第66話 ディランの苦悩
ムルグ国、聖教会総本部、議事堂にて。
聖騎士第三席であるディランは帰還早々に緊急報告の場を願い出て、声を張り上げていた。
「ですから! アステラータ帝国と事を構えるのは危険すぎるとお伝えしているのです!」
と、議事堂にディランの声が響き渡る。
コの字型に並べられた重厚な長テーブルに十数名の年配者たちが座る中、ディランは入ってすぐの場所に立ち、戦うべきじゃないと主張する。
「ふむ、そのドラゴンスレイヤーとはそれほどか。
しかし、始まってしまったものはもう止められまい?」
「そもそも理由を作ったのは帝国の方であろう。
我らにも面子がある。今更やめたとは言えぬな」
上座と言える正面中央に座る老人二人が事も無げに声を返すが、その様に彼は苛立ちを見せる。
「今であれば面子を立てながらも戦争を止める事はできましょう!
皆様にとって聖騎士の命はそれ以下だと仰るおつもりで!?」
「そうは言っておらんよ。だが、負けると決まった訳でもなかろう?」
髭を弄りながらもニコニコと言葉を返す様に真剣に考えるつもりが無いことが窺え、ディランは目を伏せる。
「負けが決まっていない……か。
竜種と言えば一匹で一国を滅ぼせる存在。どんな計算があれば勝算がある思える」
「おい、何だその態度は! 聖騎士風情が枢機卿に対し言葉が過ぎるぞ!」と、側面に座る者たちから非難の声が上がるが、上座に座る枢機卿の一人である老人が手を上げてそれを止めた。
「なに、ディランの言葉は教会を想っての事。そう目くじらを立てるでない。
ディランもじゃ。教会は国ではない。不滅であり負けは無いのだ。
それはお主もわかっておろう?
聖騎士が神の為に命を捧げ御許へと召し上げられる。ただその時が来ただけである。
ほんに栄誉なことよ」
のほほんとしたその声にディランは続く言葉を無くす。
もう何を言っても無意味だ、と頭を下げて踵を返し彼は足早に聖騎士宿舎へと向かう。
彼は元々熱心な信者という訳ではなかった。
英雄願望を持ち『聖騎士』という名に憧れて上を目指してきた者である。
熱心な信者であれば受け入れていただろうが、そんな彼には到底受け入れられる言葉ではなかった。
そう。
受け入れられないからこそ、彼は無理してまで始まってしまう前にと戻ってきたのだ。
(腐っている。己の利権を守りたいだけじゃないか……)
そもそも、一回魔法を唱えるだけで最低金貨一枚というのにも納得がいっていなかった。
ただ金が欲しいと言うのであれば大銀貨二枚程度に抑えた方がよほど儲かるのだ。
その程度であれば平民であろうと傷跡を消したいという者すら教会に来るだろう。
治療を求める者が今の十倍は駆け込んでくるだろうことは想像に容易い。
だが、彼らは頑として治療費を下げることを許さなかった。
つまりは、命を盾に取った権威というものを求めているのだという事。
教会が無駄に権威を求める事と神への信仰は何も関係が無い。
そう考えるディランには都合よく聖騎士に命を投げ出させる為の方便としか聞こえなかった。
その上で劣勢ともなれば流石にことなかれ主義な彼も何もせずにはいられない。
早速、首席会議を開き同僚にもフレシュリアの海での話と議事堂での決定を伝えた。
しかし……
「そりゃ、当然じゃないか?」
「そうだな。これほどあからさまに教会に楯突いたのだ……
強いからやめようってのは違うだろう」
と、ディランの声に五席、八席の男が何を言っているんだ、と首を傾げる。
「ディランは優しいものね。仲間の命が心配でそう考えてしまうのよね?」
主席の第一席ですら、まるでこちらが感情に流されていると言わんばかりの言葉。
彼らは教会育ちであった。
ディランのようにフレシュリアの下町で育ち、ハンターとして大成してからの登用ではない。
彼らは教会上層部が神敵と定めたのなら命を捧げる、ということに何の疑念も持っていなかった。
(いや、枢機卿は神じゃないだろ?)
