ミシェル夜 ,帝王 /3

 俺の体に打ちつける雨が、だんだんと弱まっていく。

 沈黙したその巨体が倒れ込んでから、どのくらい時がたったのだろうか。

 俺は弓を持ったまま、巨体を眺める少女を見つめた。まるで……倒れたその巨体を悼むかのような、そんな様子だ。

 なんで、そんなにも悲しい表情なのだろうか?


───嬉しくないのか?


 ミシェルの塔で唱えたロジックで、俺は鉄仮面の持つ力を、理屈を逆転させた。

 それは、結晶という存在が命の源であり、それが心であると考えたからだ。だから、結晶を取り出せるその事実を曲げ、本来の在り処に戻したつもりだった。

 表現が正解かは分からないが、結果的にユマとこの少女は蘇っているはず。

 

 今になって考えてみるが……あのとき俺は塔から弾きだされた。

 実際、重力に引っ張られているような感覚はあったし、それは間違いない。そして気がつけば火の鳥が飛んできて、喋り方でそれがユマだと認識できた。

 これが正しいと、がむしゃらに飛竜を射ち落とし、ラスボスだと思い込んでいたこの巨人を倒すことしか頭になかった。


───これが、正解だったんだよな?


 普通ならここで……みんなで……。

 そう思っていたとき、ティアナはその少女に言った。


「ミルフィさま……」


「大丈夫、ですの」


 何が大丈夫なのか、理解出来なかった。

 すると、隣にいたユマが俺に言った。


「城に戻るよ、門十郎」

「ああ……」


 俺は二人に背を向け、城に向かって歩き出した。

 湿った草を踏みしめるたびに、ティアナとの距離が遠のいていくような気がして。

 ……だから、もう一度振り向いた。

 さっきと変わらないままの二人───ユマの声が聞こえた。

 もう一度、歩き出す。


「門十郎、そっとしておいてやんなよ。あたいらがいたら、泣こうにも泣けないのさ、あの二人はね」


「泣く? ……泣くって、なんで」


「賢者の騎士としての、誇りってやつだよ。あたいにゃ理解出来ない思考だけどね。そもそも、この世界に住む人、正確には耳を生やした獣人は、この国の王という存在に絶対服従なんだよ。つまりフォルボスは親みたいもんなのさ」


「なんだそれ……」


 ユマが、ミシェルに住まう人種について、教えてくれた。

 頭上に耳を持つ人は、この世界にもともと居た住民。

 頭上に耳を持たない者は、別の場所から来た住民。

 あまり街には出歩いたことがないため、ピンとこない部分もある。あまり耳を持つ人を見たことがないからだ。

 城の兵士はみんな、頭に何かを被っているし、見たといえば王女の世話係。彼女達の頭上には耳があったと思う。

 

「ユマとあの王女も、転移者ってことはわかるが。他にもいるのか?」


「あたいもハッキリとは知らない。フォルボスが言ってたことだからねぇ」


「そうか……」


「ま、あたいにゃわかんないけど。あの王女に聞けばわかるんじゃないかね。素直に教えてくれるとは限らないけどね~。まぁ、あたいは興味ないし」


 くしゅんっ──と、ユマがクシャミをした。

 指で鼻下をこすっている。

 

「くしゃみするなら、飛んでいけばいいのに」


「うんにゃ。そんなこと、出来るわけないよ」


「なんでだ? さっきまで飛んでたろうに」


 嵐のような天候が、落ち着いてきた。

 ユマは立ち止まると、小雨になった空を見上げた。

 ぱしゃり、と。足元の水が跳ねる。


「城まで飛んでいっちまったら、あっというま。それじゃつまんないっしょ。これから長い付き合いになるんだ。もうちょっと門十郎のことを知っておこうと思ってさ」


「………そうだな。そういば、なんでユマは元の世界に戻りたいって思ってたんだ?」


「ああ、それはさ~───」

 

 ユマがどうしてそんな事を言ったのか、少し分かった気がした。

 俺達が元の世界に戻れないからじゃない。

 彼女はサバサバとしているようで、実はとても思いやりがあるんだ。

 気遣ってくれてんだな、俺のことを。 

 じゃねぇと、階段でヒイヒイ言ってたような女の子が、

 ぬかるんだ道を、階段よりも長い距離を歩こうだなんて、言わねぇよな。


 俺の隣には、濡れた衣服と、銀色の髪を背に垂らす少女がいる。その髪は揺らぐこともなく、ピタっと背に張り付いていて、見た感じはとても寒そうだ。 

 ……だけど、それは俺も同じだったりするんだけどな。  

  

