次期王妃のわたし、目標はわるい子になること!

白鳥花鈴

第1話

「いやぁーーーー!!!! お腹ああああ!!!……ってあれ……」




 つい先ほど、わたしのお腹にぐっさりと刺さっていた剣は、跡形もなく消えている。腹部をぺたぺたと触ってみても傷ひとつなかった。




 辺りを見回してみると、ここは先ほどいた暗い地下牢では無く、とっても明るいわたしの部屋だった。わたしは藤色のネグリジェを着て、ベッドの上にいる。




「まぁ。またここからやり直しだわ……もう16回目ね」


「やぁベイビー。残念ながら、それは数え間違いだ。正確には17回目さ。」








 ……どうやら、先ほど『また』死んでしまい、また時間が巻き戻ってしまったようだ。


 死んでしまってからすぐ、このベッドの上に戻ってくるのは今までと全く同じだ。


 目の前で飛んでいる、手のひらサイズの馬以外は。




「あら、教えてくれてありがとう、お馬さん。だけどもう17回目だし、精神年齢的に赤ちゃんではないわ。」


「馬じゃなくてペガサスさ! よく背中を見たまえ、立派な翼があるだろう! あとベイビーってそういう受け取り方して欲しい訳じゃないし……って、ボクを見て最初に言うことそれかい?! もっとあるだろう?!」


「あらそうね。お馬さんはどこから来たの?」


「だからペガサスだ!!」


 




 ◆◆◆


 




 わたしはグレース・アニストン。アニストン公爵家の一人娘で、この国の第1王子の婚約者。つまり、後に妃となるのだ。そのため、わたしは王宮の一室を私室として使っている。


 えっと後は……侍女が頑張って手入れしてくれる真っ白な長い髪と、青緑の瞳がお気に入り!








 小さなお馬さんは、天からの使いである『天使』らしい。天使の役割は、不幸な死を遂げた人にやり直す権利を与えること。


 あまりにも最初の人生での死に方が可哀想だったわたしに、彼はさらにサービスして、わたしが幸せになるまで繰り返される世界にしたらしい。もう16回も死んでいるから、サービスとは言えない気がするけれど。


 


 ただ、わたしがあまりにも幸せに生きられなかったため、次にわたしが不幸に死んだら、彼は選択を間違えたとして天にクビにされるらしい(天と天使は雇用関係なのね……)。だからかわりにお馬さんは天に、わたしが生きのびるのを手伝う許可をもらったそうだ。


 そして、天使は本来、人間の前に姿を見せてはいけない決まりがあるそうだが、特別仕様でわたしにだけ見えるようにしているらしい。


 


 最後に彼は、今回がわたしの最後の人生で、次に死に戻ることはないと教えてくれた。




◆◆◆


 


 


 彼から一通りのことを教えてもらったわたしは、頭を抱えていた。


 


「どうしましょう……また変な死に方をしてしまったら……わたしはそのまま生涯を終え、あなたはクビだわ。」


「死に方を見てて思ってたけど、キミが頑張りすぎるのがいけないと思うんだよね」


「死に方を……って、そこじゃないわね。わたしが頑張りすぎる……?」








 1度目は、婚約者である王子があまりにも……なんというか政治がダメだったおかげで、クーデターが起こってしまった。それに巻き込まれ、わたしは殺されてしまったのだった。


 そしてある時は王子に頼らず政治を進め、妃が出しゃばるなと殺され、先程は王子に助言をしまくったら王子が病み、その元凶として死刑にされ……あと、馬車にひかれそうな猫を助け、そのまま死んでしまったこともあった。




 ……頑張っているといえば、そうなのかもしれない。




「確かにそれは一理あるわね。じゃあ、今回は頑張らなければ、この苦行から抜け出せるのね」


「苦行……その節はほんとに申し訳ないけど、まぁちょっと『わるい子』になるくらいが良いんじゃないかな?」


「わかったわお馬さ」


「だから違……あぁ、もう名前で呼んで欲しいところだけど、今回の騒動で天に名前を奪われてしまったんだ……」


「まぁ、それは大変だわ!」




 わたしは急いで本棚へ行き、名前が載っている辞典を手に取り、ぺらぺらとめくり始めた。




「まさか、名前をくれるのかい……? だが、そういう所がわるい子から遠い気がするよ……」


「ハッ、確かに……!!」




(でも、わるい子にならないと彼がクビになってしまうわ! うーん、名前がないと不便なのは確かだけど…………あっ!)




