第38話 卑しい嘘 (三人称、皇帝視点)
皇族の控室。
その一室にて戦勝パーティー出席をごねたアストランテ殿下と、それを許せぬアステラータ皇帝が睨み合っていた。
「アストランテよ。お前は帝位を継ぐ気が無いという事で良いのだな?」
皇太子殿下を見降ろし、鋭い視線を向ける皇帝陛下。
戦勝パーティーという国の大事を乗り越えたお祝いに出席し、権威を知らしめるのはお国としても重要な仕事。
それを個人の我儘で出ないという言葉を聞いての問いかけ。
「そ、その様な事は申しておりません! あの者らが私を愚弄するのが悪いのです!」
「だから出なくてよいという話ではない。そもそも愚弄していたのはお前だろう。
私はお前の身辺を調査をしたと言ったであろうが。
学院内でのお前の行いが非道であったことはもう周知の事実である。
何故、お前はそれほどまでにリヒト・グランデを嫌うのだ?」
皇帝とて人となりも知らなかったリヒトを最初から信じていたわけではない。
何故その様な経緯になったのかも調べる様にと指示を出していた。
そうして出てきた事実は、息子からの一方的な攻撃としか見えない言動の嵐であった。
それはあのような態度にもなる。
逆にこちらが気遣いを受けていた側だ。
と、息子を正そうと調査に乗り出したのだが知れば知るほど想像以上の酷い状態で、漸く本気で向き合う事となったのである。
「……同じ先代皇帝の血を引きながら、怠け続けているのが気に入らなかったのです」
「な、何を言っているのだ……どう見ても怠けているのはお前の方だろう!
リヒトは幼少から書庫に篭るほど勤勉でグランデ家の仕事を任されていたほどだぞ」
「はっ……」と、唖然とした顔を見せた後、突然表情に険を見せて声を荒げた。
「そ、そんな筈はありません! 父上は騙されているのです!!
あの落ちこぼれに何ができると言うのです!」
「ハインフィードを立て直し、ロドロアを落とすことに大きく貢献したのは確認しているな」
その上、サンダーツ家のみを弱らせるという最高の結果を齎した。
それは国としての懸念を一番良い形で取り除いたと言える。
国の危機を察知し自ら危険を買って出てまで成したのだ。
我が子であっても皇帝としてそれを認めないという言葉を許す訳にはいかない。
皇帝、アドリアンは不貞腐れた顔を見せるアストランテに『まだ話は終わらせんぞ』と強い視線を向けた。
「新薬も好評だ。過負荷膨張を治す魔法の開発にも成功した。
どれか一つでもお前がそれを超える事を成したか?」
「そ、それは……襲撃の時は、私も頑張りました……」
アストランテ殿下がそう言った瞬間、皇帝の拳が殿下の顔に突き刺さった。
「愚か者が!! 何もできずエメリアーナに頼り切りだっただけであろうが!!
この期に及んで嘘を続けるとは何事か!!」
「なっ、何故嘘だと決めつけるのですか! な、何故殴られねばならんのですか!」
皇帝は息子が嘘を吐いていると知っていた。
それ故に彼が騙せればそれでいい、という考えな事を深く理解してしまった。
あの襲撃事件の報告の時、アストランテとリヒトたちの間に決定的な温度差を感じた皇帝は、息子の取り巻きにも聴取を行っていた。
それにより様々な悪事が露見したのだ。
今まで自分に見せてきた顔は本当に取り繕っただけのものだったと理解させられたほどに。
基本的には小さなことばかりであったが、人を貶めて自分を上げようとする行いばかり。
何故、注意しなかったのかと陛下から色々と詰問されて立ち位置の危うさを感じた侯爵令息や伯爵令息は、そういった理由から人知れず殿下の元を去っていたのであった。
それ故に此度の発言の嘘のみならず、考え方の愚かさすらも既に知っていた。
「逆に問う。何故、正直に言わんのだ。何故私を騙そうとする。
お前にとって私は利用すべく駒なのか?
守られた事を責めている訳ではないぞ。それだけならば皇族として当然のことである。
私が怒っているのはそこではない。
虚偽の報告で臣下の功を掠め取ろうとした卑しさを責めているのだ」
もう調べは付いている。
と、突き付ける様に告げれば言い逃れが効かない事に気が付いたのか気まずそうに下を向く。
「そ、それは、その……父上に失望されたくなくて……」
「はぁ……漸く嘘を認めたな」と、変わらず冷めた視線のまま皇帝が告げる。
返す言葉が無くなり殿下は黙り込み静寂が訪れたが、再び皇帝が口を開いた。
「一応聞いておくが、ライラの嘘も本当は理解しているのだよな?」
「嘘、とは……」と目を彷徨わせながらも不安そうに問い返し、その声に皇帝は説明させるのかと再び息を吐く。
「ミリアリアを苛めたという事。お前に想いを寄せているという事。お前の力になりたいという事。全てが嘘だという事実に、だ」
「あっ、あり得ません! ライラは私に全てを委ねてくれました! そこだけは譲れません!」
その声に皇帝は溜息を吐きゆっくりと首を横に振る。
卑しい嘘を吐くだけでなく、その程度の理解もできていなかったのか、と。
「それが体の関係の事であればお前の側近とも持っていたと調べがついている。
ライラはお前に好意を持たれたと知ってからは、それをネタに脅して貢がせていたそうだ。
その様な痴れ者だからこそお前との関係を断たせたのだ」
「なっ!? あ、あいつら……!!」
そう言って憤るアストランテに皇帝は「お前に責める資格があるのか?」と睨みつけた。
「ひ、人の想い人を寝取ろうなど、あまりに卑劣ではありませんか!!」
脅して貢がせたことや、どちらが先かということに関して一切気にした様子を見せないアストランテに皇帝は言葉を詰まらせかけるが、気を取り直して言葉を続けた。
「お前な……ミリアリアの事を傷つけ続けてきたというのに、自分だけが大事か?
