第26話 ゾンビ伝説7

 どうやら、ごるごが入店した際に喫煙エリアを耳元で囁いた、命知らずのイケメンがチーフのようだ。


 「ちっ、しょうがねえな、オレが聞いてくるか。一応、ひとこと言っておくが、けっして彼女に興味があるわけではないし、セクシーだなんて思ってもいないからな」


 カウンターから飛び出して、チーフが颯爽とゴルゴの席に向かう。既に前を膨らませながら・・・・・


 胸がときめく体が震える。まるで初恋の相手に出会うときのように。足が地につかない。頬が熱く萌える。ほんの数メートルが遠い。


 まるで、ジュリエットが居る2階のように・・・・・


 ほんの一瞬であったが、まるで夢に溢れた一生のような、永く甘い時が流れていった。


 チーフがごるごの座る席にたどり着く頃、周りのすべての客も、時が止まったように凍りついていた。


 「な、つ、のお嬢さん、タンクがとっても似合うよ刺激的さ、ピクピクしちゃう、チュウチュウ」


 命を振り絞って声をかける。


 「あら、なかなか渋くてナンバなネズミさんざぃます」


 チーフの声かけに反応して振り向いた、ごるごの潤んだ瞳の中で、窓から射し込む陽射しが煌めく。


 チーフはもう既に虜になっていた。雲丹のようなマルガリータに。タンクトップを押し上げるマッチョリと張り詰めた大胸筋に。


 純白のミニスカに隠された筋肉質のカモシカのような太腿に、そしていつしか涙ぐんでいた。


 彼女を前にして、初めて仏像に向かい合った時のように、押し寄せる信仰心と溢れ出る感動に・・・・・


 この方は我々の知る限りの人間ではない。我々凡人の信仰心を試す、神さまの使いなのかもしれない。


 チーフはいつの間にか跪き、目を閉じて泣きながら合掌していた。囁くような旋律を口ずさみながら。


 店内のすべての客も同じように合掌していた。小さな声で旋律を口ずさみながら・・・・・


 そう、ドヴォルザーク作曲の交響曲第9番「新世界から」第2楽章の編曲作品「遠き山に日は落ちて・・・・・」


 「あら、このネズミさんたら、合掌してざぃます」


 神のお使いに対しての、合掌と合唱が終わりを告げた時、思い出したように時間が動き出し、珈琲館が強引に客に進める高めのマンデリンがテーブルに届いた。


 いつの間に仏門に帰依したのか、青々と剃髪したチーフが尊き供物のようにお届けしたのは言うまでもない。もちろん新品のキューピーマヨも添えて。

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