 思い至ったわたしは、机に向かい、紙を1枚取ってペンをさらさらと走らせる。




「……よし、できたわ!」




 わたしは彼の方へ紙をばばんっと見せびらかした。




「あなたの名前は、『アラン=アレックス=アリソン==アンドレア=アーニー』よ!」


「……………………?」




 ……お馬さんは、言葉にするのが難しい表情をしている。




(ってあれ、もしかして悲しんでるのかしら、そ、そうよね。流石にこんなに長い名前なんて嫌よね……)




 反省したわたしは、改定案を紙に書く。




「悲しい思いをさせてごめんなさい! 訂正するわ、さっきの名前は長いから、略してアンソニーよ!」


「悲しい思い? 略してって、あぁ、本当だ。うーんちょっと、着いていけないな……」


「気に入らなかったかしら……」


 


(精一杯わるい子になったつもりだったけど、これがダメだとなると何も思いつかないわ。わたしはわるい子になれないのかもしれないわね……。)




 そう思いしゅんとしていると、急にお馬さんがバタつきだした。




「そ、そんな事ないさベイビー、落ち込まないでくれたまえ。そう、ボクは今日からアンソニーさ!」


「まぁ! アンソニー、改めてよろしくね!」


「あぁ。…………ボク、新しい雇用主を探した方がよさそうだね……」


「あら、今何か聞き逃してしまったかしら?」


「いや、なんでもないさ」




 そういう時は何かあるのだが、大抵の場合何を言っても教えてくれない。諦めた方が賢明だとわたしの経験が言っている。


 


「そう。あ、もうすぐ侍女が来て、『お嬢様、お昼ご飯の準備が整いました。今日はお嬢様のお好きなコーンクリームスープがありますよ』って言うのよ」


「あぁ、そっか17回目だから……」




 負い目を感じているアンソニーが眉尻としっぽを下げてそういったところ、ドアをノックする音が聞こえた。




「失礼します。お嬢様、お昼ご飯の準備が整いました……って、なんでそんなドヤ顔していらっしゃるのですか?」


「あらまぁ」






 ……たまには、そういう日もある。






 ◆◆◆






 お昼ご飯を食べたわたしは、お城の一室で優雅に紅茶を味わっていた。


 そう、わたしは3日に1度行われる、王子たちと近況を共有し合うためのお茶会に参加している最中なのだ。


 


 お茶会と言っても、出席者はわたしと、婚約者である第1王子サイラス様、第2王子のルーク様、そしてメイドたちのみ。


 ちなみにサイラス様は、金色の髪が美しい、おっとりした蒼眼を持つお方で、ルーク様は赤髪にサイラス様と同じ蒼眼。つり目なのも相まって、冷淡さのある少し取っ付きにくいお方だ。ただ、どっちもお顔が大変麗しいことで有名だ。




(さて、早速わるい子になりたいんだけれど、どうすればいいかしら……)


 


 そう悩んでいた矢先、ひとりのメイドが床まで伸びていたテーブルクロスに足を取られ転び、彼女が持っていたお茶が、盛大にわたしにぶっかかった。




「た、大変申し訳ございません! すぐにお召し替えを……!」


「いいえいいえ、気にしないで、そんな失敗誰にだって」


「ちょっとベイビー、今の絶対わるい子になるチャンスだろう!!?」




 アンソニーに肩を叩かれ、しまった! と思う。今からでもまだ間に合うだろうか。


 ちなみに、アンソニーの姿と声は、わたしにしか見えないし聞こえないから、作戦がバレることはない。


 わたしは咳払いをして作戦を実行する。


 


「えっと、あなた! お茶を零したら、とっても……もったいないわよ!!」


「「………………?」」




 その瞬間、空気が止まった。


 


