第53話 英雄の墓、再び


 義兄上がハインフィードの屋敷で一泊した次の日。


 凡その話し合いを終えて義兄上と新薬増産体制の視察へと訪れたのだが、思いの外問題点は見当たらずこれならば少なくとも献上品がどうこうなる心配は無いと言えるほどに順調だった。


 まあ流石に三月と言ったが、三万なら無理すれば一月で用意できそうな数だからな。

 とはいえ、それをするには在庫を全部出し採算を無視して方々から薬草を搔き集めたりする必要が出てくるが、そんな心配は一切要らなかった様子。


 そんなこんなでさくっと視察を終え、屋敷の応接間へと戻ってきた。


「ふむ。どんな無茶振りをされるのかと思っていたが思いの外、楽な仕事のようだな?」

「ええ。とりあえず色々ある中の一つはこのまま放置で良さそうです。

 では、明日から僕らは遠征へと出るのでその間の打ち合わせを行っておきましょうか」


 と、英雄の墓へと出ている間、義兄上にも働いて貰おうと口にする。


「なにっ!? そっちは聞いてないぞ?」

「ええ。言っていませんから。

 そんな事よりも第一王子として教育を受けた義兄上は書類仕事もできますよね?」


 最初に伝えれば行くと言い出しそうなので意図的に伏せた。

 流石に前日ならば無理だと察してくれるだろうとギリギリになって伝えた。


「お前なぁ……普通は数日の歓待は常識だろ?

 適当に仕事を投げて放置とか流石にありえんぞ」

「義兄上が普通に来てくれたならしっかりと調整したんですがね?」


 ジト目にジト目をお返しすれば彼は自らの行いを思い出したのかクスリと笑う。

 そうだった、と。


「まあ、大人しくしていてくださるなら好きにして構いませんが……」


 流石にぞんざいに扱い過ぎたかな、と選択を迫る言葉を放ったのだが、彼の興味はもうそっちには無かった。


「おい、俺も連れてけ。お前が行くという事は安全な場所を作れるからだろう?」


 と、少しキラキラした目でこちらを見ている義兄上。

 相当に行きたいらしい。


「言っておきますが、僕も放置されてますからね。

 グランデから護衛を連れていき勝手に攻撃している形です。

 ハインフィード騎士団には要人の護衛はできないと知り置いてください」


 そう。彼らは後ろに通さない自信があるのだろうが、もしもの備えという言葉を知らない。

 全力で敵を殲滅するのみだ。

 それもまた早期による危険の排除としてはありなのだが、要人警護には向かない。


 そう思って伝えたのだが「いや、それはおかしいだろ」と、信じてくれない義兄上と言い合っていると明日から遠征だからか、訓練を午前中のみで切り上げてきたエメリアーナが戻ってきた。