 ぱしゃ、ぱしゃ──と水が跳ねる音は、どこか愉快で。

 そして見上げた空には、星なんてものはない。

 でもなぜか、とても綺麗な夜だと思った。

 まるで、もとの世界にはない輝きがそこにあるような、そんな気になるくらいに。

 俺は、これからどうすればいいのだろうか。

 

 ♢ ♢ ♢


「そう、終わったのね」

 

 雨風は止み、ミシェルは静かな夜の世界へと戻った。

 ミシェルの外では、倒れ込む愚王の姿。やっぱり不気味だわ。どうやって片付けようかしらね。


 夜更かしは肌に良くないのだけれど、でもしょうがないわよね。あんなの見ちゃ。


───目から放たれたあの波動、明らかに愚王の能力と違うのだけれど、なぜかしら。


 庭園から空を眺める。雲の隙間から差し込んだ月光は、おぼろのようにはっきりしない。


「まぁでも、愚王の遺言は理解したわ」


 それが出来る存在がキーなのだとしたら、愚王は計ったのかしら?

 まぁいいわ。これはわたくしの個人的な解釈だし、実のところは違うかもしれない。

 そろそろ、食堂に行こうかしら。


 わたくしは柵から手を離すと、屋根のある廊下を歩き始める。

 そして愚兵に言った。


「もうすぐ帰ってくる子たちがいるから、何か温かいものを準備してちょうだい」

「御意」


 わたくしは廊下を歩き進み、襟を正していた着物を肩まで下げた。

 ほんのりと肌を舐めるような風に身を委ねて、この場を後にする。

 いまは、愚兵達の凱旋を祝ってあげようじゃない。


 ……あの子、ミルフィはどうなのかしら。

 その事実は、リベルツィオーネ革命軍の幹部。まぁそこは別にいいのだけれど、愚王と彼女はもう死んだことになってるし、奇跡だなんて柄にもない事を言いたくないわ。

 もし民に真実を告げたところで、余計な混乱を招くだけだし、知らないほうが幸せな事だってたくさんあるのよ。


───うふふ、わたくしってイケナイ女ね。


 それに奇跡だなんて、そんな空想的な現象で示したら、転移者だってその言葉でくくれちゃうし、そんなのつまんないわよね。

 ……彼女達もそう。

 

───あなたは、いつになったらそのカラに自分を注ぐのかしら。


 縛られた志を、いつまで追い求める気かしら。

 賢者の騎士、ティアナ・ローレイン───。


 * * *


───行かれるのですね、ミルフィ様。

        ティアナ。また、会えますのよ?───

 

 最後に、ミルフィ様は優しく微笑んだ。

 それが、憧れていた人との、2回目の別れだった……。

    

 見つめている、ラベンダー色が小さくなっていく。

 ミシェルへ戻ってきてほしいと願うことはできない。

 理解しているはずなのに、正しいはずなのに。

 ……なのになぜ、胸をギュっとつねられたような気持ちになるのでしょう。


 私は賢者の騎士セージ・ナイトとして、その責務を果たしているだけなのに。

 その志は、私がローレインとして受け継いだ、誇らしい名誉であるというのに。

 ……どうして、こんなにも涙が溢れてくるのでしょうか?

 もう雨は止みました、吹く風も穏やかだというのに。

 この気持ちを伝えることが出来ない。

 戻ってきてほしいと叫びたいのに、言えない私がいる。


 死んだと思っていたのに……どうして生き返ったのですか?

 その姿こそ、その勇士こそ、他の誰でもない貴方様なのに……

 やはり……ローレインだからでしょうか?

 ローレインの誇りとは、なんなのでしょうか?

 ミルフィ様は、よくおっしゃってましたね───

 

───ローレインという名は、かつての英雄だと。

 

 この世界にない魔法を使い、技を使い、民を守り、王に仕えた。

 民が安心して暮らせるためにと、魔を振り払い、道を切り開いたと。

 いかなる時も、王の味方となり、盾となったのだと。

 ……かの王が、ミシェルを守るためにと旅立った。

 でもあの時のミルフィ様は、暗い顔をされていた。

 行きたくないと言いたげで、寂しそうで……


「なのに、仮面を被った王と共に旅立たれた……」

 

 その王はもういない。

 ミルフィ様は……どこにいかれるのですか?

 

 見ていたラベンダー色は、消えていった。

 ふわりと風が吹いて、かすかに甘い香りが漂った。

 


 

 

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