そう。これは神の決定ではないのだ。
それに、楯突いたと言うが効能の高い薬を発明し売り出しただけである。
確かに教会に大きな損失がいくものではあるが、神の名を出す様なことではない筈だ。
己が利益の為に神の名を騙る者は背教者としか言えないだろう。
彼らはそのことに一つも疑念を感じていないのだろうか、とディランは再び絶句して言葉が出なくなっていた。
魔物討伐の依頼を受け、人々を救う為に出動している時には感じなかった決定的な価値観の相違。
それに絶望感を感じながらも何とか言葉を捻り出す。
「そうか。ではもう教会は戦うしかないのだな?」
そう口にした時、彼は自覚した。
ああ、自分はもう教会側の人間という感覚が消えているのだな、と。
「そうだな。大変だけどよ……まあ頑張ろうぜ」
そう言って肩を叩く第五席の男に「あ、ああ……」と声を返しながらも報告を終えて会議室を出た。
その時「あの、ディランさん」と後ろから声を掛けられた。
「これは次席のスカーレット殿。私に何か御用ですか?」
話があるなら何故、会議中に済ませなかったのだろうか、と追いかけてきてまで声を掛けてきた事に疑問を浮かべながらも問いかける。
「あの、よければ少しお付き合い願えませんか」との声に、特に困る事は無いと付いていき彼女の部屋へとお邪魔するディラン。
茶を出され一息つくと彼女、スカーレットは目を彷徨わせながらも意を決して口を開く。
「わ、私、今回はどう考えても決定的に間違っていると思うんです!
不都合だからと民から薬を取り上げようだなんて……」
「あっ、よかった。私と同じ感性の人も居たんだな……」
と、ディランは帰還してから初めて安堵の息を吐く。
「いや、私としてはこちらも治療費を下げるから薬の代金をもう少し上げてバランスを取れと言って突っ撥ねられたとかならわかるんだ。
教会だって存続にはお金がかかるからね。ただね、神敵と定めることや話し合いもせずに殴りかかるなんてやり方はあまりに傲慢に過ぎる。これでは教会と言えど民が敵に回ってしまうよ」
そう。ディランも今は教会の人間。そこの兵士筆頭である。
教会のために戦う事を完全に否定している訳ではなかった。
損失を与えてくる相手と何らかの形で戦うというのは当然の事だと思っている。
ただ、道理が通らないと思えるやり方で負けるだろう戦いに身を投じろと言われ、流石に嫌だと苦悩していたのだ。
「そう、ですよね……これからどうしましょう……」
「私は辞して帰ろうかと思っているよ。先ほども伝えたが、帝国の公子には絶対に敵わない。
一瞬で移動して絶体絶命のシェラを救い、抱き上げながらも竜のブレスを無効化し、一撃で首を刎ねることが出来る強者の中の強者だ。
いや、跳ねたという言い方は少々手緩いな。胸の辺りを全て抉り取って千切ったと言った方が正しいか」
そう伝えられたスカーレットとは信じがたいと視線を彷徨わせながらも問う。
「それ、本当に竜種だったんですか? 本物だとしても偶々弱い種だったとかありません?」
「キミがそう思うのも無理はないが、私は二度攻撃を避けるだけで精一杯だったよ。
その二度すら連続して狙われていたならもうここには居なかっただろうね」
その声を聞き、彼女は漸く彼の声を受け入れ納得の意を見せた。
「あ、ディランさんも直接戦っていたのですね……失礼しました。
しかし、リヒト・グランデでしたっけ……流石に異常ですね」
「ああ。あれは異常と言う他に言葉が無い。一体どこで鍛えればああなるんだか……」
そう言って息を吐きながらもディランは「キミはどうするんだい」と彼女に問う。
「行く場所、無いんですよね。時間も無いしこのままだとずるずる参加して戦死しそうだなぁ」
やだなぁ、と決断できない自分に呆れている様を見せ苦く笑う彼女。
「一緒に来るかい?」と彼が告げると「フレシュリアに、ですか?」と彼女は首を傾げる。
「ああ。守護者として居てくれるなら町全体がキミの味方になる。居心地はいいと思うよ?」