「あんたら、またやってるの?」と彼女は呆れた視線を向ける。


「丁度良い。エメリアーナからも言ってくれ。

 ライアン殿たちに付きっきりになるような護衛なんて無理だよな?」

「そりゃそうでしょ。近づけさせない方が安全なんだから。

 付きっきりになって後衛に魔物を近づけたら危険じゃない」


 と、当然の様に言い放つエメリアーナ。


「なるほどな。嘘を言ったわけではないのか。

 エメリアーナよ。俺が共に行っても守れるか?」

「はぁ? 当然でしょ。守れない不安があるならリヒトを連れて行ったりしないわ」


 そう義兄上に返すと彼女は急にもじもじし始めて「わ、私のお義兄様になる人なんだから……」と呟いた。


 いや、そう言ってくれるのは嬉しいのだけれども……

 義兄上には言って欲しくなかった。


「では、不測の事態が起こり仮に漏れても数匹であろう。ならば俺の護衛で事足りる。

 共に居た方がリヒトの不安も晴れるのではないか?」

「いや、そもそも何しに行くんですか。遊びに行くんじゃないんですよ?」


 と、抵抗を試みるが、彼は手のひらの上で魔法陣を組んで見せた。


「ずっと運動を控えさせられていたのでな。こっちで時間を潰した。

 簡単には魔力が尽きぬ後衛が一人増えるだけなのだから問題はあるまい?」


 そういう問題だけじゃないんだよ。体面上の問題もあるのだ。

 父上や皇帝陛下が知ったら絶対怒るもの。

 一体何をしておるのだ、と言われるのが目に見えている。


 けど、正直気持ちは痛いほどわかるんだよなぁ……

 僕も近い立場に居てずっと力を付けたいと思っていたからよくわかる。


 痩せられる機会が逃げてしまいそうな気分になる焦燥感。

 不治と言われた病が本当に完治したのだという事実を確かめたいという渇望による衝動。

 それらに一度に襲われるのだから置いていったら他で無茶をされそうだよな。


 内密にという手も取りたくないなぁ。

 カールに秘密にしてなんて言えば彼の責任問題になるからな。

 今回は表に上げられる理由が無いので仕方ないことだったと言えないのだ。


 だから伝わってしまうのは避けられないのだけれども、正面からの却下もしたくないなぁ……

 義兄上は王家を出て他国へ来ているのだし何の力も無いというのは不安だろう。


 仕方ない。

 ハインフィード騎士団が守りに付いていたので問題が無かった、という事にするか。


「はぁ……仕方ありませんね。ただ、シャリエスさんとハリスに了承を得られたらですよ?