「ベイビー、なんでまたそうなるのさ……。」


「あら? 結構うまくできているでしょう?」


「その自信、どこから来てるんだい?」




 ヒソヒソと話すわたしに、アンソニーは呆れたような声をあげた。




「グレース、確かに、お茶を零すのはもったいないよね」


「申し訳ございませんでした。至急、お着替えを用意して参ります。」




 続いて、サイラス様とメイドもコメントをくれた。なかなか手応えがあったのではないだろうか。




「なぁ、なぜ誰も突っ込まないんだ、オレがおかしいのか?」




 バタバタとせわしなくメイドが片付けをする中で、ルーク様だけは、訝しげな顔をしていた。






 ◆◆◆






 それからも、わたしはわるい子になって過ごしていた。


 主な経歴としては、書類を2、3枚床にばらまいたこと、お茶会にわざと数分遅刻したこと、お風呂のお湯の温度を少し上げるように命令したことなどが挙げられる。


 アンソニーの反応はイマイチだが、わたしとしては中々頑張っている方だ。




 ただ、仕事をサボろうとした時は、あまりにもヒマで書斎の掃除をしてしまった。ソファの下を綺麗にしていた場面をルーク様に見られ、かなり怪しまれてしまったが大丈夫だろうか。




 この前アンソニーに日頃のお礼を言ったときは、『キミが楽しく生きられているなら、もうなんでもいいかもしれない』と言われた。


 ……わるい子すぎて引かれちゃってるのだろうか。








 まぁそれは置いておいて、現在わたしは、絶賛お城で迷子中だった。


 


(えっと、サイラス様の執務室って……あっ、ここで合ってるかしら? 王宮って広いし廊下も長いから、わかりづらいのよね)




「何してんだ?」


 


 ドアの前でノックしようか迷ってうろついていると、背後から声をかけられた。




「ルーク様。えっと、サイラス様に書類を届けに来たのですが、ここがサイラス様の部屋だか自信がなくて。」


「それなら、ここで合ってるぞ。」


「本当ですか、ありがとうございます!」




 ニッコリ笑ってお礼を言うと、虚をつかれたような顔を向けられた。




「あれ、えっとどうされました?」


「いや……普通にまともで驚いた」




(彼の中でわたしはどうなっているのでしょうか……というか、今までの人生でもルーク様に話しかけられることなんてほとんどなかったのに、どういう心境の変化なのでしょう?)




「よくわかりませんが、わたしは健康なので心配しなくて大丈夫ですよ」


「いや、どう見ても最近様子がおかしいだろう。特に自分でよくわかってないのが大丈夫じゃない」


「えっ、そ、そーんなことないんじゃないですか?!」




(もしかして、ルーク様はわたしがわるい子になろうとしている事に気づいてしまったのかしら?! って、もしかして……気づいてもらった方がいいのかしら?)




「やっぱりここ最近、挙動が変だ。オレの主治医を呼んでくるから、それ届けたら自分の部屋で待ってろ。」




 わたしが悩んでいる間に、ルーク様はスタスタと歩き出し、長い足で遠ざかってしまう。




「わわっ! アンソニー、どうしましょう!? お医者様になんと言えば……」


「そうだね……ここは、ルークに全部話して、こっち側に引き込むくらいしかないんじゃないかな?」


「でもアンソニーの事は? 誰にも言えないわ」


「とりあえず、生きのびるのが最優先だ。……多分、天は広い心で許してくれるはずだから、今はあの脚長を追うんだ」


「わ、わかったわ! でも殿下にそのニックネームは失礼だからやめてね!」




 そう言ったわたしは、サイラス様への書類をドアの前に放り投げ、彼がそれに気づくようにドアをノックし、急いでルーク様を追った。




   






