第72話 聖戦じゃないなら……


 ~~視点変更、三人称フランツ~~


 部屋を世話してくれると言うリリアラに付いて行ったフランツだが、なぜか彼女も部屋の中にいる事に困惑しつつも案内のままに席に着いた。


「それで、どんな無茶ぶりをされちゃったの?」


 と、温かい飲み物を用意してくれながらもそんな問いかけをする彼女。


「えーと……」となんて返していいのかわからず困っていると、おもむろに彼女は彼の頬に手を当てた。


「本当に顔色が悪いけど大丈夫? 話くらいなら聞いてあげるわよ」


 彼は彼女にそう言われて初めて自覚した。

 ああ、自分はそれほどに疲れ切っていたのか、と。


 そんな身も心も疲れ切っているところで予想外の相手に優しくされ、精神的に強いとは言えない彼の涙腺は緩み、思いのたけをぶちまけていた。

 最初はしっかりとぼかして伝えていたのだが、だんだんと止まらなくなり、聖騎士から功績を奪ってこいと言われたことまで打ち明けてしまっていた。


「そ、そんなの無理じゃないですかぁ……

 でもやってこなきゃ命は無いみたいに言われるし……」


 そう言ってぼろぼろと泣くフランツの頭を撫でるリリアラ。


「はぁ……どこの世界も上司って勝手よね……

 私たちもね、聖戦なんだから死んで来いって送り出されてきたのよ。

 今回は厳しいから死ぬかもしれないと割と皆ナーバスになっててね」


 未だ涙が止まらないフランツだが、それでも聞き逃せない言葉に「えっ……厳しい、のですか……?」と問いかける。


「あら、ドラゴンスレイヤーの話は聞いていないの?」

「いえ、それは戦時前に強く見せるためのブラフでは……?」


 と、フランツは戦時前にはよくあることでしょう、と首を傾げる。


「あはは、そう取っちゃってたかぁ……だから軍議でも思ったより空気が緩かったのね。

 でも、本当よ。うちの三席が一緒に戦ったらしいの。その人ね真面目で優しい人なんだけど、絶対に勝てないからやめようって言って周った後、出て行っちゃったんだ。次席と一緒に」


「で、でも、一人だけ、なんですよね……?」と涙声になりながらも聞かないわけにはいかないと続きを強請る。 


「うん。でも彼もね、ベテランだからそんなことはわかっているのよ。

 その彼が私たち全員でも勝てないって言いきったのよね。

 突然そんなことを言われても頭も心も追いつかなくて優しいから仲間を誰も死なせたくないと思っての言葉だと思っちゃったんだけど、いつも勇敢に先陣を切った彼が居なくなって初めて気が付いたの。

 あれ、全部言葉通りの意味だったんじゃないかって……」


 そう言われて言葉が見つからなくなったフランツはただただグスングスンと止まらない嗚咽の声を漏らし続けた。

 それを見たリリアラが「もう、仕方ないわね」と彼を抱き上げてベッドに寝かせ、抱きしめながら頭を撫でる。教会の子供たちにする様に。

 フランツの心臓の鼓動が激しくなっていることも知らずに。


「いい子いい子。いいのよ、別に逃げたって。神様はお許しになるわ」

「でも、負けたら家の者たちが……なのに私一人が逃げるなんて……」

「なら、知らせだけ出してあげればいいんじゃない?

 各々別々にしか逃げられない状況なんて戦場じゃざらにある話よ」

「そ、そうは言いますけど、リリアラさんも逃げてないじゃないですか……」


 いつの間にか彼女を抱き返していたフランツがそう言うと彼女は初めて表情を崩した。


「ははは……偉そうに言ったけど私も実は迷ってるの。死ぬのが怖くてね。

 だから聖騎士のお役目の外にいるキミと話したかったのかも……失望した?」

「そ、そんなことはありません! 私だって……誰だって死にたくなんてありません!

 なら、それならば!!」


 と、彼は体を入れ替え、リリアラを押し倒すように肩を掴み真剣な瞳を向けた。


「相手の力を計り、無理だと判断したら投降しましょう!

