第19話 主人の恋(フィッシャール公爵家執事視点)
フィッシャール公爵家というのは、ダミュアンの代で作られた一代限り。
現国王である兄との仲が壊滅的に悪いので、ほとんど名ばかりのなんの力もない公爵家である。
そんな家の執事を務めることになったのは、まだ王城で侍従長をしていた頃のことだ。ダミュアンが城を追い出されると聞いて、すぐにまだ少年といえるほどのダミュアンの元に行って頼み込んだことが始まりである。
ダミュアンはその特異な出自のせいで、城の誰からもいない者として扱われた王子だった。王太子に何かあったときの予備としてただ生かされているだけ。
城に勤める者たちのそんな共通認識のとおりに、ひっそりと息づいていた。
けれど、なぜか尊大で。
無口であるが、存在感は圧倒的だ。
その場にいるだけで、場が華やぐ容姿を持っていた。
黙って立っているだけで自然と目を向けてしまうような。
ある意味、王者の風格といえたのかもしれない。
それが王太子である兄王子の怒りを買ったというのもある。
数々の嫌がらせを受けていた。けれど、ダミュアンは一度も頓着することもなく、それなりに反撃をしながらやり過ごしていたのだが。
いつの間にか友人と呼べるような存在も傍にいるようになって、相変わらず無表情のまま日々を坦々と過ごしていた。
ダミュアンの友人というのが、かなりの権力者であったことも大きい。
一人はソジトレア・チップタール。
侯爵家次男ではあるが、現第一騎士団長を父に持つ。荒々しい気性ではあるが、豪快で懐が広い。本人も幼い頃から体格に恵まれ、剣の腕も突出していた。体術も得意で、とにかく戦闘向けなのだ。
当時、王太子の嫌がらせをほとんど撃退していたのは、彼の力量によるところが大きい。
23歳にして金剛級の騎士の称号を得た。現在は第二騎士団長となっているほどの実力者である。
そしてもう一人。
エイレンベール公爵家の姫君カプラシルである。
前国王の時代から宰相として辣腕を振るっていた、前国王の弟を父に持つ、最もこの国において高貴とされる姫君であった。
カプラシルがダミュアンの友人となったことで、いくつかの貴族がダミュアンの後ろ盾になったほどである。あの時は城を二分して派閥争いが起きたほどだった。
王太子は能力的には問題はないが、とにかく華がない。
ダミュアンと比べるとどうしても見劣りしてしまうのだ。
だが、そんな跡目争いも国王が静観していたため、ほとんど表面化はしなかった。
静かに水面下で争っていたのである。
けれど、そんな静かな戦争も、国王崩御で一気に形成が王太子に流れた。
もともと後継者指名を受けていたのだから、当然である。
また、カプラシルが現国王の妃になったことも後押しになった。
それは突然の発表で、どのようなやりとりが裏であったのかは一介の侍従長が知ることはできなかった。
ただ城ではまことしやかに、ダミュアンの恋人を王太子が無理やり権力で奪ったのだと囁かれていたのだった。
恋人を兄に奪われ、そのうえ無一文で爵位だけ与えられて城からも追い出される。
そんなダミュアンを、放っておくことはできなかったのもある。
幼い頃から一人で立つ姿を見てきたのだから。
少しでも力になりたいと思わせるような不思議な魅力がダミュアンにはあった。
だから、まだ十三歳という小さな少年を主として、執事という役職を懇願したのだった。
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淡い恋でも幼い主人にとっては初恋だ。
痛ましいいけれど、それも一つの人生経験だ。
――と、これまでは思っていた。
とある日に城に呼び出されて戻ってきて、愛を買うと宣言した日から主人はおかしくなってしまった。
いや、最初は普段通りの傲慢で、傍若無人な主人であった。
いつもと同じ無表情で、何を考えているのか少しもわからない澄まし顔。
また、変わったことを言い出したなという印象しかなかった。
止めたところで聞く耳を持つ主ではないし、忠告なども聞き入れることはない。
なまじ、自身の裁量で大金持ちに成り上がったので、自信があるのだ。
それも仕方のないことだと思う。
だが、彼が目をつけた相手が『慈愛の聖母』と名高い少女であると聞いて、なんとも不憫なと同情した。
赤貧の孤児院で子供たちを抱えてくる日も働くという、それほど高潔な精神を持つ少女である。
金持ちの道楽につきあわされて、一番乙女としての愛らしい時期を散らしてしまうのかと思ったのだ。
だが、実際に早朝に屋敷に顔を出した少女を見て、巷の噂で聞いていたイメージとは随分と異なるな、と感じた。
確かに主人からは少女と恋人契約を交わしたと聞いてはいたが、こんな溌剌とした表情で早朝――と言ってもほとんど日の出前――に屋敷に乗り込んでくる少女だとは思わなかったのだ。
彼女は主人の居場所を尋ね、寝室で寝ていると伝えるとそのままずかずかと入り込んだ。
朝の弱いダミュアンは、とにかく寝起きが悪い。それはもうすこぶる悪い。
朝早くに起こされるということをとても嫌う。
だから、この家の者たちは朝の支度を極力音を立てずに行うのだ。
けれど、ずんずん廊下を歩き、ばたんと勢いよく扉を開けて、主が丸まっている寝台まであっという間に辿り着く。
生憎と扉が閉まってしまったので、中で何をしているのか窺い知ることはできなかった。
短い唸り声とともに、少女は入ったときと同じように笑顔で出てきた。
ダミュアンに怒られただろうに、少しも気にした様子もなく、なぜかやり遂げた達成感に満ち溢れていた。
意味が分からない。
なんと声をかけるかどうか躊躇っている間に、少女の方が先にぺこりと頭を下げた。
「朝から申し訳ありませんでした。今日は他に仕事がありますので、こちらに来るのは夜になると思います。それでは失礼しますね」
「は、はあ……行ってらっしゃいませ」
見送ることが精一杯だった。
今から考えると執事としては失格だったかもしれない。
だが、すぐにダミュアンが慌てた様子で寝室から飛び出してきて、それどころではなくなってしまった。
「だ、旦那様? いかがされました?」
「か、彼女は……?」
「リリィ様ですか? でしたら、先ほどお仕事に向かわれました。お戻りになるのは夜になるとのことでしたが」
「本当に、いたのか?」
「は? はい、いらっしゃいましたよ」
「……そうか。夢じゃなかったのか……」
主人がそうつぶやくのを、執事はまじまじと眺めてしまった。
茫然とつぶやいたダミュアンのその顔はどこまでも真っ赤だったから。
――リリィ様は何をなさったのでしょうか??
そして、これが主人の初恋かもしれないと、顔を赤くしながら所在なさげに立つダミュアンを見て、なんとなく思ったのだった。
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