ミシェル,王女 /1

 街の名は──ミシェル。

 絶海ぜっかいに浮かぶ島、そして気高い修道院の雰囲気を持つ。

 賑やかな声が飛び交う、コルク色に染まった街並み。

 様々な獣人が分け隔てなく生活を共にしており、まるで何不自由ないユートピア楽園である。


 ミシェルを中心部とし、周囲には等分割された3つのエリアがある。そしてエリアの境界線となる巨大な運河を跨ぐと、気候がガラリと変わる。


──エリアワンラグーンの守護者、ファイアバード。  

  エリアトゥグラシアレスの守護者、アイス・ドラゴン。

  エリアスリィヴィッツェの守護者、マーメイド。


 守護者が守るのは、街の象徴であるコルク色の塔である。

 摩天楼のように真っ直ぐと伸び、青い三角すいの屋根。

 そして屋根の周囲には、ポカポカ陽気に心躍らせる、ワイバーンの群れが気持ち良さそうに飛んでいた。


 視線を下に降ろせば、修道院のようなお城がある。

 塔のたもと、緑鮮やかな植栽に囲われたお城の庭園。

 そこで、優雅にティータイムを楽しむ王女の姿があった。


 花魁おいらんのような紅い衣装に身を包み、ブロンドのショートヘアを輝かせている。

 ──肌には張りがあり、豊かな胸をもつ体型。

 男性の理性を秒殺するほどの嬌艶きょうえんを放っている。

 

  王女エルリエは、ティーカップを手に持った───


  * * *

 

───いい香りね。


 わたくしみたいにいい女には、お似合いのハーブティー。

 吸い込まれるような琥珀色、上品な香り。

 そっと口に含んで、香りを楽しんで。

 優しく喉を通り越したあとの未練を楽しむ。

 何度もあなたを追い求めてしまうこの味。


「うふふ、イケナイ女ね~。なんだか体が火照っちゃう……」

 

───金属が擦れる、騒がしい音が鳴った。


 誰かしら、私の快楽を邪魔する愚兵ぐへいは。

 あれほどわたくしの優雅なひと時を邪魔するなと言ってあるのに、まだ理解していない子がいるのかしら。

 ティーカップをテーブルに置くと、視線のみを動かした。


 柱から伸びたアーチに支えられた天井、レンガを積んであるその壁の開口部から、甲冑かっちゅうに身を包んだ愚兵が姿を見せた。 

 ぎこちない動きで膝をつき、石の床と鉄が接触する音が鳴る。

 この様子だとこの子は新人ね、なら仕方ないかしら。


「王女陛下、ご報告申し上げます。先ほど騎士団長のローレイン様がお戻りになられました。不審な人物を拘束したとのことで、名はカゼミヤモンジュウロウと名乗るそうです」


 ……不審な人物? 

 珍しいわね、あのティアナが愚兵を使ってまで、急ぎこのわたくしに報告してくるなんて。

 そんなに急ぎの要件なのかしら?

 いつも賢者の騎士セージ・ナイトの誇りに固執こしつして、直接言いにくるのにね。

 

「あとでいくわ、でもこれを飲み干してからだけど。ローレインに伝えてちょうだい、王座の間にて待機しておくようにと」


「は、御意」


 愚兵がきびすを返したあと、ハーブティーを堪能する。

 でも、名はカゼミヤモンジュウロウと言っていたわね。


 この世界でのネーム名前は基本的に一つしかないのに。

 例えばティアナなら、ローレインは英雄としてその志を継承し、名乗ることを認められたネーム苗字

 ……なのに、なんて日本人っぽい名前なのかしら。 


「もしかして、転移者かしら」


 ……珍しいわね。

 この世界に転移してきて、生き残る人物がいるだなんて。

 大抵はリベルツィオーネ革命軍の手によって消されるか、その配下に加えられるかなんだけど。


 これは異例とも言える現象だわ。

 エリアⅡの守護者が消え、そして生き残った転移者の出現。


「あぁ、なんて面白いのかしら〜」


 ごくんっ──と喉元を通り過ぎたほんのり温かい液体。

 そしてカラになったカップに視線を落とせば、底は白い。

 この寂しげな器を満たしてくれるかしら?

