第7話フロレアール⑦・昼食

「そう言えば、カトリーヌってどうやってこの学園に通っているのかしら?」

「えっ? 今朝会ったとおりに徒歩通学ですけれど?」

「違うわ。学費をどうしているのかって話。ここって馬鹿にならないでしょう?」

「あー。それはですね……」


 お昼休み中、わたしは弁当を持参していたので裏庭で静かに食事を取っていた。

 学食の食堂には王国中ほとんどの貴族の子が集うこの学園には王都中心部の一流レストランに引けを取らないシェフがいて、昼間から一級料理を味わえるようになっている。


 ただし食事代は取られる。

 繰り返します、食事代は払わなきゃ駄目です。


 無論貴族の方々が一々小銭を持ち歩くわけがないから、家紋の記された札を見せて後で一括して家に学費と込みで請求が行くらしい。手数料を渋る大商人の家の子は金貨を置いて釣りは要らないって言うとか言わないとか。


 そう、あくまで貴族とか大商人の家の人達を基準にメニューは設定されているのよね。

 王都に住む一般市民にだって毎日食べるにはきつい値段設定なのに、貧民出のわたしにとっては週一回食べただけでも死活問題になる。あいにく少数派の市民枠生徒なんてお呼びじゃありませんって言わんばかりなの。

 こんな事だったら『双子座』の設定決める時にちゃんと平民生徒に配慮してるんですよー的な感じにすればよかったなぁ、なんて私に愚痴をこぼしながらわたしは弁当を持参した。パンと水筒に入れた野菜入り塩スープ、それからハムがあれば十分と思って。


 で、あまり人影の無い裏庭で神に祈りを捧げてパンを口に運ぼうとしたところで、なんと同じく弁当を持参してきたジャンヌ様に「一緒にいいかしら?」って声をかけられて今に至る。勿論原作ゲームでジャンヌ様が弁当を持参されるイベントなんて無い。


「市民枠の中でも受験の際の上位何名かは特待生扱いになるんですよ。なので授業料は免除、教科書みたいな必要最低限の教材、それから制服も支給されます」

「あらそうなの。もうやり直して八回目になるけれど、カトリーヌの事情なんて聞く気にもならなかったから、知らなかったわ」


 ちなみにこの特待生制度、大商人の子が得ては意味が無いって事で世帯収入の上限が決められているらしい。とは言ってもちょっと裕福な家庭の出でも特待生になれるから、本当に貴族並に裕福な商人だったり成功した元名誉貴族の人だったりを弾く目的があるみたい。

 更に言うと特待生に選ばれたからには学園内でも結果を残さなきゃいけない。学業の成績とか学園生活の態度、社会貢献とか、とにかく何らかの形で「自分は出資するに相応しい生徒ですよー」とアピールしなきゃいけないわけだ。

 ……いくら前世で大卒までしたからって現代文学とか社会とかは一から学び直しだし、語学面も結構難易度が高い。加えて『双子座』にはファンタジー要素として聖霊学と魔導学まであるからなぁ。真面目に勉強していかないとすぐに落ちこぼれ一直線だ。


 ジャンヌ様は微笑みながら右手に持っていたナイフとこちらに近づけ、空中でゆっくりと下へ振り下ろした。その仕草はまるでわたしが袖を通している高価な制服を切り裂くようで。上品とは呼べない動作をさせるのはこの場にわたし達しかいないからか。


「じゃあ仮に制服が傷ついちゃったらどうなるの?」

「……著しく成長したとか、よっぽどの理由が無いと新しいのはくれないと思います」


 なお、メインヒロインの制服とか教科書類がボロボロにされるイベントは本当にある。ただ『双子座』の中でも後半に位置するから、攻略対象のうち誰かしらが激しく憤って犯人を見つけ出そうとしたり、新品をまとめて買ってくれたりする。その時点での好感度で反応や台詞だったりが違うから、現状確認には丁度いいってファンには言われていたっけ。

 だから今この場で裂かれたりしたら泣き寝入りするしかない。針仕事は得意だし前世でもそれなりに好きだったから、何とか縫い合わせればいいかな? 学園の品格を貶めるとか貴族令嬢の方々から散々罵られるような未来像が簡単に見えちゃうけれど。