 ◆◆◆






「完全に迷ってしまったわねこれは」


「やっぱり、あの男の脚は長すぎだよ」






ルーク様は、あっという間に見えなくなってしまった。おぼろげなお医者様の部屋の記憶を頼りに追いかけたが、結局迷子になってしまった。


 どうにもできずにいると、廊下の角から、白衣を着たルーク様の主治医が歩いてくるのが見えた。しかもルーク様はいないようだ。




 アンソニーとわたしは顔を見合わせ頷き、急いで彼の元へ向かう。




「あのっ、お医者様!」


「どうしました? 急患ですか?」


「あっ、いえ、全然みんな元気なので、そうではなくて……ルーク様にお会いしました?」


「ルーク殿下? いや、今日はお会いしていませんが」




 不思議げにこちらを見ているお医者様の様子を見る限り、嘘をついているようには見えない。


 そう思い、わたしは思い切ってある提案をする。




「あの……この後あなたに会うために、殿下があなたの部屋にいらっしゃるはずなのですが、わたしに待ち伏せさせていただけませんか?」


「へ? あなたは確か、サイラス殿下の婚約者ですよね……。構いませんが、何をするおつもりで?」


「えっと、人生に関わる勘違いを解消したくって!」


「…………? よくわかりませんが、仕事に差し支えない程度でお願いします」


「ありがとうございます!」








 お医者様の案内の元、彼の部屋の前へ行くと、ルーク様が立っていた。どうやら、ドアノブにかかっていた、『すぐに戻ります』の文字を見て待っていたようだ。




「アニストン嬢、部屋で待っているよう言ったはずだが……」


「いえ、あの、わたしは体調が悪いわけではないのです! ちゃんと説明するので聞いてくださいませんか」


「ベイビー、この医者には内容を聞かれて欲しくないよ」


「そうね……お医者様、えっと、少し込み入った話になるので」


「向こうへ行こう。」




 わたしが言い終わる前に、ルーク様が強引にわたしの手を掴んだ。




「ルーク様?! えっと、お医者様、ご案内ありがとうございました、失礼しまーすー!!」




 ルーク様の歩幅に一生懸命追いつきながら、わたしはそう叫んだ。








 ◆◆◆






 わたしたちが来たのは、美しいお城の庭園だった。


 いつ誰が準備したのか、ガゼボにはティーセットが置かれている。




「まぁ、こんなに用意を整えてもらう必要もなかったのですが、素敵ですね」


「……オレが王族である以上、話し合いをすると言う度にこうだ。当然のことだと思って受け入れてくれ。……それより、一体どうしたんだ? 何か困っているのか……?」




(どうやら、かなり心配をかけているらしいわ。そんなにわるい子役は上手くいっていなかったのかしら……。)




 とにかく、はやく誤解を解かないと、もはや申し訳ない。わたしは、なるはやで今までのことを説明する事にした。






 ルーク様が席に着くよう促してくれたので、わたしはそれに甘え、紅茶を飲みながら話し始める。


 


「わたし、実はもう死んでいて…………っていや本当に正常なので、そんな顔しないで最後まで聞いてください!」










 それから彼は、わたしのどう考えてもとんちんかんな話を、大変訝しみながらもしっかり聞いてくれた。




「とんでもない話だが、なるほど辻褄は合うな……。つまり、過度な人助けが身を滅ぼすから、悪い事をして生き延びようとしているが、から回っていると」


「えっ、から回っているのですか?!」




 上手くわるくなれていると思っていたが、そうではなかったらしい。




「まぁ別にそこはどうでもいいんだ。で、結局はオレはアニストン嬢が生き延びられるよう、サポートすればいいのか?」


「はい、なのでお医者様は呼ばなくて大丈夫です」


「そうか。あと、アンソニー……ってホントにいるのか?」


「ええ。アンソニー、彼にも姿を見せられる?」


「もちろんさ。任せたまえ」




 アンソニーはルーク様の周りを、魔法のようなキラキラした何かををまといながらくるりと一周した。




 すると、アンソニーを見つけたらしいルーク様が目を丸くする。


 


「本当にペガサスだな……」


「ルーク様! さすが、どう見てもペガサスですよねボクは!」




 アンソニーは握手代わりに、ルーク様の人差し指を両前足で掴んでぶんぶん降った。脚長呼ばわりしていたのに、随分な変わりようだ。




「アンソニーです。今までグレースの相手を頑張ってきました。あなたとならこの気持ちを共有できそうです……!!」


「オレはルークだ。……それはさぞ大変だっただろう……」








 固い握手を交わす二人の間には、もう絆のようなものが生まれているようだ。


 わたしはちょっと取り残された気分になりながらも、2人の出会いを優しく見守った。


 






◆◆◆


 