 でもそう簡単に注いであげないわ。

 だって……もっと楽しまなきゃ、うふふ。


 私は下唇をそっとなで、琥珀色を味わった。

 そよぐ柔らかな風が、露出した両肩と胸元を舐めた。

 キイ──と軋むような音を鳴らし、椅子から立ち上がる。

 そして、隣りに立っていた愚兵に言った。


「片付けておいてちょうだい。それと、今日の夕食は1人分追加しておくこと。来客はたぶん殿方よ。遊女にはしっかりカラダを洗っておくようにと伝えなさい」


「御意」


 いつ見ても刺激のない服装だこと。

 ま、そのうち刺激的な世界を感じるような衣装にしてあげる。

 そうね、浴衣とかいいかもね。

 

 コツコツと石の床を鳴らし、王座の間を目指した───。


 * * *


───正直、俺の袴姿が場違いと思えてしまう。


 なぜならこの部屋は……だだっ広いけど全部レンガ。

 ピリっとした空気も充満している、気が重い。

 この立ち並ぶ鎧騎士の存在が、さらに場の雰囲気を引き締めているように感じる。


───俺も気を引き締めた。


 隣りで正座をしているローレインが言っていたが、この街の王女は全ての権限を持つ存在だと言っていた。

 王がいないため、変わりにこの街を統治しているのだそうだ。


 それはさぞ知的で、あのローレインの仕える王女様ともなれば、カリスマ的オーラも放っているだろうと考える。

 待っていると、扉のない入口から、金髪の女性が入ってきた。

 ──俺はある意味、視線が釘付けになった。


 グラビアモデルみたいな豊かな胸に、魅入ってしまうかのような妖気がある。

 しかもあの衣装、派手で紅い着物だが、とても色っぽい。

 王女というより……いやあれ、遊女だろ。


 王女はファラオの王が座るような椅子に腰掛け、俺を見つめた。

 その瞳に何かを掴まれそうになるくらい、魅惑的な顔つきで。

 それに彼女は無表情なのに、すさまじい貫録だ。


 ミシェルの王女は言った。


「ティアナよ、その者はいったい何者か。我を急に呼び出すほどの緊急性があるのだろうな?」


「はっ。緊急性はございます」


 ローレインは頭を下げたままだが、その素行は騎士として何申し分ないほどに洗練されていた。


「彼は、エリアⅡの守護者が消滅した件に関わっていると推測されます。また、名はカゼミヤモンジュウロウと言い、彼は別の世界から来たと言っております。

 服装も珍しく、嘘を言っているようには思えません。ですが、私の判断ではどう処分していいか分からず、王女陛下に判断していただきたく思っております」


「ふむ。確かにそのような白黒の衣装は、このミシェルでも同じものはない事は理解した。だが、グラシアレスの守護者の消滅に関わるのではあれば、その者は大罪人にも等しい。本来なら首を切り落とすところであるな」


───え? なにいってんのこの人。

   大罪人? なんで?

   騙したのかよ、ローレイン……。


 俺の体は縛られたままだし、弓も持ってねぇ。

 というか、弓なしで魔法を使えるのか?

 いや、下手に動けばそれこそ逆効果かもしれん。

 ……ローレインの腰には短剣がある。

 変な事をすれば首を切り落とすとも言っていた。


 くそっ、なんだってこんな事に……俺は歯を食いしばった。

 

「ふむ。だがその者の意見も聞こうとしよう」


 王女は冷やかな視線を向け、俺に問うた。

 自らが守護者の消滅に関わったのは事実かと。


───すぐに、言葉が出てこなかった。


 氷の鳥、その消滅に関わったのは事実だ……。

 でもあの銀髪の少女がいなければ、俺は死んでいた。

 それにあの戦いは、憧れのヒーローとして……。

 黙っていると、覇気のある王女の声が響いた。


「沈黙は認めん、答えよ!!」


 俺は深呼吸をした。


「俺が関わって、氷の鳥が溶けたのは事実です。それも、銀色の髪をした少女と一緒に戦いました。それと少女は言っていました、俺は転移者だと。

 俺は建築用語が具現化する魔法で、氷の鳥と戦ってたんです」


「……なんだと」


 ローレインが鋭い目で俺を見ている。

 ボソりとつぶやいたその言葉が聞こえたのは、おそらく俺だけだろう。

 王女は無表情のまま、両腕を組んだ。


「その者、ロジック論理詠唱陣を使えると申すならば、この場で証明してみせよ。万が一にも怪しげな行動をした場合は、ティアナ・ローレインがその責任を持ってして、首をはねよ。

 もしその者が本当にロジックを使えるのであれば、大罪人としての汚名は取り消す。なお、その後の処遇については我が決定する。異論はあるか、その者よ?」


「……ありません」


 その後、俺の拘束は解かれ、弓が渡された。

 ローレインは身構えるように俺の行動を監視している。

 その視線は突き刺さるほどに鋭く、怖いものだった。

 

───緊迫した空気。 


 気のせいだろうか……。

 無表情だった王女が、微かに口元を細めたような錯覚。

 まるで、俺が詠唱出来る事を理解している。

 ……そんな風に思えた。


 俺は弓を両手で持ち、口を動かした───。

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