第6話 仕事の依頼内容

「ここ……?」


本当に?

目の前に聳え立つ門構えを前に、リリィは途方に暮れた。

けれど門番に紹介状を見せるとあっさりと中へと通されたので、本当に合っていたらしい。

木立を抜け、まっすぐに進めば、同じく聳え立つ建物が見えた。


この敷地の一角を借り受けるだけで、孤児院の子どもたちは住めるかもしれない。むしろ門番の控えみたいな小屋でもいい。

借金が許されないなら、小屋の貸し出しをお願いしてみようか。

しばらくなら庭先で炊き出しさせてもらっても生きていける。公爵様の庭先で、そんなことが許されるのかは謎ではあるが。


考えながら歩いていると、大きな扉が開いて執事らしき男が現れた。


「ようこそ、リリィ様。こちらへ、どうぞ。主人がお待ちです」


職業斡旋所から連絡があったのか、門番からの通達か。


どちらかはわからないが、躊躇っている時間はないらしい。

リリィはごくりと生唾を飲み込むと、案内されるがままに屋敷へ向かって一歩足を踏み出した。



#####



「ダミュアン・フィッシャール?」

「本人の前ではちゃんと様をつけないと。王弟殿下だし、公爵様だし。そもそも大金持ちだし」


キナが紹介状を持って斡旋所のリリィが待ってる個室に戻ってくると、依頼主の名前を告げた。


「まあ、さすがに貴族嫌いなあんたでも知っているか。王都っていうか国一番の有名人だものね」

「いや、まあ、知らない人って赤ちゃんくらいじゃない?」


リリィは言ってみたものの、赤子だって彼が目の前にいれば惚れるに違いないと言われているほどの男だ。もちろんリリィは姿を見たことはないけれど。


ダミュアン・フィッシャール。

現セイリジン王国の国王の十五歳年の離れた弟である。

この人はとにかくいわくつきだ。

なぜなら出自が不明だからだ。

前国王の落とし種であることは、その容姿から間違いがない。

王族特有の空を思わせる透き通る青い瞳は、よく見れば星を散らしたスターライトを孕んでいる。

真っ青の中に独特の光を持つという。けれど、母親は王城の門前に生まれたばかりの彼を置き去りにして行方知らずとなっている。前国王も誰が母親だとは告げていない。

だがその瞳は王家の者に間違いがないと、王城で育てられた。


ところが前国王が病で亡くなった途端に、兄である王太子が即位し、彼を城から追い出した。十年ほど前のことである。つまり、十三歳の成人前の少年が、公爵という立場を与えられはしたが、ほぼ無一文で放り出されたわけだ。名ばかりの公爵家に領地もなく、権力もない。

けれど、そこから彼はあっという間に大富豪にのし上がった。

鉱山を見つけ、海運業を立ち上げ、ホテルなどの観光業へと投資を行う。その力は国外にまで及ぶ。さすがに現国王である兄も無視はできない存在となってしまった。

とにかく強運の持ち主で、恵まれている。


そのうえ、容姿は王族なので文句なしに整っている。

若く金もありあまるほどに持っているのだから、女が寄り付かないはずはない。

だが浮いた話は一つもなく、現在、この国の夫にしたい男の頂点に君臨しているのだ。


町の噂好きのオバサマ方の話題に最もあがる男というわけだ。

なので、大して異性に興味のない貴族嫌いのリリィでもその名前は知っている。


だが、目の前の紹介状を見つめて、怒りで手が震えた。


「これは本気、なの?」

「今はありがたい申し出でしょ」

「確かにありがたいけど、人を馬鹿にしているわよ?」

「ひとまず怒らずに落ち着いて聞いてよ。こちらに仕事の依頼に来た人は、公爵様の直筆のサインを持っていたわ。ぶっちゃけ、それすら本物かどうかはわからないけど」

「待ってよ。それって、のこのこ現れたら不届き者として処罰されるんじゃあ?」


怒りは瞬時に霧散した。一抹の不安を想像してキナに尋ねれば、彼女も困ったように笑う。


「でも、こんなおかしな仕事の依頼を真面目に頼むのなら、やっぱり公爵様なんじゃないのかなとも思うのよね。ほら、金持ちの道楽っていうじゃない。権力持ちらしい高慢な考え方というか。こんなこと庶民には思いつかなくない?」

「…………」


確かに、そうなのかも?

と思わなくもない。

とにかく貴族やら金持ちは、庶民にはよくわからない感性を持っていて、理解できない思考で動く。


孤児院の寄付だって、そうだ。

置物や絵画で情緒を養って腹が膨れるのか?

絵画を薪の代わりにして、暖炉で燃やしたほうがまだ建設的だろうに。

だが、顔料に毒物が含まれることもあるため迂闊には燃やせないとデーツから助言を受けている。そんな危険なものを寄越すんじゃないとリリィは腹をたてた。

とにかく、貴族や金持ちとは相容れないものであると実感した。

そもそもお貴族様にいい感情がない。


けれど、やはり仕事の依頼内容が不明だ。


「これ、貴族らしい比喩表現で体を売れってことかしら?」


痩せた自分の凹凸のない体を見下ろして問えば、キナは首を横に振る。


「内容は一応確認したのよ。うちは娼館への斡旋はしていないから、そういう話は受付できません、ってね。あちらはソコに関しては否定したの」

「だとしたら、ますます何をさせられるのかしら……?」

「これ名指しだから、リリィ以外は受けつけられないし。とにかく、行って話を聞いてきたらいいんじゃないかな。あんたにはのっぴきならない借金事情もあるわけだし」


キナはにっこりと安心させるようにほほ笑んだ。


「もしも処罰されそうなら、命がけで逃げてきなさい。そうすれば、なんとか助けてあげるから」


物騒な助言を残して、送り出してくれた。

やっぱり騙りを疑っているんじゃないか、と幼馴染みをジト目で見てしまったのは致し方ないことだと思う。


リリィが握りしめた仕事の依頼内容は、『愛の売買契約』と書かれていたのだった。

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