 であれば逃げずに生きる道が残るでしょう!?」

「駄目よ……神がお許しにならないわ。聖戦だもの」


「えっ、聖戦……? 何故です?」と理解が追いつかずフランツは問い返す。


 これはただの戦争だ。ルドレール側が仕掛けた戦争。

 いや、教会が利権を守る為に仕掛けさせた戦争とも言えた。

 フランツにはどう考えても聖戦という言葉が出てくる意味がわからなかった。


「だって、教会でそう決定したのだもの……」

「えっ……聖戦って神の残した意思に著しく反した者に対して使う言葉でしょう?」


 広く知られた人々を守るための言葉が連ねられた聖書。

 その尊い意思に著しく反した悪と断じられる者を討つときに用いられるものでは、とフランツは彼女を押し倒したままに疑問を投げかける。


「そう、だけど……?」

「であれば、これは聖戦ではありませんよ。ただの国同士の戦争です」

「でも……枢機卿ほどの立場を持つ人たちが意味も無く一つの国に加担する筈ないわ。

 教義としてやってはならないって決まっているのだもの。ちゃんとした理由があるはずよ」

「えっ……理由なんてアステラータが新薬を売り出したからに決まってるじゃないですか。

 教会からの要望も新薬の利権をすべて寄越せば全力で協力するって話になってるんですよ?」


「は、はぁ!? 利権を寄越せば協力する? 何よそれ!!」と再び体が入れ替えられフランツが肩を押さえつけられ押し倒された。


 新薬の話は知っていた。それが理由の一部にはなっているとも思っていた。

 だが、教会が利権を奪おうとしているのでは話が大きく違ってしまうと声を上げるリリアラ。

 それではまるで奪う為に聖戦と謳ったみたいじゃない、と。


 その時初めて強い不安に襲われた。

 もし、本当に他に理由が無いのだとしたら、相手が強い云々の話以前に神の意志に反する悪はこちら側なのでは、と。


「ですから、それが教会が戦争に加担する理由です。

 いえ、教会の方から陛下に持ち掛けてきた話だと聞いています。話を受けねば回復魔法はルドレール国内では使わせない、と」


「そ、そんなことあるはずが……!」と、言いかけたリリアラだが、その時、教会内部でも厚い信を得ていたディランが突然居なくなったことが再び思い出された。


「まさか、ディランはそれを許せなくて出て行ったの……?

 でもそれならば納得いくわ。あの正義感の強いディランだもの……

 えっ……じゃあ私、何の為に死ぬの……」


 そう言って悲壮感を漂わせて放心するリリアラ。

 そんな彼女をフランツは抱き寄せた。自分がしてもらった様に。


「リリアラさん、私はあなたのおかげで勇気が得られました。

 できるだけ貴方が死なずに済むよう、私なりに立ち回ってみます」


 そう言われ放心状態から戻ったリリアラだが、気が付けば逆に抱きしめられている事に気が付き困惑の声を上げた。


「い、いきなりどうしたのよ……貴方も死ぬのが怖くて泣いていたんじゃない」

「それを乗り越える勇気をあなたの温かさから頂きましたので……」


 そう言って彼は優し気な笑みをリリアラへと向けた。


「えっ……!?」

「えっ……」


 バッと勢いよく離れたリリアラに何故と言いたげに声を漏らすフランツ。

 だが、彼女が自ら身を抱く姿に離れた意味を悟り、彼は急いで声を上げた。


「べ、別に不埒な想いで言った訳ではありませんよ!?」

「そ、そうよね。フランツ君から見たら私、もうおばちゃんよね?」

「えっ……あの、もしかして私のこと、まだ子供だと思っています?」


 つーと彼女の視線が逃げた事でベッドの上で倒れ、這いつくばったフランツ。


「私はもう十九歳です。リリアラさんはほんの少し上程度にしか見えません……」


 そう返しながらも先ほどのやり取りが子供をあやすものだったと理解してしまった彼はズーンと瞳に暗い影を落とし否定の声を上げる。


「あら、十九なら大体想像通りよ? でもその年で五つも離れていたらおばちゃんじゃない?」

「そんな事はありません! 貴方はとても魅力的な女性です!」

「み、魅力的って……別に気を使わなくていいのに。男って女が強いと引くものなんでしょ?」


 口を尖らせてそっぽを向く彼女だが、その振る舞いの可愛らしさにフランツは完全に信じられていない訳ではないのだと読み、言葉を続ける。


「わかりました。では、証明致しましょうか?」

「あっ……そう言ってエッチな事するつもりなんでしょ! ダメよ?」


「ち、違いますよ!!」と全力で否定するが「もうそういう男は何度も躱してきたんだから! 今更お世辞なんて効かないわよぉ?」と顔を近づけ彼の鼻を人差し指でツンと押す。


 そんな振る舞いは誘いを躱す女の所業ではないのだが、それに気付かない二人は言い合いを続ける。


「だから違うと言っているではありませんか!!」

「はいはい、よちよち。いい子いい子」

「し、信じていませんね!? ならば私も引けません!」


 と、彼は再び彼女を押し倒す。

 どういう意図なのか、フランツの力でも簡単に押し倒されるリリアラ。


「あ、貴方を意識してはいますが、知り合って早々にそういう事をするなんて考えません!」


 信じてください、とじっと真剣に瞳を見詰め続けるフランツ。

 意識していると直接的に言われ急に視線を彷徨わせるリリアラ。


「えっ……あ、うん。わかった。わかったから……ね?