その声に、スカーレットの目がキラリと光る。
「そ、それはディランさんが私の面倒を見てくれるってこと、ですよね!?」
「うーん、キミの方が強いのだし、私が面倒を見て貰う立場じゃないかな?」
「いや、そうじゃなくてですね……」と、呆れ顔を彼に向けるスカーレットだが、彼は気にもせずに立ち上がる。
「もしキミがその気なら、辞職願いを出してさっさと行こう。
こういう時は迅速に出ないと責任だなんだと止められてしまうからね」
「あはは、慣れてますね?」と、アプローチを流された事にがっかりしながらも力ない笑い声をあげる。
「うん。これでもハンター上がりだからさ。
ハンターは身を守る術を身に着けないと面倒ごとに直ぐ巻き込まれるんだよ」
と、二人は荷物を纏めると簡潔に辞めるという言葉を書いた紙を事務に提出し、そのまま宿舎を出て行った。
そうして聖騎士の次席、三席が辞職を表明し出ていった。
それと時を同じくして聖騎士への招集令が発令される。
それも名目は聖戦である。
聖戦、それは神敵が相手の時に使われる、神の為に命をとせ、という意思表示を含んだ言葉。
しかし、それは聖騎士だけの話。
戦いと関係の無い者たちは一切脅かされる心配がないからか、教会総本部はいつもと全く変わらない空気を放っていた。
笑い声が上がりいつもよりも明るい空気すら感じさせられた。
集まった聖騎士たちはそれを見て所々で不満げな顔を見せている。
その後、始まった枢機卿の演説。
そこでも自分たちの命の扱いが軽すぎる事を感じ、白けた視線を返す聖騎士たち。
ディランに戦うのが当然だ言っていた首席たちもこれは無いと思ったのか、顔を顰めていた。
本当にこの戦いで命を投げ打っていいのか、という疑問が彼らに過る。
だが、もう後の祭り。今更行かないとは言い出せない。
彼らはいつもの魔物討伐のように送り出され教会総本部を後にすることとなった。
一先ず、向かう先はルドレール国、王都。
千四百を超える聖騎士軍は列を作り、ぞろぞろと進軍をしていく。
「しかし、ディランの奴が逃げ出すとはなぁ……考えもしなかったぜ」
首席たちは何とも言えないと言った風に苦い顔を見せる。
「まあ、私もあの空気にはイラっときたけどね。議事堂でもっと酷い話を聞いたんでしょうね」
「だろうな。聖騎士ならば聖戦と言えば喜んで命を捧げるとでも思ってるのかね?」
「でも、そうなるとよ……
ディランが逃げ出すほどの酷い内容が俺たちに降りかかるって事だよな?」
「たった一人の強者ならやりようもありそうだが……それがわからぬ男ではないよな」
「次元を超えた強さって言ってたわね……」
五席の男がそう言うと彼らは言葉が無くなり、気まずさから自然と視線を逸らすのであった。
一方、先に町を出たディランたちだが、彼らは彼らで別の難題に遭っていた。
「えっ? 通れないのかい?」
「それはそうですよ。貴方が聖騎士を辞したなんて話は聞いておりませんし、聞いていてもお伺いも無しには通せる訳がないでしょう!」
「けど、ここを通らないと私は故郷を帰れないのだけど……」
「知りませんよ。そんなこと言われたって……」
そう。
開戦した以上、出るならばまだしも帝国への侵入を許すわけにはいかなかった。
フレシュリアにはアステラータを通って行かねば入れない。
正確には山を通るという手もあるのだが、その場合は密入国者となる。
それでは結局フレシュリアへの入国でも揉めることになってしまうので、祖国にも大きな迷惑をかけてしまうことになる。
どうにか穏便に通る方法はないだろうか、とディランはその場で考え込んだ。
「ど、どうしようか……
その一応、聖騎士を辞したという言葉を添えてお伺いを立てて貰えないかな?」
「それは構いませんが、証明できるものはありますか。それと時間も掛りますよ?」
ディランは困り顔を見せながらも事務手続きをした時の書類を渡し、か細い許可の可能性に縋る。
「考えてみたら当然ですよね……私も失念してました」
