第60話フリュクティドール⑭・両親への打ち明け

 メインヒロインと悪役令嬢のイベントを無理に再現した代償としてわたしは旦那様に洗いざらい説明する破目になった。ただわたしの一存で喋っていい些細な事柄とジャンヌの事情に深く関わる大事があるので、ジャンヌが戻って来てからと旦那様には一旦説明した。


 で、王都のオルレアン邸、オルレアン公の執務室にて、わたしは気まずい思いをしながら厳格な面持ちでただこちらを見つめる旦那様と静かに目を閉じたお母様を目の前にしていた。ジャンヌが王宮から帰ってくるまでの間は途方もなく長く感じたものだ。


「お父様、お呼びでしょうか?」

「殿下との静養旅行については後ほど聞くとしようか。まずはそこに座りなさい」

「? 分かりました」


 執務室に足を踏み入れたジャンヌは悪役令嬢の衣装のままで顔を引きつらせるわたしの隣に腰を落ち着ける。どうやらわたしと旦那様の様子でこの先の展開に察しがついたらしく、ヘマを犯したわたしを睨みつけてきた。わたしは心の中で平謝りをするばかりだごめんなさい。


「そなたに関しては腑に落ちぬ点が多々あったものだが、カトリーヌと出会ってから顕著になった。それが私の認識だ」

「全く別の環境で育ったのに瓜二つなカトリーヌと出会えば変な気持ちにもなります」

「はぐらかすのはよせ。今日はカトリーヌの茶番に付き合ってやったが、この際全てを話してもらおう。何を隠している?」

「全てとは? 私は別にお父様方に隠し事はしておりません」


 ジャンヌはこの場においてもしらを切りとおすつもりらしい。ただそれで有耶無耶になる雰囲気ではないのは明らかで、旦那様の目が細くなった上に「ほう」との声が渋さを通り越して非常に重苦しく低く聞こえてくる。ただしあくまでジャンヌに自主的に打ち明けてもらおうとしている心積もりのようで、強引に口を割らせる程までに責めてはこなかった。


「ねえジャンヌ」

「……っ。はい、何でしょうお母様?」


 旦那様の追及を打ち切ったのはそれまで静観していたお母様だった。お母様はジャンヌに心配だとの表情を向けていた。あくまで問題なんて無いとばかりの姿勢を崩さなかったジャンヌもさすがに言葉に詰まって視線を逸らす。


「ジョルジュ様は決してジャンヌを責めているんじゃあないの。むしろジャンヌの力になりたいのよ。けれどいくらそうしたくたってジャンヌがこちらを向いてくれないんじゃあどうも出来ないのよ」

「お父様やお母様方の手を煩わせるような懸念など抱えては――」

「ジャンヌ」

「……っ」


 ジャンヌを黙らせたお母様の一言は鋭くて大きくて、今まで聞いた事がないぐらい怒気を伴っていた。ジャンヌは助け船を出してと訴えかけるようにわたしを見つめてきたけれど、正直この場を上手く切り抜ける妙案は全く思いつかなかった。

 むしろここら辺が潮時なのかもしれない。万が一攻略対象の誰かが強引に断罪イベントまで持ち込んだとしても、旦那様がジャンヌを守ってくれるなら破滅の度合いはぐっと軽くなる筈だ。

 『双子座』のオルレアン公と違って今の旦那様なら決してジャンヌを見捨てない。お母様が正気に戻ったのだからオルレアン家はジャンヌを絶対に切り捨てない。そしてどんな道に至ってもジャンヌの未来は決して暗くならない。……そう信じたい。


「旦那様。ではわたしがこれより語るお話は一切他言無用でお願いいたします」

「カトリーヌ!?」


 ジャンヌが声を挙げてこちらに身を乗り出してきたけれど、軽く手で制する。その上で笑みを浮かべて自信を込めて頷いてみせた。


「大丈夫だよジャンヌ。上手く要点だけ説明するから」

「……そうね、分かったわ。貴女に任せるから」


 ジャンヌも引き下がったようで姿勢を正し直す。けれど太ももに乗せて軽く握られた手は震えていた。わたしは陶器のように白く華奢な手を取って、旦那様を見つめ返した。決心に至ったわたしの顔は自然と引き締まる。


「これからお話するのは決して今起こっている現実ではありません。理解していただかなくても構いませんし、疑われても仕方がないのは承知しております。それでも真実の一端には違いありませんので、どうか全てを語るまでご清聴いただきたく」

「前口上はいい。早く語るがよい」

「では僭越ながら……」


 それから私が語ったのはジャンヌが体験した悪夢を凌ぐ無慈悲な現実じゃあなくて、『双子座』での悪役令嬢の足跡だった。メインヒロインが各攻略対象を籠絡する度に悪役令嬢は不幸となる展開だったけれど、旦那様もお母様もただ黙って聞いてくれた。

 ジャンヌ未経験の王立図書館司書ルートとアルテュール様ルートを語ったところ、ジャンヌったら驚愕と疑惑の眼差しをわたしに送ってきた。お母様は特に最後に説明したアルテュール様ルートに衝撃を受けたらしく、顔を青ざめさせて口元を手で押さえていた。


