第47話 下準備
「皆、急なお願いを聞いてくれてありがとう。よくやってくれた」
そう労いの声を掛ければハインフィード騎士団の面々はお安い御用だといつも通りに笑ってくれた。
だが、エメリアーナが少しこちらに疑うような視線を向けていた。
若干の不安や悲しみを滲ませた様な顔だ。
「ど、どうしたんだ?」と、普段向けない珍しい表情に困惑して問いかける。
「ねぇ、あいつがこの期に及んでふざけた事を言ってたから、首を締め落としたらルンが凄く悪いことをした様な目で見てきたんだけど……ダメなの?」
拗ねた子供の様な目でこちらをジトっと見るエメリアーナ。
その状況は容易に想像がついた。
「ああ、そういう事……」と呟きながらも彼女の瞳を見詰める。
「最初にはっきり言っておくよ。よくやってくれた!」と、僕は笑って親指を立てた。
その様を見せれば彼女の口元がニマっと少し緩む。
それに頷いた後「だが、ルンがどうしてそんな顔になったかも知っておいて欲しい」と言葉を続ける。
「簡単に言ってしまうと敬われている相手を足蹴にすれば敬っている者が全員敵になるんだ。彼は取り繕っていたからわからず敬っていた者も多いし、皇家は問答無用で敬いの対象だからね。
一歩間違えば国中が敵になる、という事。そこで重要になってくるのが力関係なんだ。
自分よりも強い相手と正面から喧嘩をしても負けて嫌な思いをするだけだから相手も極力強い相手には仕掛けない。
それと負けた時だけど、負う責はキミだけのものとはならない。
場合によってはリーエルや僕、ハインフィード騎士団もセットで殺されることになる。
つまりは己の感情だけを考えて動くと周囲を巻き込むかもしれないということだね」
損得勘定だけで考えた話だがその二つが一番大きいから理解しておいてほしい、と彼女に告げる。
ルンもキミに悪意があってそんな目を向けた訳じゃないんだ、と。
そう伝えると彼女は途端に不安そうな顔を見せた。
「そんな顔をする必要は無いぞ。言ったじゃないか。よくやってくれたと」
「だ、大丈夫なの……?」と、未だ不安な顔を隠せないエメリアーナ。
大袈裟に言ってしまったが、ハインフィードに篭れば皇家を敵に回しても負けは無いので殺されるような事にはならない。
何処までやったのかは知らないが、必要な事だったのにその沙汰はいくらなんでも納得がいかない、と言いつつ引き籠っていれば本気で殿下をボコボコにしていたところで何もされないだろう。
父上にはしこたま怒られるだろうが……
それに今回の件は誰がどう見ても殿下が悪い状況。
僕らに全く力が無かったとしても暴れたから大人しくて貰ったで済む話である。
ただエメリアーナはこういう問題に疎すぎるので見識を広げて欲しかっただけの事。
「彼が事件を起こす前で陛下に嘘を吐かれていたら僕らが悪者にされてしまっていた可能性もあるけど今は間違いなくそれは無い。
そういう事を回避できるようになる為の立ち位置作りをしてきたから、多少の大義名分があればもうどうにでもできるよ。
これが僕が文官として蓄えた力だ。任せてくれていい。
キミたちの武力ばかりに寄りかかりたくはないからね」
そう言って笑いかければ騎士団の皆が「婿殿は頼もしいのぉ」と盛り上がる。
エメリアーナも安心した様子だ。
しかし、本当に成長してきたな。
彼女の残念な部分をよく知っている僕としてはちゃんと周囲の反応を見て反省した方がいいのかと考える様になっただけでもよくやっていると褒めたいくらいだ。
どう考えても文官タイプにはなれないだろうが、このまま成長してくれれば騎士団長としてライアン殿よりは先を考えられる長になってくれるだろう。
ライアン殿は全てにおいて力技だからなぁ。
まあとんでもない強者だから武力関係で成せる事ならどうとでもなっちゃうし、人徳もあるので周囲も支えてくれているから不具合は無いみたいだけども。
何にせよエメリアーナも落ち着きを見せたし、ルンたちからの報告も聞かないとな。
「ルン、ヘーゲル、二人もよくやってくれたね。実行犯は何人捕らえられた」
と、労いの声を掛けながらも尋ねると、言い難そうに「いえ……御者の一人だけ、です」とルンが言う。
「やはり、強かったのか……?」と、ハインフィード騎士団に聞いても参考にならないだろうと二人に問う。
「少なくとも、隊長らしき男は間違いなく私よりは強かったかと」とヘーゲルが言う。
ルンに視線を向けると「魔法の使用許可をくださるならば勝てます」と強い視線を返された。
やっぱりか。武力でも高い評価受けているグランデで重用される二人がそう思うならばかなりの手練れ。
ルンが二段階目の強化を使えば何とか勝てそうだ、というレベルか……
強化魔法のハンデがあってそれだと結構ヤバいな。
他の兵士たちもかなり練度が高かったらしい。