「私もだよ。最悪はフレシュリア城に手紙を出すしかないかな……」
「わぁお、お城に直接だなんて流石ディランさん! 顔が広いですね?」
彼は申し訳ない、とスカーレットに謝罪するが彼女に気にした様子は無い。
逆に若干嬉しそうに「じゃあ、今夜の宿はディランさんの持ちで」と笑う。
「あはは、その程度お安い御用さ。先日、褒美も沢山貰ってしまったしね」
「あら、貧乏なら同室でも構いませんよと言おうと思ったのですが……?」
チラチラと彼を見上げる彼女だが「ははは、未婚の女性にそんな真似はさせられないさ」と紳士的に笑われて彼女はスンと表情を消した。
そうして彼らは国境から一つ手前の町まで引き、宿を取る事としたのであった。
その知らせは、国境から道が直で繋がっているトルレーにも送られた。
潜入する可能性を示唆され注意されたし、というものだ。
当然、彼らが表明した理由も添えてである。
その情報はすぐさまトルレー代官からサンダーツへも送られた。
「へぇ、次席と三席が……そのまま信用する訳にはいかないけど、フレシュリアに送って国境を越えさせなければ孤立化はさせられるか」
と、サンダーツ領を任されるリヒト・グランデ子爵は開戦前からの思わぬ敵の瓦解にニヤリと笑みを浮かべる。
「そうだな。ディラン自身がそうした謀りをする風には見えんが自然とそうなるであろうな。
フレシュリアとしてもそちらの方が助かる」
「とはいえ時間はありません。義兄上の信用を使って暫くこの屋敷の牢に置いておけませんか?
できれば表に出てきている間に身柄を押さえてしまいたいんですよね」
牢に、と言った瞬間エルネストの顔が苦く歪む。
彼はフレシュリアを守った英雄だ。
シェラもそうだが、彼女は伺いも無しに突撃している上にルーゼスと直接繋がっていたのだから牢に入れられて当然の立ち位置にいる。
だが、彼が開戦を聞き本当に聖騎士を辞したのであれば、完全に敵意無しと表明していると言える。
その状態で自国の英雄を牢に入れるという点で難色を示した。
「牢と言っても内装は貴族用にしてしまって構いませんよ。
あっ……でも一つしか無いし男女一緒になるのか……」
牢屋にちゃんとしたトイレなどある筈もなく、上等な扱いという形にはならないなと彼は声を窄ませる。
「国の対応として致し方ないのもわかるが、ディランであればそれほどの心配は要らんぞ?
シェラとは違い、民を守る為に自ら危険に身を投じ続けた本物の英雄だからな。
本当に教会から足を洗ったのであればもう敵対はすまい」
「甘い。甘いですよ義兄上」とリヒトは嘆息する。
「事の重さを鑑み、どう間違っても大丈夫な措置が必要な時なのです。
義兄上も王子ならその程度、間違いなく習っている筈ですが?」
「むぅ、それはそうなのだが……先日、命を賭して国を守ってくれた相手であってな……
まあその通りであるから義弟の決定に異を唱えるつもりも無いが」
そう。先日の大規模な時化で彼は兆候を逸早く観測し国に報告を上げながらもシェラを呼んで備えてくれた。
そのどちらが無くとも町は落ちていただろう。
彼のお陰でシュリット港が守られたのだ。
そのような行いが昔からされていると考えるとフレシュリア王家の者としては、わかっていても庇う言葉を放ってしまうのだろう。
そんな者の声を信じずに牢に入れるという行いに心労を感じるのは当然であった。
「ああ、そうでしたね。フレシュリアにとってはそういう相手でした。
国境に行く程度なら時間もありますし、とりあえず実際に会ってきますか……」
「そうだな。直接会い、言葉を交わす方がよかろう。
俺からも情勢上できぬ事はできぬと理由も説明もできるでな」
そうしてリヒトは皇都への出立の期日が近づいている中、エメリアーナ、エルネスト、ハインフィード騎士団のベテラン五名を連れて国境線にある関所へと赴いたのであった。
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