「カトリーヌ。各回の私の最後を話していないのはどうして?」

「……っ!?」


 意図的に悪役令嬢の破滅は省略していたのに、他でもないジャンヌから指摘を受けた。


 勾留中や追放中にジャンヌを襲った悪意はあくまでサブシナリオライターのあの娘がブログとか同人誌で公開した非公式設定。勿論黙認した私だって同罪だ。娯楽作品上を想定して首を縦に振ったらジャンヌが実際に悲劇に見舞われた、なんて考えもしなかったもの。


「わたしが知っているジャンヌ・ドルレアン公爵令嬢が迎える最後は断罪までだから。その先の末路はいくらジャンヌから聞いていても喋りたくない」

「なら私から話すわ。そこまで話したのなら知ってもらいたいもの」

「ジャンヌ!?」

「お父様、お母様。カトリーヌの弁を捕捉するなら――」


 それからジャンヌの語った悪役令嬢の末路は旦那様すら「もう良い」と打ち切りを命ずる程だった。お母様は気を失いかけてしまい、わたしが慌ててふらっと倒れかけた身体を支える。何とか気を保ったお母様は、悲しみから涙をとめどなく流される。

 ジャンヌと私の告白が終わって執務室にはただ沈黙が漂う。耳が痛くなるほどの静寂を打ち破ったのは旦那様で、「何と言う事だ」と頭を抱えて項垂れていた。それでも気持ちを切り替えたのか、旦那様あまり時間をおかずにジャンヌとわたしを強い意思を秘めた眼差しで見つめてくる。


「ジャンヌ、そなたはカトリーヌの説明の全てを経験していると申すのだな?」

「正確には大半を、です。まだ八回目ですから網羅までは至っていませんね」

「カトリーヌ、何故そなたは経験していないジャンヌの顛末を把握している?」

「この一年間の様々な可能性を綴った伝記を目にしたからになります」


 ジャンヌが涼しげに語った様子はまるで他人事のように思えた。けれど外見をそう装っているだけで本当は破滅の運命を変えたいと一番願っているのはジャンヌの筈だ。わたしはそんなジャンヌの懇願を叶えたいし力になりたいんだ。

 それでもさすがにわたしの真実を全て明かすわけにはいかない。まだ物語の舞台となる期間を半年以上残しているんだもの。私の脚本から完全に離脱した今、この先何が起こるかは私にも把握出来ないと思う。なら創造主としての知識は最後まで秘密にしておきたい。


「ではエルマントルドを救ったのは既に経験していたからか?」

「カトリーヌをいち早く迎えられましたから、やらない選択肢はありませんでしたね」

「イングリド様を救いたかった私に賛同したのはアランソン家の悲劇を知っていたから?」

「回避出来るならするに越した事はないとわたしは考えます」


 旦那様は深くため息を漏らし、力を抜いて椅子の背もたれに体重を預ける。


「ではもしや、カトリーヌが殿下へ伝授したのは……」

「本来殿下がメインヒロインと過ごす静養中の日程になります」


 わたしもジャンヌも『メインヒロイン』と『悪役令嬢』って固有名詞を時折使った。わたしは私の混じった自分自身がメインヒロインと違うんだって意思表示がしたかったし、ジャンヌも自分が経ていない公爵令嬢の可能性は別人だって認識のようだから。


「では今日カトリーヌがジャンヌと殿下へ立ちはだかったのは……」

「悪役令嬢が示したメインヒロインへの嫉妬と殿下への憤りの再現になります」


 悪乗りし過ぎとは思わない。だって最大の疑問は何も解決されていないから。


 一つはどうしてわたしが創造主の私としての人生を思い出したのか?

 もう一つはどうしてジャンヌは断罪と破滅を繰り返しているのか?


 誰がどんな意図でこの現象を起こしたのか分からない。少なくともこのまま円満に解決にはならないって確信だけはある。様子を見るべく立場を逆転させて強引にイベントを起こしてみたけれど、これがどんな結果をもたらすか、どう波及していくかはこれから様子を見るしかない。


「ごめんなさい、ジャンヌ。貴女がそんな辛い思いをしていたのに私は――」

「いいんです、お母様。この時期にお母様が王都にいてくれる、それだけでも心強い限りですから」


 嘆き悲しむお母様にジャンヌは微笑み、静かに首を横に振った。お母様が夢幻から目覚めたのだってジャンヌが運命を変えた結果なんだ。どうしてお母様を責める必要があるだろう?


「ジャンヌよ。このジョルジュ・ドルレアンはその全てをかけてそなたを悪意から守り抜くと誓おう」

「お父様……」

「私は決してそなたを見捨てたりはしない。何かあれば気兼ねなく私達を頼ってくれ」

「……ありがとうございます」


 ジャンヌは旦那様に深くお辞儀をした。わたしも思わず深々と頭を下げていた。旦那様は腕を組み微笑みながら静かに頷いた。

 断罪され孤立した悪役令嬢を見捨てて家を守った公爵はもういない。ここにいらっしゃるのは王国を担う御三家の当主ではなく、ジャンヌの父親だった。ここまで心強い味方を得たと感じた日は無い。王太子殿下に続いてまた一つ不安が取り除かれたんだから。

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