「くすっ、冗談よ。だって前回もっと酷い事しちゃったのにそんな嫌がらせをしたって全く意味がないもの」


 ジャンヌ様も何度目かの経験でそれが分かっているのか、制服の代わりに木箱の弁当に入っていた肉を切ってから口に運んでいく。ジャンヌ様の弁当はさすがにわたしのとは豪華さに雲泥の差があるけれど、食堂があるのにわざわざ持参するほどじゃあない。完全にわたしに合わせてきた形だと思う。


 涼やかな風がわたしの頬を撫でた。木々の葉が揺れる音が心地いい。丁寧に手入れが行き届いた庭園と違ってこの裏庭はある程度自然を感じさせる作りになっている。わたしとしてはこっちの方が静かな時を過ごす分には好ましい。


「そう言えば王立学園は余所の国からも少なからず留学生が通っているのよね。だから王国として誇れるように、って学園の料理はかなりの出来栄えなの」

「そうみたいですね。入学の時貰った資料に書いてました」

「食堂に行きたいとは思わないの? 一度ぐらいは極上の味を楽しみたい、みたいな」

「お金が無いのでわたしには無理です」

「経済的な話は聞いてないわ。カトリーヌの希望はどうなの?」

「そこまで行きたいとは思いません。疲れちゃいそうで」


 これは本音かな。だって貴族方のテーブルマナーに合わせるのは凄く大変だし窮屈そうだし。わたしが紛いなりにも貴族令嬢だったらそうした教養面を磨かなきゃいけないだろうけど、あくまでわたしは平民。貴族の方々と合わせる義務は無い。


「わたしも幼い頃から姿勢を正せとかナイフフォークの使い方がなってないとか、散々叱られたものだわ」

「お腹いっぱいになればいい、とまでは言いませんけれど、美味しい食事を楽しく食べなきゃ勿体ないですよ」

「そうね。わたしも今回はちょっとカトリーヌと付き合って冒険してみようかしら?」

「言って下さったら案内しますよ。お忍びの視察よりもっと深く王都を分かってもらえると思います」


 最後のパン切れをスープに浸して口に運ぶ。それからスープを一気に飲み干して食事を終えた。 うーん、やっぱりコショウが欲しい。でも『双子座』内だとコショウは私の知識で初めて知ったぐらいの超が付く高級品。どうやっても手が届きそうにない逸品ね。


 カトリーヌ様も食事を終えられたようで、口元を拭いてから弁当箱を上質な布で包んでいった。オルレアン家の家紋が刺繍されているから特注品? あ、でもジャンヌ様も裁縫は出来た筈だから手製とも考えられるし……。


「で、本当の所は?」


 ジャンヌ様は右手を伸ばして膝の上に置いていたわたしの左手を取った。その手に軽く力が込められてわたしの左手を握ってきた。その上でやや肩をこちらに寄せてくる。まるでわたしを問い詰める、逃がさないとばかりに。


「別に……嘘はついていません」

「嘘だとは言ってないわ。けれど折角王立学園に入学したのなら少しぐらい興味が湧いたっておかしくはないでしょう? なのに見向きもしないんだから、お金以外の理由がある筈よ」

「考えすぎです。少しでもお昼休みを楽しみたいから、じゃあ駄目ですか?」

「例えばそうね……」


 ――今日起こる筈だった出来事を避けたかった、とか?


 息を呑んだ。

 やっぱりジャンヌ様は経験と勘から察したんだ。わたしがこの先を把握しているんだって。


 そう、今わたしは今日起こる筈だったイベントを完全にすっぽかしている。本当だったら初めての食堂って事で足を運んだところで吃驚なお値段を目の当たりにして現実を思い知る。肩を落とすわたしに攻略対象の一人、宰相嫡男が声をかけてきて……な展開だった。

 さすがに今朝の王太子様との再会イベントは出来てせいぜい先延ばしにするぐらい。けれど食堂イベントはわたしが食堂に行かなければ何ら問題ない。会う筈だった攻略対象を会わないんだから、好感度が上がる要素も無い。


「はい。だって面倒ですし」


 そして、この期に及んでジャンヌ様にそれを隠す理由ももう無いかな。

 あまりにあっけらかんと答えたからか、ジャンヌ様もさすがに目を丸くされた。


「……言い切ったじゃないの。言っておくけれどピエール様はこの国を担う方の一人よ?」

「本当だったら王太子殿下ともアンリ様とも関わりたくなかったんですよ?」

「何? 双子の姉がこんなに苦労しているのに少しは肩代わりしようとは思わないの?」

「あうう、それは言わないでください。でもわたしはあまり接点を持たない方が……」


 穏やかな昼食の時が流れていく。本来の展開とは違って。

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