第28話 ゾンビ伝説9

 「ほぉう、オーダーを聞くのかね?そのせつない声でこのワシに」


 ゾンビ先生の錆びついたような恐怖の声に、チーフは先程履き替えたばかりの黒のパンツの前後をたっぷりと汚していた。


 「は、はい。もしお気に触らなければ、ゾンビさまのオーダーをお伺いいたしたく参上いたしましたでざぃます」


 万が一にもゾンビさまのお気に触れば、自分の命は確実に失うことになることは分かっていた。この世に生まれて30数年、自分なりに精一杯生きてきた。


 今、チーフの頭の中を今日までの様々な出来事が走馬燈のように流れていった。


 もちろん覚悟はきっぱりできている、地獄に落とされることになっても。遠く千葉県で静かに暮らす父母の懐かしい顔が浮かぶ。


 「おぬしはこのワシに何を進めるつもりなのかね。命をかけて答えてもらおうではないか」


 錆びついた恐怖の声がチーフを地獄に誘う。もう既にぶりっているのに。


 チーフは右手にきつく握り締めた十字架で何度も十字を切り、泣きながら心の叫びを絞り出す。


 「もしゾンビさまがお嫌でなかったら、当店オーナーから必ずやお薦めするようにとキツく指導されております、炭火珈琲などいかがでざぃます?」


 「ほぉう、おぬしは高めの珈琲をすすめるのかね。このワシに・・・・・」


 チーフは思わず、つい目を合わせてしまった・・・・・


 死を覚悟して、ゾンビ先生に高い珈琲を薦めたイケメンチーフ。ゾンビの、まるで底知れぬ闇を湛えた眼窩のような目線と、自分の目線を思わず合わせてしまったのだ。


 合わせた瞬間、チーフの瞳から体内に一気に死臭が流れ込み、心臓は見えない死神の手に握りしめられ、その鼓動を弱めた。


 血中の酸素飽和度は96から70まで急低下し、十字架を強く握りしめたまま、あえなく床に崩れ落ちた。


 珈琲館最奥にある『有事監視室』の防犯カメラで、オーナーと他の店員も、チーフのこの勇気ある旅立ちを泣きながら見つめていた。


 「おい誰か、ゾンビさまのオーダーを聞きに行ける命知らずは、うちの店にはおらんのか?」


 有事監視室にオーナーの震える声が流れた。店員の誰もが怯えていた。誰もが恐怖していた。そして誰もがたっぷりと水分も半固形物も漏らしていた。


 数秒、いや数分の無言と仄かな香りが空間を満たしていた。


 「オーナーさま、もしお許しいただけるなら、あっしが突撃を志願いたしやしょう」


 鼻をつくかほりと目に染みる沈黙を破ったのは、勇者の突然の一言であった。

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