そんな要と言える兵を簡単に死ぬ危険の高い任務には付けない。
であれば重く考えた上でやると決めたという事。
恐らく、ルドレールの意思としては最初から戦争にもっていく算段という訳ではないがなっても構わない、という認識なのだろう。
仮にそれが間違いで王子の後ろ盾が独断で動かした最高戦力だとしても、此処まで仕掛けられてしまったのならこちらももう多少の事では止まれない。
いや、後世の為に止まってはいけない、と言った方が正しいか。
城に忍び込まれ近衛を殺されて皇子が攫らわれても守りに入るだけでは本格的に下に見られてしまう。
隣国に下に見られた国というは悲惨なものだ。
舐められればあの手この手で搾取を試みてくることは歴史が証明している。
「リーエル、これはこれからも僕らがある程度は動かないと厳しいみたいだ」
本当ならば二人でゆっくり領地運営に勤しみたいのだが、本格的にそうも言ってられない状況になってきた。
ここまでされたのであれば最低でも首謀者の首を寄越させ、公に国として罪を犯した事を認めさせて賠償金と共に大々的に謝罪をさせなければならないが、そんな事はしないだろう。
つまり、やるしかないのだ。
気乗りはしないが、のんびりはできなそうだと彼女に告げる。
「ふふ、リヒト様と二人で色々な事をするのは私には嬉しい日々なのですよ?」
「はは、これはまいったね……僕の彼女がとても素敵な人で何よりだよ」
「か、彼女……」と頬を染めるリーエル。ああ、もう攫ってしまいたい。
だが、じっと見つめ合っているといつも直ぐに邪魔が入る。
今回も例外ではない様だ。
「はぁ……何時まで見つめ合ってんのよ。それで、私たちはこれからどうしたらいいの?」と、問うエメリアーナ。
「また領地で騎士団の続きでいいよ。
葬儀は終わったし、僕らも落ち着いたら一度戻るから」
「えっ、そうなの!?」と、リーエルに視線を向け嬉しそうな顔を見せる。
「お預かりする予定の方も居るでしょ。
商会や事業のこともあるし、うちを尋ねたいというお客様の話もちらほら出ているの」
そう。僕らはもうちゃんと学院に通って卒業を、と気にしなければいけない立場じゃない。
まともに卒業していないなどと言おうものなら馬鹿扱いされる程には有名になってきている。
なので僕らの行動に領地が優先されるのは必然なのである。
「それとね、今回頑張ったエメリアーナにリヒト様が何かプレゼントを買って下さるみたいだから領地で楽しみに待ってて」
えっ……
いや、プレゼントというか功績に対する褒美だよ。
エメリアーナは金よりもお姉ちゃんから何か渡された方が喜ぶかと思っただけなのだけど……
そう思っていたのだが、エメリアーナは思いのほか嬉しそうだ。
少し口元が緩んでいるのが見受けられる。
「へ、変なのだったら承知しないから!」と、言いつつも爛々とした期待に満ち溢れた目を向けている。
いや、重い重い!
そんなに期待されても何を渡していいのかわからないから!
「いや、そう言うなら要望出してよ。何が欲しいの?」
「うーん……装備?」と、あまりに色気の無い要望に苦笑させられたが、それでいいなら奮発してやろう。
国から出る褒美と騎士団で使う装備の予算を鑑みれば結構な額を投入できるだろうからな。
騎士団長候補として威厳のある意匠の付いた装備でもプレゼントしよう。
それなら戦闘だけでなく団長の威厳を保つ面でも助けになることだろう。
「わかったよ。時間は掛ると思うが、楽しみにしててくれ」
「わかった! 待ってるから!」
そうしてはしゃぐエメリアーナをリーエルと二人で微笑ましく見つめていると、彼女が「何よその目は! 馬鹿にしてるんでしょ!?」といつもの様に怒りだした。
まあ、昔と比べてちゃんと子供がじゃれつく様な怒り方には変わっているが。
そんな彼女を宥めて話に段落が付く。
このまま直帰できればいいのだが、国が彼女たちに聞きたいことだらけなのはわかっているのでそうもいかない。
皆は聴取を受けてからのお帰りとなる。
「さて、僕らも打ち合わせに行こうか」とリーエルへと声を掛ける。
「はい。お爺様が送ってくださった方をお待たせしていますものね」
お爺様、というのはゲン爺の事。
どうやら元侯爵をゲン爺と呼ぶことに抵抗があるらしく『ルシータのお爺様なら私のお爺様でもありますよね』とごり押ししていた。
相談の手紙を送り情勢を色々伝えたのだが、その時の配慮で密偵として働ける者を送ると言ってくれていたのだ。
その彼との打ち合わせは葬儀にて事が起こるか否かに掛かっていたので、その後に話をしようと待たせてあるのである。
その彼を屋敷へと招いて三人での密談を行う。
「この度は、我々を手厚く受け入れて下さり、感謝の念に堪えません」
「あの程度ならどうという事は無いよ。
それにこの様に協力をしてくれることでこちらとしても有難いくらいだ」
