第8話フロレアール⑧・勧誘
「カトリーヌはクラブ活動はどこかに所属するのかしら?」
放課後、帰り支度をしていたらジャンヌ様から質問を切り出された。机に肘をついて手の平に顎を乗せてこちらに視線を送る。美しく輝く長い髪が上質なカーテンのように流れていて、晴天とか夕暮れ時は映えるんだろうなぁなんて思った。
王立学園には前世の世界で言う部活に相当する活動が行われている。中には本職顔負けなぐらい本格的に取り組んでいて、自由度が高い。高校の部活と言うより大学のサークルの方がイメージとしては近いかな。
『双子座』だと体験期間中に回った中で一つだけ選択出来る。最も文章量の関係で必ず何らかの形で攻略対象と関わる破目になるのだけれど。例え帰宅部を選んでもその場合はイベントを経て生徒会活動に加わる形になる。
当然、攻略対象との接点はあまり作りたくない私としてはゲーム中にもある攻略対象所属クラブに入るつもりは無い。
「いえ、考えていません。ここに来る前は夜はお店で働いていましたから――」
「ねえカトリーヌ」
質問に答えようとしたら突如ジャンヌ様はきつめに口を挟んできた。思わず驚いて言葉を止めて改めてジャンヌ様の方を見やると、笑みを失わせてやや憮然とした面持ちでわたしの方を見据えていた。今まで微笑みを絶やさなかったものだから威圧感があって恐ろしく感じてしまう。
「私達って同じ日に生まれた姉妹。言うなら半身も同然でしょう?」
「う……あ、はい。一応そうみたいですけれど……」
「なら敬語は止めて。「わたしは平民ですから公爵令嬢のジャンヌ様とは住む世界が違うんです」って言われているようで不愉快だから」
「そ、そんなつもりは……!」
ない、とは言い切れなかった。だってジャンヌ様のご指摘は事実だから。私の知識があるからわたしはジャンヌ様とは姉妹関係なんだって分かっているけれど、納得しているかと問われたらちょっとまだだって答えるしかない。
やっぱりいきなりわたしも公爵令嬢だったなんて言われても割り切れないから。
そんな甘い考えをジャンヌ様に見透かされた。敵意を帯びた眼差しはそのせいだ。
「線引きしていたい気持ちは分からなくもないけれど、私は過去……じゃあなかったわね。前回までを水に流してカトリーヌにこうして歩み寄ったんだから、カトリーヌも私に近づいてくれたっていいんじゃない?」
「えっと、そのぉ、分かりま……分かった」
わたしとしても貴族の方に向けた敬語をこれから一生懸命学ばなきゃってうんざり……じゃない、覚悟を決めていたから、気さくに話していいならそっちの方が楽になる。有難くジャンヌ様の意向に乗るとしよう。
「じゃあ私の名前を敬称抜きで呼びなさい。嗚呼、勿論二人きり以外の場所でもね」
「えっ? みんなの前でも?」
「勿論よ。言ったでしょう、私達は半身なんだって。どうして自分を敬わないといけないの?」
「それはそうだけど……」
別にジャンヌ様を敬称抜きで呼ぶ分には問題ない。私だって散々ジャンヌジャンヌ言ってたし。けれどド貧民のわたしが公爵令嬢であらせられるジャンヌ様をそんな気さくな呼び方をしたら最後、本人が許しても周りが不敬だと不快感を持つ可能性が高い。
ジャンヌ様を始めとした貴族令嬢の方々に悪い影響を及ぼさないよう極力メインヒロインは目立たない方がいい。攻略対象から離れたってジャンヌ様の方に踏み込んでしまったら、結局わたしは悪意の矛先を向けられちゃうんじゃあ……。
ジャンヌ様は笑みを浮かべると席を立ち、わたしの前へとやってくる。そして前かがみになりながら座るわたしの肩に手を置いた。更にわたしの耳元に顔を近づけ、くすぐったいぐらいの小声で囁いてきた。
「大丈夫よ。有象無象の連中には好き勝手言わせておきなさい。カトリーヌに何を言った所で後で痛いしっぺ返しを受けるのは自分達なんですから」
「……っ。ジャンヌが望むならそうするよ」
「いいわね、楽しくなってきたじゃない」
これは嘘偽り無い想いだ。ジャンヌ様……いや、ジャンヌって後ろ盾を得たから百人力ってわけじゃない。そうしてくれるぐらいにジャンヌがわたしに関心を持っているって証だから、それに答えたいって思ったんだ。
あまりに馴れ馴れしいジャンヌとわたしの様子にクラスメイトの何人かが奇異な目を向けてくるけれど、多くの方が見て見ぬふりをして教室を後にしていく。もしかして今のジャンヌは『双子座』ないとはみんなからの認識が違うのかな? 例えば市民に興味を持ってもおかしくない変人、みたいな。