 は、恥ずかしいけど、お姉さんそういう本気っぽいの慣れてないから……」

「私もです……こんなことを軽くは言いません」


 と、色が帯びた空気になりかけたが「でも、公子様なんじゃ婚約者とか居るんでしょ?」と彼女が言ったことで彼の顔に帯びた色がスンと消えた。

 スッと離れて背を向けるフランツ。


「ええ……居ましたよ。ですが殺されました。とてもふざけた理由で」

「そ、そう……その子の事、好きだったの?」

「はい。とは言ってもずっと小さい頃から一緒だったので家族に近い関係でしたが……」


 そう言ってフランツは立ち上がる。


「すみません。調子に乗り過ぎました。

 守る力もない私にはもうそんな資格すら無いというのに……」


 そう言って立ち去ろうとした時「い、いやぁぁぁぁぁぁ!!」と彼女の叫び声が響いた。


 フランツも公子、その叫び声に迅速に動いた。

 強くはなくとも戦いの心得はある。

 彼女の向いている方向に視線を合わせ、背に隠す様に近づく。


 そうして布団を抱きしめて転がっている無防備な彼女を守る体勢になるが何も危険な事は見当たらない。


「もしかして、からかったのですか……?」と流し目で疑いの視線を向けて問うが彼女はガクガクと震えていた。


「あ、あそ、あそこ! 黒いのっ、居たのっ! やだぁ! やだぁぁぁ!」


 彼は聖騎士の中でも最強である第一席がこのように怖がるなど信じがたかったが、迫真の声に本当にからかわれている訳ではないのだろうと思い、指を指す方向へと向かい家具の裏を覗き込めば本当に黒い虫がいた。

 窓を開け、ガンと家具を叩いておびき出しハンカチで払い外に飛ばした。


「もう、大丈夫ですよ」と告げれば彼女は震えながら抱き着いてきた。


「お、お願い……一人にしないで……お願い……怖い。怖いの」


 と、か細い声で言う彼女を見てフランツは漸く本気で怖がっていたのだという事実が心に落ちて声を返す。


「ええ。リリアラさんがそう願うなら。虫程度からでしたら私でも守れますから」


 そう自傷気味にフランツは言うが「あれが雑魚みたいに言わないで! 私にとっては強敵なの! あの黒い悪魔だけはどうしてもダメなの!!」と睨まれて苦笑する。


「はいはい。では眠るまで椅子に座っていればいいですか?」

「ね、寝るまでって……寝ている時に出てきたらどうするのよ……」


 あいつらは夜活発になるのよ、と彼女は涙目で語る。

 その様に、愛らしさを感じてしまい笑いと呆れを滲ませるフランツ。


「はいはい。わかりましたよ。じゃあ寝ずの番をすればよろしいですか?」

「そ、それは流石に悪いわ……」


 ではどうしろと、と困惑するフランツだが「それなら、一緒に寝ますか?」とあまりの珍事に先ほどの後ろ暗い気持ちなど吹き飛ばされていて、自然とそんな言葉を口にしていた。


「う、うん。でも変な事をするのはダメよ?」

「あはは、私相手であれば簡単に払いのけられるでしょう?」

「いいから約束して!」

「はいはい。紳士であれる様に誠心誠意努力させて頂きますよ」


 そう言って再び彼らはベッドに入って眠りに就いた。



 そうして行軍開始までの二日間を共に過ごした二人。

 他の首席たちにも紹介されフランツからの情報という新しい風が入った事で聖騎士首席たちの心持ちに大きな変化が訪れていた。


 しかし今更帰るとも言えず、とうとう行軍が始まってしまう。

 だが幸いにも聖騎士は名目上援軍。

 立場的にもルドレールの面子的にも一番槍という事だけは無い。


 であれば目下戦う相手の戦力は実際に見て確実に測れる。

 聖戦ではないのなら引いたところで神への裏切りとはならない。

 だからまだ大丈夫。

 そんな面持ちで首席たちはフランツを連れ立って出立した。


 ルードに着いて早々に離れたロベルトとニゲルも一応国軍の指揮下に入るという条件で行軍に参加する権利はもぎ取っていた。

 左翼の司令官も中央軍の作戦の一部と言い出され、左翼軍の指揮下に入るという条件まで付いた状態で王子の言を無視するという訳にはいかなかったからだ。


 そうして、三人は一応の参戦が許可されハインフィード軍が待つ平原へと自ら歩を進めたのであった。

 強者はたった一人という情報しか無いままに。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る