前には敵わないと思う」
「誉め言葉として受け取っておきましょう」
「そうか」
「そうですよ?」
意味のない言葉の応酬。
軽口をたたき合って、でもなぜか空気は甘くて。
セイガルドは恋人と寄り添ってする何気ない日常の会話が好きだと言っていた。
やはり、真っ当そうな男の思考は、万人受けするのだなと感心しつつ、どうしてかリリィも楽しくなってくる。
思考を逸らすのは、気恥ずかしくなるからだ。
つまり、照れ隠しでつらつらとよそ事を考えている。
そんなリリィの様子を察したのか、ダミュアンは掲げた手を元に戻すと、ゆっくりと歩き出した。手は繋いだままなので、リリィも一緒に歩く。
恋人なら手を繋ぐものだとリリィが教えた途端に、律儀に実行しているダミュアンである。
「そういえば、昔、ここの花を全部むしりとったことがあって……」
「え、こんなに綺麗なのに?」
「子ども心に何か理由はあったと思うんだが、よく覚えていない。ソジトと二人で全部だ。半日かけた。そうしたらチップタール候の奥方に叱られてな。女性を怒らせるのは得策ではないと学んだ」
ダミュアンはその時のことを思い出して、弱り切った顔をする。
そんな顔もするのだな、とリリィは目を瞠って、くすくすと笑う。
「だから、私に譲ってくれるんですね?」
「本当は、お前が今日嫉妬してくれると言ったから楽しみにしていた。だというのに、あの若造に嫉妬したのは俺の方だ。話が違うと詰りたい気もするが、結局こうして譲ってしまう。過去の積み重ねで今の俺があるんだ、こればかりは仕方がない」
「嫉妬してほしかったんですか……」
あまり夜会に行くことに乗り気ではないように見えたが、結局こうして連れてきてくれたのだから、彼の言うとおりなのだろう。
そして、ダミュアンはデジーアに嫉妬したのか。
それは、仕事として駄目だとリリィは反省する。
そして、きっと今、彼はリリィを慰めてくれているのだ。
過去は変えられないから、積み重なって自分の中にしこりになっているものは仕方がないのだと。
「お前がやりこめた彼女と踊ればきっと嫉妬してくれたんだろうが。お前の手の柔らかさを知ってしまうと他に触れたいと思わないから、無理だった」
貴方は私をどうしたいのか!
リリィは心の中で盛大にのけ反った。
確かに、デジーアとの関係はリリィの中でしこりになってこり固まっている。貴族が嫌いになったのも、恋愛に興味がないのもきっと根幹は同じくデジーアだ。
興味がないというより、怖いのかもしれない。
「じゃあ、しっかり堪能してください」
「そうする」
早口になってしまったのは、諦めた。
もうどうしたって全力で取り繕った結果なのだから、無理だ。
そうして、ゆっくりと二人で庭園を歩く。
手を繋いだまま。
大きな手はかさついていて、働く男の人の手だ。
そういえば、骨ばった大きな手を褒めてほしいと恋人にしてほしいことアンケートで聞いた気がした。
自分の手と違って男らしさを感じるとか、無骨さが格好いいと言ってほしいとか色々と聞いたものだ。
恋人なら絶対に今のタイミングで口にするべきだったのに。
けれどリリィは、結局ダミュアンの手を褒めるようなことは口にしなかったのだった。
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