「はい、じゃあ続きいいわよ」
「えっと……入学前はお店で働いてたって所だったよね? それを学園生活が落ち着いたら再開しようかなって思ってたから」
「それって家からの強制? それとも小遣い稼ぎ?」
「お父さんお母さんの稼ぎだと生活費だけで精一杯だから。妹二人と弟、それからわたし自身の普段着とか靴とかはわたしがお金を貯めて買ってるの」
学園への進学だって本当は大反対された。そんな金どこにあるんだ、みたいに。けれど特待生になるからって無理矢理押し切ったんだ。学費は免除でお金の心配はいらないけれど、その分働ける時間は減っちゃっている。
育ちざかりの妹と弟の服はわたしのお下がりだけではさすがに足りない。かと言って食費だけで半端なくなっちゃってる今、家計簿が真っ赤になる前に仕事は再開しておきたい。ゲームみたいに攻略対象ときゃっきゃうふふしてる余裕は現実のわたしには無い。
年齢的に駄目だった夜の酒場の手伝いとかも今なら出来るし、応募してみようかな。そんな風にどうお金を稼ぐかって考えを巡らせていたわたしに対し、ジャンヌは「なぁんだ、それなら話は簡単ね」なんて言いたげに口角を吊り上げてきた。
「カトリーヌ、うちのお屋敷に来ないかしら?」
……。
…………。
………………えっ?
「そんな固まらなくたっていいじゃないの。カトリーヌが公爵家の一員だって明かすのはまだ早いものね。公爵家のお屋敷で働く気は無いかって聞いているのよ」
「オルレアン家の?」
さすがに全く予想していなかった選択肢ね。
『双子座』で徹底的に悪女に仕立て上げられたジャンヌは原作ゲームを始め、あらゆる媒体で身の回りの環境はそこまで明かされていない。私がチーフプロデューサーの命令を押し切って締切ぎりぎりに追加した読了に一分もかからない描写が無ければ一切不明のままだったに違いない。
公に出来なかった私の脳内設定がそのまま反映されているんだとしたら、ジャンヌの悪女化はこの公爵家にも要因がある。そんな居心地の悪い魔境にわたしが飛び込む? 無謀だけで済む話じゃない、ジャンヌの置かれる境遇まで悪化する可能性が……。
「私を按じてくれるのは嬉しいけれど、今回のカトリーヌとは良い関係を築いておきたいのよ。分かるでしょう?」
「えっと、具体的にはどんなお仕事を?」
「メイドをしてもらうと思うんだけれど、適正は私専属の侍女に見てもらおうと思うの。良い話だと思うけれど?」
「……ごめんなさい。待遇と勤務時間とかを教えてほしいんだけれど」
「それは私の裁量外ね。雇用主のお父様か取り仕切る家政婦に聞いてみないと何とも言えないわ」
乗るか反るか、って聞かれたら、もうわたしの選択肢は決まっている。
「それでは喜んでお受けいたします」
だってジャンヌと近づく機会が多ければ多いだけ彼女の定められた運命に干渉出来る。更に言うとジャンヌと主従関係が出来てしまえばおいそれと他の令嬢方からやんや言われる心配も無い。だって公爵家に雇われる者になるんだもの。ジャンヌ様を敵に回したくはないでしょう。
わたしの答えにジャンヌ様は満足なさったのか、ゆっくりと頷かれた。
「嗚呼、悪いけれどお屋敷内でもさっきのお願いは聞いてもらうから。いいわね?」
「ええっ!? 公爵閣下方がいらっしゃる前でも!?」
「勿論よ。私の我儘を命令で聞いているって思ってもらえるでしょうから気にしないで」
「気にしないでって言われても、他のメイドの方々が何て言うか……!」
「大丈夫よ。私付きのメイドになればそんな心配は杞憂になるから」
「――っ」
絶句する。と同時に罪悪感と申し訳なさでいっぱいになってしまった。
だって私はジャンヌをただの悪女にしたくなかった。だから境遇そのものに問題があるからってオルレアン家でのジャンヌの扱いはあまり良くない方に持って行ってしまっている。だから今ジャンヌが味わっている扱いは、元はと言えば私のせいなんだ。
そんなわたしの心中を察してか分からないけれど、ジャンヌは朗らかな笑みと共にわたしの手を取って行きましょうと言葉を送ってきた。帰り支度が済んだ鞄を手にわたしは立ち上がって教室を後にする。
「じゃあ早速だけれど今からオルレアン家のお屋敷に行きましょう」
「えっ?」
私が苦心して創造したジャンヌにわたしは振り回されっぱなしだ。
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