「ベイビー、さっきから何してるんだい?」


「もうすぐわかるわ」




 先程からずっと石窯の中を覗くわたしを、アンソニーとルーク様は不思議そうに見守っている。




 わたしは両手にミトンをはめ、中にあるお皿を確認した。




「うん、できたわ!」


「これは……グラタンか?」






 そう、わるい子生活の一環として、わたしはグラタンを作っていた。


 作り方を学んだのは、5回目くらいの人生だっただろうか。




「ただの料理じゃないのかい?」


「ええ、料理を勝手に作って、シェフの仕事を奪ってしまうのよ! あ、全員分は作れないから、わたしのぶんだけだけど」




「「………………」」




 2人……じゃなくて、1人と1匹は似たような顔をしている。




「ルーク様、最近グレースのこれを楽しみにしてません?」


「それはない」


「グレースが奇妙な動きしてるとすぐ寄ってくるくせに……ほんと、どういう趣味なんです?」




 痛いところを突かれた、という表情のルーク様。


 


「…………オレが聞きたい。どうもこの感覚が癖になるんだ……」


「ふふ、お二人はあっという間に仲良くなってしまいましたね!」




 なんだか嬉しくなったわたしに、ルーク様は質問を投げかける。




「アニストン嬢、調理道具は料理人に洗わせるのか?」


「あぁ……考えてませんでした。洗って放置しておきましょうか。……というか、まだわたしのこと姓で呼んだらしたのですね。どうか、グレースと呼んでください」


「…………今度な」


「はい、では待っていますね」




 わたしは少し残念に思いながら、調理道具を洗うために運ぼうとしたが……。




「あっ」




 その時、お団子にしていたはずのわたしの髪が、ふわりと舞った。


 料理のために色々動いたせいで髪を結っていた紐が緩み、解けてしまったようだ。




 もう一度結び直そうと思い、紐を拾おうとすると、ルーク様に先に取られてしまった。


 


「……俺がやるから。その椅子に座ってろ。」


「そんな、殿下のお手を煩わせる訳には」


「ベイビー、そこは甘えておくといいよ」




 アンソニーの耳打ちに背中を押され、わたしは椅子に腰かけた。




「そ、それではお願いします……」




 ルーク様は少しだけ照れているようで、耳がほんのり赤い。


 そんな反応をされると、さすがのわたしだって、ちょっとどきどきしてしまう。




(まさか、ルーク様がこんなにも……人間らしい方だったなんて。)




 今までの人生でわたしが見ていた彼は、仕事をそつなくこなす、優秀な第2王子だった。


 でも、今の彼は少し違う。口調は少しぶっきらぼうでも、行動の端々に優しさが滲み出ている。


 


 そんなことに気づいてしまった途端、時折首筋に触れる指や、後ろに感じる彼の気配にすら、意識が持っていかれてしまう。






「痛いか?」


「い、いいえ、まったく。……あの、髪を結うこと、慣れていらっしゃるのですか? とってもお上手です。」


「特にやった事は無いが……それは何よりだ」




(今までの人生でも気づいていたけれど、ルーク様って優秀なのよね。王となるサイラス様のため、表にださないだけで。)




 きゅっと紐が結ばれ、ルーク様の気配が遠ざかる。






「できた。……とても似合っている、グレース」


「!!! えっと、ありがとうございます、髪も名前も!」






 この日は、鏡で綺麗にまとめられたポニーテールが目に入る度、そわそわと落ち着かない気持ちになっていた。






 ◆◆◆






 いつも通り、わるい子生活に磨きをかけていたある日、それは起こった。




 わたしは、サイラス様に執務室へ呼び出されていた。


 


「最近、ルークと親しくないか?」


「ええ、なにかと共通の話題がありまして」




 アンソニーのこともあって、死に戻りについてはうかつに言いふらすことができない。サイラス様にはしらを切るしかなかった。




「そう。でも君はね、僕の婚約者なんだ。……僕はそんなに気にしないけど、家臣がうるさいんだ。どうにかしてくれないかな」




『どうにかしてくれないかな』


 この言葉は今まで何度も何度も聞いてきた。その結果、毎度死に戻っているのだ。




 すると、アンソニーが近くに寄って来た。




「……ベイビー、いつもの、やらないのかい?」




(そうよね、ここで話を終わらせて投げ出してしまえば、わたしは生き延びられる。)