 護衛をするのは二人なのですから。英雄の墓はそれほど甘い場所ではないので」


 そう伝えれば彼は口端を持ち上げ「その程度、何の問題も無い」と立ち上がり壁際に立つ二人に向き合う。


「お前らならば俺を守れるな?」

「できますが、嫌です。必要が無いことですので」

「深層の魔物が闊歩する地と聞いております。どうかお考え直しを……」


 その声に意外にも義兄上は「ならん!」と大声を上げて二人を睨みつけた。


「俺のこの先を考えよ。早急に力がいることは承知しているだろう。

 継承権を捨ててきたのだ。機を見て王家からも出ることになるのだぞ」

「嫌われているからとて流石に殿下に手を上げるなどという事は……」


 と、否定したそうにしているものの途中で言葉が止まり視線を逸らすシャリエス。


「いや、無いとは言えないよ……姉さん」


 苦い顔を見せたハリスに「そう、ね……」と彼女もやるせない顔で俯く。

 どうやら、それらしきことがあった様子。

 恐らくは貴族に正面から喧嘩を売った時に陰ながらの悶着があったのだろう。

 そうして彼女が黙るとハリスの視線がこちらに向く。


「レトレイナ様の弟君であるリヒト様だからこそ、信頼して尋ねます。

 本当にエルネスト殿下の安全を確保できるのでしょうか?」

「当然、完全には無理だね。英雄の墓と呼ばれる戦場でそれを確約する方が愚かな事だよ。

 ただ、ハインフィード騎士団が魔物を後ろに通す姿は見た事が無いから戦闘面では絶対の信頼を置いている。

 でなければ、行き先を何としてもダンジョンに変更して頂いていた。 

 その程度の危険度と考えてくれ」


 そう返せば彼は少し考え込み「今からでもダンジョンに変更して頂くわけには参りませんか?」と疑問を投げた。


「僕らにも強くならねばならない理由があるから遠征の方を中止するのは無理だが、そこなら僕らは必要が無いのだから、キミがそうしたいのならば自分で説得すればいい。

 当然、その場合はうちからも護衛を出すけどね」


 その僕の声を聞き彼はそのまま殿下の前まで歩いて膝を付いた。


「エルネスト殿下……殿下であれば物事に順序があることは重々承知の筈です。

 ダンジョンであれば我らが確実にお守り致します故」

「はぁ……面倒だ。俺の心の内を明かしておこう。

 俺はもう国に戻るつもりは無い。このまま死んだことにさせて貰うつもりだ。

 父上も渋々だが受け入れた。俺はもう自らを守れる力を付けねばならんのだ。

 そうなれば俺の身分は無くなる。その後はお前らも国に戻すつもりだ。

 そこまで言えばもうわかるだろう?」


 うーむ。

 時はあるのだしダンジョンの方でもいいと思うのだが、義兄上も焦っている様に見受けられる。

 フレシュリアではそれほどに面倒な事になっているのだろうか。


「殿下……見くびらないで頂きたい。私は殿下に仕えるとお伝えしたつもりですが?」


 と、普段無表情を貫いていたハリスが怒気をあらわにして義兄上を睨みつけた。


「しかしだな……後ろ盾が無くなればただの人なのだぞ。

 遠い先の話になるが、長年仕え続けてくれた功績を労う事すらできぬかもしれんのだぞ」

「ですから、見くびるなと申しております。労いの為に仕えている訳ではありません」


 シャリエスさんからも向けられた強い視線に流石の義兄上も困り顔を見せた。


 雇用側である僕は義兄上の気持ちは重々わかる。

 義兄上も見くびって言っている訳では無いのだ。

 使う側としては信賞必罰を貫かねばならない。

 それでは組織が回らないという理由もあれば、気後れもある。

 だから困り顔で返すしかなくなったのだ。


 だが、そこは臣下の矜持には関係が無いところ。

 困る義兄上と睨む従者たちという状況が続いたので僕が間に入った。


「二人とも、義兄上の気持ちも考えてやってくれ。

 主として満足に労いが出来ないのは情けなく恥ずかしいことなんだ。

 決してキミたちを軽んじての言葉ではないよ。

 まあ義兄上なら数年もあればある程度の立場は作り上げると思うけどね」


 と、最後にニヤリと義兄上に笑みを向けながらも言えば「でしたら!」と声を上げるハリス。


「まあ、その為には過保護でいてはダメだけどね?」と補足を入れれば意気消沈したが、その後の義兄上の言葉で空気が変わる。


「ふっ、いいだろう……

 お前らがそう言うのであれば付いて来い! お前らの面倒くらいみてやるわ!」


「「殿下……」」と、感動した面持ちの二人。


「リヒト、焚きつけたのだからお前の力も借りるぞ?」

「はっはっは、こっちの台詞です。義兄上の力も借りますよ?」


 そうして互いに挑戦的に笑みを向け合う。


「それならもう安心できるくらいに強くなって頂いて、今後は行動を共にしましょうか」

「おお、流石は我が義弟。話がわかるな。だが、少しは遠慮もしろよ?」


「ダメよ! うちには余裕は無いんだから!」と、嬉しそうなドヤ顔で言うエメリアーナ。


 何やら彼女はハリスたちの忠義に感動している様子。

 私もその様に思われる団長になりたい、と思っているのだろうな。


「はは、エメリアーナは手厳しい。

 だがその愛らしい容姿でそれほど強気に言われてはお手上げだ」

「ふふん、嫌なら力を見せなさい。武力じゃなくてもいいわ。

 私の方は遠征で見せるのだからお相子でしょ?」


 慣れた手つきで腰に手を当てて胸を張るエメリアーナに「いいだろう。だが時は寄越せ」と斜に構えて声を返す義兄上。


 ふむ。衝突しないか不安だったが、割と問題なさそうだ。

 二人の様子にそんな感想を浮かべながらも遠征の支度に奔走した。


 そうして迎えた英雄の墓、討伐遠征では相も変わらずハインフィード騎士団の怒涛の攻撃により一切の危険は無かった。

 僕らは三人並んでひたすらに魔法を撃つ時が続いた。


「全く。何の危険も無いではないか。なんだ、あの強さは……」


 と、何に憤って居るのかわからぬ感じに愚痴を漏らす義兄上。


「全く無い、という考えはダメですよ。

 何処からどれだけ来るかがわからないのが未開の地なのですから」


「だが、あれは抜けんだろう?」と、若干遠い目でハインフィード騎士団を見る。


 本当に相変わらずの強さである。

 魔物が攻撃しようがガードしようがお構いなしに一撃で叩き切る様は圧巻である。


 義兄上の声に思わず同意しそうになったところでリーエルが間に入った。


「エルネスト殿下、私の父は騎士団が全盛期であった時に五百の兵を引き連れてスタンピードに当たりましたが、それでも帰らぬ人となりました。

 リヒト様の仰る通り、警戒を怠る様なことはなさらないでくださいね?」

「む……そうであったか。では、俺も少しは姿勢を正すとしよう」


 そうして少し身を正しつつも討伐を続き、二週間の時を経たのだが、そこで問題が発生した。


「義兄上、動き過ぎですよ。少し瘦せちゃいましたね……」

「心なしか顔つきも健康そうになっていますね……」

「ぐっ……痩せても微妙な顔をされるのか。理由もわかってはいるが……」


 そんな中、腕を組んだエメリアーナが義兄上の前に立つ。


「全く、どうでもいいこと気にしてんじゃないわよ。

 あんたも大きな男になるんなら下向いてたらダメよ!」

「そうだな。所詮はエルドの結婚までの話。今は多少力を得られただけで我慢しておくか」

「あっ、当然だけど訓練もしてないあんたは前衛としては戦えないからね。忘れちゃダメよ?」


 エメリアーナに慣れてきたのか少し打ち解けてきた様で、義兄上も心なしか楽しそうに言葉を交わしていた。

 そんな二人を見て僕とリーエルは目を見合わせた。


「ええと、無いとは思うのですが……もしあった場合、いけますか?」

「ええと……ハインフィードは名の売れた辺境伯家だし、エメリアーナはハインフィードに留まるのだから話しさえ通せば問題は無いと思うけど……」


「あるかな?」

「どうでしょう……」


 と、二人の発展先が全く予想できず僕らは首を傾げた。


 そうして二週間の時を掛けた遠征も無事に終わり、次は急ぎトルレーだと戻って早々に再び準備に奔走したのであった。



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