第3話 多額の借金

ある日の早朝に、見知らぬ男たちが借用書を片手に孤児院に押しかけて来た。


出くわしたのはリリィである。

働きに行く前であったのが幸いした。

院長が対応していたら無口な彼のことだ。きっと言いくるめられていたに違いない。


年若いリリィであってもそれほど役には立たないかもしれないと思えば、意外と話のわかる相手であったのが幸いだ。


「これがその借用書になります」


高そうなスーツに身を包んだ男が黒縁メガネを片手で押し上げて、きりりと告げた。

燃える炎のような赤い髪を後ろにきっちりと流して、身なりもきちんと整っている。金融業者の中でも真っ当そうに見える。少なくとも悪徳ではない。

後ろに控えている男たちも同様の格好できっちりとしている。粗野なところは少しもないが、だからこそ隙もない。

少しも言い逃れができなかった。


筆頭の男――セイガルド・バーンズの話はこうだ。

孤児院で育ったアンシムが賭け事にはまってしまい、多額の借金を作った。

その抵当に孤児院の敷地を指定したというのである。

現在、アンシムは行方不明となり、借金の返済期日は過ぎているため、こうして担保にした土地の差し押さえにやって来たとのことだった。


アンシム!?

孤児院にいた朴訥とした無口な少年の名前を内心でぎりぎりと締め上げながら、泣き落としで同情を引こうと思っていたエリィはすぐに考えを改めた。


「待ってください、孤児院はそもそも一個人のものではありません。教会の敷地を勝手に担保にするのは間違っています」


思いのほか理知的に反論されて、真正面に立っていたセイガルドは張り付けた笑顔を曇らせた。


「残念ながら、教会の土地は住んでいる皆の土地であるがゆえに、一部を譲り受けていると主張されておりまして。以前にも同じようにお金を借りた孤児院出身の方がいて前例もあるので、書類審査が通ってしまったのです」

「前例?」

「その方は全額返済が完了していますので、公にならなかったのでしょう。顧客情報は開示できませんが、たぶん入れ知恵を受けていると思われます」


孤児院は皆、家族。

家族が困っていたら支え合おうと頑張ってきた弊害がこんな形で露出することになるとは。


孤児院は十五歳の成人になったら出て行かなければならない決まりがある。リリィが残っているのは職員として働いているからだ。けれど給料が出ない孤児院にとどまり続ける物好きなど自分くらいだ。大抵はどこかへ働きに出て自立している。


アンシムはもともと気の弱い男で、孤児院を出てからも同じ孤児院出身の者たちのところに顔を出していたと聞く。それが賭け事に嵌ってしまったことは結びつかないが、入れ知恵を受けていた仲間がいることはすぐに納得できた。


「なんてこと……とりあえず、土地は一部なんですね?」

「それが……」


男は肩から下げていたカバンを漁ると、あと六枚の書類を出してきた。

全て同じ借用書である。ただし、日付が異なる。


「合計七回ほど借金の申し入れがありまして、うちだけでなく他の業者からも同様の手口で金を借りていたようなのです。それをうちで一本化いたしまして、計算したところここの土地で抵当に入っていないのはこの庭先の巨木くらいになります」

「…………」


今にも折れてきそうな巨木に子ども十五人抱えて、高齢の院長と十七人で住めということだろうか。

それはどう考えても無理だ。


アンシムの行方を追ってボコボコにするのも大切だが、まず何よりも先にこの多額の借金をなんとかしなければならない。


「お話はわかりましたわ。アンシムだって苦労したのでしょう。あの子、寒くなると咳こんでいて体も丈夫じゃなかったんです……健やかに暮らしているのでしょうか……」


年齢的にはアンシムはリリィの五つほど年上にあたるが、『慈愛の聖母』は皆、愛する子どもたちである。

例え心の中でアンシムを締め上げていたとしても、外面は完璧なのだ。


練習した涙を浮かべて伏し目がちに、セイガルドに尋ねれば彼は同情したように顔を曇らせ、首を横に振った。


「本当に彼がどんな状態なのかわからないのです。我々も全力で行方を捜しておりますので、見つかり次第、こちらにも連絡しましょう」

「そうですか、ありがとうございます。それと、お金はなんとかしますので、もう少しだけお時間をいただけないでしょうか。あまりに突然のことで……」

「おい、勝手なことを言って……っ」


涙を一筋溢して懇願すれば、セイガルドの後ろに控えていた男がいきり立った。それをセイガルドが制止する。


「やめろ」

「ですが、せめて金目のものは差し押さえておかなければ。下手に時間を与えて持ち逃げされたら元も子もありませんよ。こんなオンボロ孤児院でどうやっても金なんて工面できないでしょう。なんのために朝早くから人数揃えて来たんですか。とりあえず物を押さえて、建物の解体の段取りをつけましょう」


なるほど、突然の差し押さえは、金目の物を隠せないようにするためなのか、とリリィは感心した。だとしたら、困ることなんてない。ここに金目の物などないのだから。

しかし孤児院の建物を解体させられるのは困る。寝る場所がなくなってしまう。


「今すぐに追い出されないのであれば、お好きに中に入っていただいて構いませんよ。ただ子どもたちが怖がってもいけないので、先に説明だけはさせてください」


差し押さえでもなんでもやってくれ、という気分である。


「部下が申し訳ありません。実は私、貴女のファンなんです『慈愛の聖母』様。本当にこのような今にも崩れ落ちそうな場所にお住まいでいらっしゃるなんて感動しました」


セイガルドは冷静に見えていたが、内心では興奮していただけだったようだ。赤い髪と同じくらいに頬を染めて、榛色の瞳をキラキラと輝かせた男をリリィは無言で見つめた。


借用書を持ってきた時に、ふざけるなと箒を振り回して追いかけたりせずに、本当によかった。

イメージは大事だと口を酸っぱくして繰り返していたハインリッヒに感謝である。

あまりに突然のことに茫然としていただけではあるが。


「では、本日は見積りだけさせてください。こちらもお金を用意していただけるのであれば問題はありませんが、かなりの金額になりますからね。ひとまず期限は一週間といたしましょう。工面できないようであれば、建物を壊して土地を売ることになります。いつでもご相談ください」


セイガルドはもう一度眼鏡をあげて、興奮を抑えたように告げたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る