 ……でも、本当に、いいのだろうか。


 わたしがやらなかったら、誰かが困るのではないだろうか。実際に、サイラス様の家臣はよく思ってない様子だ。




(きっと、お父様やお母様も……)




 両親は今まで、わたしが真面目に妃を務められるように、惜しみなく教育や、素敵な侍女たちを与えてくれた。


 なぜなら、わたしが妃になることで、アニストン公爵家は王家から更に支援金を受け取ることができ、領地は潤うからだ。




(わたしが今贅沢をしているのも、領民が頑張って働いてくれているおかげ。それを裏切ってもいいのかしら)






 今回はわるい子になろうと思っていたけれど、今までずっといい子で頑張り続けていた理由は、そこにあった。


 いつもお腹いっぱいの料理を食べ、美しいドレスをまとい、夜はふかふかのベッドで寝られる。そんな素敵な暮らしをしているのを忘れてはいけないのだ。




 (やっぱり、わたしが背負わないと……)




 覚悟を決め、わたしはサイラス様を見つめて言う。


 


「あの、わたし――」


「どうにかしろと言うのではなく、どうにかするのが王族だろう。」




 いつの間にか、わたしの背後に少し怒ったような顔をしたルーク様がいた。


 


「ルーク様!?」




 わたしがあげた声に、ルーク様は一瞬、安心させるような優しい目を向けてくれた。


 そして、すぐにサイラス様をキッと睨みつける。


 


「その問題、全てグレースに押し付けるつもりなのか? それで国を背負っていけるつもりなのか……ってアンタに言ってもわからないか」


「っ僕だって、何も考えてないわけじゃない! でも、どうしても君の方がいつだって上なんだ!」




 温厚なサイラス様も、そう煽られては黙っていられなかったようで、ルーク様に思い切り怒鳴りかかる。


 そんなサイラス様を、ルーク様は冷めた目で見据えた。


 


「だからって、グレースを傷つけていい理由にはならない。アンタといる時の彼女の顔、見てるか?」


「なっ……」


 




(あぁ、わたし、そんなに酷い顔をしていたのね)




 ルーク様は前へあゆみ出て、ふっと息を吐いた。




「あんたができないなら代わりにオレがやる。……王にだってなる」


「「!!??」」




(る、ルーク様が、王に……?!)


 


「じきに準備も整わせてみせる。これは本気だ」


「そんなの、勝手だろう……!!」




(ルーク様、そこまでして、わたしを庇ってくれているの…………?)




 ぴしりと張り上げられた声は、その決意の固さを示していた。


 そんなルーク様は、こちらを振り返る。


 


「グレース、少し来てもらえるだろうか」


「えっでも……」


「あぁ、もうアイツに言うことは無い。あとは行動でわからせるだけだ。」




 そう言われては頷くしかなく、わたしは差し出された手をとった。








  ◆◆◆




 案内されたのは、ルーク様の執務室だった。


 落ち着いた色味でまとめられた内装は、混乱した頭を落ち着かせるのにちょうどよい。


  


 ソファの向かいに腰掛けるわたしに、ルーク様は言った。




「王を目指すにあたって、君の助けを借りられないだろうか」


「わたしの、助け?」


「……大口叩いたあとで格好がつかないが、君の今までの経験値がオレが王になるのには必要なんだ。もちろん君に依頼するのは利用したいからだけではないが……それは今言うことではないな。」




 確かに、ルーク様の有能さに、わたしの持ついくつかの人生の情報が加われば、王を目指すというのもより現実的になるだろう。




「どうか、力を貸してくれないだろうか」


「ルーク様……」


 


 今までの人生では、サイラス様を助けるどころか、わたしが代わりに為政者になり、重い期待を1人で背負って生きていた。あたりまえだ、そういう使命だと思って耐えていたが、ほんとうは孤独でとても辛かった。 






 いい子じゃないと、居場所は無い。


 でも、いい子になってしまったら『わたし』はそこに居なかった。




 でも、彼は、ルーク様は……。




(わたしと、共に歩むことを選んでくれた)




