第29話 ゾンビ伝説10

 有事監視室にいた全ての者が、驚きと畏敬の念を持って誇り高き声の主を探した。齢、45歳を数えるこの店の渉外担当の店員であった。


 身長は175cm体重は130kgはゆうにある珈琲館きっての武闘派で、客とのトラブルやクレーマー対応などに評価が高い店員であった。


 「おう葡萄くんか、うちにはもめ事処理の専門家である武闘派のキミがいたのを失禁していたよ。キミが行ってくれるなら、いつか珈琲館栄誉賞を贈ろうではないか」


 葡萄はかって39才まではプロレス界に身をおき、華々しい実績を上げてきた柔道4段、空手5段の腕力自慢の猛者である。


 「承知しやした。あっし、この葡萄が命を賭けて任務を成し遂げてお見せしやしょう」


 この命がけの職務に耐える自信がなかった他の店員たちは、葡萄の勇気ある申し出に、両手を合わせ感謝の念を表したのは言うまでもない。


 概ね5分後には白装束に着替え、手には念珠と金剛杖を持ち、額には『悪霊退散』と墨書された鉢巻をきりりと結んだ葡萄が、死地に旅立った。


 店内の全ての人民が、勇気ある店員のこの暴挙が、見事に叶いますようにと合掌して祈った。


 葡萄は、かって現役時代に後楽園のリングでメインの試合を行ったことがある。あの緊張と興奮を思い出していた。


 体中に強大な重力がかかる、踏み出す一歩がまるで鉛のように重い、ほんの10mほどの距離が遥か遠い。


 さらにはゾンビの周囲3mほどの恐怖圏域に入ると、激しい風圧が近づく者を拒否する。


 この恐怖の世界に身を持って飛び込み、高めの炭火珈琲をゾンビに薦め、今は床に横たわるチーフの勇気に最大の敬意を禁じ得なかった。


 ゾンビの傍らにやっとの思いで辿り着き、懐から神鏡を取り出す。けっしてゾンビと直接目を合わせてはならないのだ。


 そうあのギリシャ神話に登場するメドゥーサ同様に、ゾンビと目を合わせれば即絶命する。


 だからこそ、神鏡に写して間接的に見るだけに留めるのが、最低限の対応なのだ。


 限りない悠久の時が流れた、そんな気がした。神鏡からゾンビの横顔をそっと覗き見る。


 トップローブからリング下の相手に、ボディアタックする気持ちで声をかけた。緊張で異物が詰まったような喉から声を振り絞る。


 「ゾ、ゾンビさま、オーダーをよろしく。押忍」


 「ほぉう、おぬしがオーダーを聞くのかね。このワシに」


 神鏡に写る地獄のゾンビ。温度が急激に下がる、言の葉に呪いがこもり、死臭がかほる。

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