こうして話は始まり、密偵として来てくれた筆頭分家の次男であるスルトと言葉を交わす。
手紙に書いた事は伝わっているとは思うが、改めてと一連の流れを説明する。
ライラ嬢を使ったアストランテ殿下の篭絡作戦。
サンダーツに兵を送った事。
アイリーン王女の留学。
そして今回の殿下逃亡の手助け。
それらの話を関連した内容からゆっくりと纏めて一から話した。
「とまあ、随分と好き勝手されてしまっていてね」
「それは……いくら何でも、やりすぎですね」
彼の声に頷き、ルドレールの内情を掴んできてほしい、と伝える。
「その、どこから、という目星の方は……」
「すまないが、目星は無い。逆に言えば失敗しても構わないものとして自身の安全を最優先に動いてくれ。こっちはこっちで情報が無くとも盤石にする準備を行う。
先々を見た足掛かり程度で構わないよ」
「なるほど。昔の伝手は使わない方がいいですよね?」
と、難しい顔を見せたスルトはロドロア時代の人脈を使うか否かを問いかけた。
「いいや、気にせず使ってくれていい。
僕らはもうキミたちを日陰者にし続けるつもりは無いからね」
と、リーエルの方へと視線を向けると彼女も頷く。
「ええ。この度の危機にハインフィードの力は国にとってより必須となります。
であれば、知られるならば今が丁度良いのです。
リヒト様が『黙れ』と一言仰るだけで言い返せる者は敵側にはおりませんから」
えっと、リーエルさん?
黙れ、と言外に言うのはキミの役目ね。
というかキミの権威で黙らせるんだからね?
と、今一辺境伯としての自覚が薄そうな彼女に訂正を入れつつも話を進める。
「ま、まあそういう事だ。
功を立てて表彰される様なことになれば表の立場も与えてあげられるだろう。
だが、無茶はしないでくれよ。キミたちはもうハインフィードに必要な力なのだから」
「――――っ!! は、はいっ! 必ずや、有益な情報を掴んで参ります!」
いや、だからダメでもいいと……
流石に無茶を言っている自覚はあるからね?
公爵家の当主たちですら幾人も人員を送り込み時間を掛けてあの程度の情報を抜くのがやっとなのだ。
それに待っていればシェール侯も情報を齎してくれることだろう。
だから試験運転くらいのつもりで構わない、と彼に言い聞かせたが何やらかなりやる気になっている。
そんな彼に支度金を渡してルドレールへと向かう様に送り出した。
「大丈夫でしょうか……無茶をしなければよいのですが」
「ゲン爺が推す人だから大丈夫だとは思うけど……」
何やら勇んで計画を立てていた彼の様子を少し不安に思いながらも次なる行動に出る。
お次は新薬の増産体制を少し無理してでも急がせろ、という指示だ。
戦争になれば使うかどうかに関わらずとんでもない数が入用になる。薬草関連は今から動いても間に合うかどうかな所だが、どちらにしても急務であることに変わりはない。
「領地に戻ったら墓守の遠征にも行くからね。今回もがっつりやるよ」
「……またリヒト様が戦争に赴く、ということでしょうか」
と、少し勘違いをしてそうな言葉を聞いて訂正を入れる。
「今回はキミもだよ。これは内乱ではない。
国防の要であるハインフィードの当主は貴族の務めとして出なければならないんだ」
そう。武家の当主はほぼ強制の出兵となる。
論功行賞でリーエルが学院襲撃で戦った話も出ている。年齢を理由に回避するには評価が上がり過ぎてしまっているのだ。
だが「あっ、今回は一緒に行けるのですね……」となにやら嬉しそうなご様子の彼女。
「いや、戦争なんだよ。行かない方がいいんだ。遊びじゃないんだよ?」
「むぅ……リヒト様はただ待っているだけの怖さを知らないからそう言えるのですわ!」
あれ、何故か僕が怒られてしまった。
確かにとても怖いのだろうけど……
「まあ、どちらにしても始まってしまうなら出なければならない。
折角だから威を示す為にもリーエルの式典用の服も作ろうか」
「威を示す為にドレスを、ですか?」と言うリーエルに「違う違う。僕が着ていた様な男性用のやつ。戦争に出るトップがドレスじゃ締まらないでしょ?」と訂正を入れる。
「よろしいのでしょうか……公爵家のリヒト様が着るのは妥当かと思いますが」
「うん。家格は問題無いけど、年齢的に少し背伸びと取る者も居るだろうね。
だけど、そうして目を向けられるからこそ意味がある。ハインフィード騎士団が出れば明らかな戦果を上げるから、後に相応しい振る舞いだったのだと心に落とし込まれるだろう」
そうして様々な準備を行い、やる事だらけなことに少し疲れを感じながらも、僕らは一つ一つ確実に準備を整えて最悪の事態に備えることとなった。
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