「ど、どうした、すまない、何か困らせたか?」


「え、なんでしょう。あら、ほっぺが濡れて……」




 いつの間にか流れていた涙が頬を伝って零れていく。




「頼み事を引き受けてばっかりのわたしを、助けてくれたのが嬉しくって。……なんて、それだけなのにどうして涙が止まらないんでしょう」


「そうか……。今まで、助けてやれなくてすまなかった。」




 ルーク様は、他の人生でのことも気にしてくれている……そう思うのは都合がよすぎるだろうか。




(本当に、優しいお方だわ……。)




 わたしは涙をぬぐい、彼を見つめる。




「お返事ですが、お手伝いなら頑張りすぎないと思いますし、もちろん、わたしもしたいです。それに、もっとルーク様と一緒にいられると思うと、とっても嬉しいですし!」


「!? そ、そうか。……ありがとう、よろしく頼む」


「はい!!」 




 優しくはにかむルーク様に、わたしもとびきりの笑顔で応えた。










 ◆◆◆








 それからルーク様は、見事な手腕で第2王子派閥を作り上げ、あっという間に王位を継ぐ準備を整えた。


 もちろんわたしも、今までの人生で起こったことや、実際に行った政治の方法を伝え、それに大きく貢献した。




 ルーク様は、国民の暮らしぶりをとても気にかけ、寄り添うすてきな王になるのではないかと思う。


 


 


「サイラスは、アイツなりに国のためにできることを探しているようだ」


「そうなのですね。前に進まれているなら……良かったです。」


 


 わたしとルーク様は、彼の私室で今後についての相談をしていた。


 執務室じゃなく私室なのは、大切な話があるかららしい。




「いつのまにか、外が真っ暗ですね」




 バルコニーへ繋がるドアを開ければ、心地よい夜風が流れてくる。




 ルーク様に自然な仕草で手を取られ、バルコニーへと出ると、それを見たアンソニーはひらひらとどこかへ飛んでいってしまった。




 


 満点の星と夜のひんやりとした空気が、わたしたちを包み込んでいる。




「グレース」




 名前を呼ばれて彼の方を向けば、彼は綺麗な青い瞳でわたしをしっかり見つめていた。


 


「はい、なんでしょう」


「聞きたい事がある。」






 彼はそう言うと緊張した面持ちで、すっと息を吸った。






「これから先、妃としてオレの隣に居てくれるだろうか」


「…………!!」




 そう言ってこちらへ手を伸ばす仕草が、わたしを映す彼の瞳が、何よりも美しくて言葉に詰まってしまう。




 だけど、わたしの答えは、とっくに出ていた。


 


「それは……もちろんです。……ですが、妃だけでは物足りません。王様のルーク様だけでなく、ただの『ルーク様』のそばにもいさせてください」




 わたしが彼の手を取りそういうと、彼は目を少し丸くした。


 


「……ほんと、叶わない」




 そんな呟きが聞こえたと思ったら、わたしの背中に、ルーク様の腕がふわりと回されていた。




 抱きしめられていることに気づいた時、首にふっと何かが触れ……すぐに温もりが遠ざかった。




「……っ、いま……!!」




 状況を理解したわたしは、自分でもわかるほど顔が真っ赤になってしまった。


 そして更に、目の前にわたしをなんとも愛おしそうに見つめる彼がいるため、全く落ち着かない。




(〜〜!!? る、ルーク様ってこんなことするお方なのね……!!?)




 わたしはどうしていいかわからず、りんごのようになったほっぺを、必死に手で隠すしかなかった。




「……っそんなかわいい反応するな……これ以上好きにさせてどうする」




 何かをこらえるような掠れた声で、そう呟かれてしまえば、完全にキャパオーバーだった。




 もう心臓がとびだしてしまいそうで、そのあとのことはよく覚えていない。




 




 ◆◆◆


 








 わたしの人生が、これから先もずっと、最後までこんなに幸せに溢れているのか……それは、今のわたしにはわからない。




 だけど、なによりもわたしを大切にしてくれる人がいる今、これまでの人生よりもずっとずっと幸せなことは確かだ。

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