話し合う事もせず立場を無くす様な真似をして、罪まで着せようとしていたのだぞ」
「お前の方が余程卑劣であろう」と事実を突きつける。
だが、その事実に向き合う気は無い様で、歯を食いしばり「あいつらめ!」と元側近たちへの怒りだけを露わにし続けていた。
そのあからさまに反省の無い様に諦観が帯びる。
「嘘だと聞いても、何を失っても欲しい程にお前はライラの事が好きなのか?」
「はい! それだけは断言します! 誰であっても否定はさせません!」
再び反抗的な視線を向ける息子に皇帝は悲し気な視線を返した。
「そうか。では皇家から出し、サンダーツ家に入れる形でもよいな?」
「はっ!? な、何故そのような話になるのです!」
「流石にな、お前に継がせる時の為にと国の安定に努力してきたが、好きな女子の為なら国をいくら乱しても構わないという姿勢を示されてはどうにもならん。
親としてではなく皇帝として国の安寧を想うなら皇太子どころか皇族籍にも入れておけん」
それほどに酷い事を自覚しろ、と強い視線を向けながらも「どちらを選ぶのだ」と選択を突き付ける。
「わ、私が皇家を出たら、誰が帝位を継ぐのです!
他に居ないのですから無責任に皇家を出る訳には参りません!」
そうでしょう、と言いたげにムッとした顔を見せるがふっと鼻で笑う皇帝の様にアストランテは表情を歪める。
「その様なことはどうとでもなる。まだ子を成す時もあれば妹の子であるリヒトも居る。
それより、何を失っても欲しいのではなかったのか。断言すると言っておったが?」
リヒトの名前が出て再び怒りに顔を赤くさせたが「また嘘か?」という問いかけに意気消沈させた。
皇家の調査でも理由がわからなかったリヒトへの嫌悪。
足蹴にする様な態度をしてきたというのについ最近までは礼節も保っていたと言う。
確かに学院では落ちこぼれだと言われ続けていた。
怠け者だと勘違いしても仕方ないが、それだけの事でここまで嫌悪する理由になるだろうか。
皇帝はそれが気になってもう一度問いかけた。
「リヒトが怠け者ではない事は自らの行いによって証明された。ライラのことも私の命での事。
その上でももう一度聞くぞ。命を懸けでお前を救った相手を何故そこまで嫌う……」
「し、臣下が皇族を守るのは当然でしょう!?
そもそもあの醜い豚が同族だという時点で許せなかったのです!
同列視されたらどうするです! 皇家の権威が地に落ちるではありませんか!
私は国の権威を守ろうとしたのですよ!?」
皇帝は「なるほど……」と切なげに独り言ちる。
確かに、これほどに醜ければ表には出せぬわな、と。
先日までは少し考えが足りないがまだ子供だから先々成長するだろう、程度に見ていた。
それには報告書が皇帝陛下を慮って書かれた物だったということもあった。
容疑を掛けたり貶める様な発言はしても相手が身を引けば実害は負わせず終わらせていたので、場を治める為に強い言葉を使っていたのでしょう、と場を鑑みれば妥当とも思えるような形に報告していた。
だが、婚約相手を貶めて挿げ替えようとする行いや、功績の捏造。そして私怨で近衛を動かし公爵令息を討つという行動に出ては流石に周囲の者たちも庇い立てしてはまずいと色々と悪事が浮かび上がった次第である。
続々と出てくる話に、何故言わなかったと苛立ちを覚えたが、その筆頭に居るのが我儘を許し続けていた自分だという事をリヒトの声にて自覚させられていたが故に何も言えなかった。
皇太子殿下が相手では陛下が仰らねば臣下はそれ以上には言えませんので、という言葉にだ。
サボる事も疑って掛かることも報告はされていて父親である自身が何も言わなかったから招いた事態だと、遅ればせながら気が付いたのである。
「やはり、お前に帝位を任せる訳にはいかんな……」
「はい? 本気で言っているのですか?」と今更それは無理でしょうと言わんばかりに小馬鹿にしたように鼻で笑うアストランテ。
その声に皇帝の堪忍袋の緒が切れた。
今までも足りないと思う点は多々あったが、それでも優しく在れたのは自分の前では努力するという前向きな姿勢を見せていたからだ。
そうした姿勢でいるならば、相手の話をちゃんと聞いて考えているならば、ある程度の知性は後から身に付いてくると。
しかし、方々から本質を突き付けられ洒落にならぬ悪事を連発されては流石に看過できない。
追い出すほかに道を無くしたのはお前だろう、と皇帝は声を荒げた。
「ああ、そうだ! 甘え続けるだけで国に害しか成さぬお前にはほとほと呆れ果てた!
サンダーツ家に入れる話すら無理を通す覚悟だったのだがそれすらも理解できず、断言する、否定はさせない、という言葉すらも嘘だったとはな!
そんな者に何を任せられると言うのだ!
愚かしすぎて皇太子位を廃し一生幽閉する他に道が無いほどだ!
お前が何も改められんならもうそれでよい!」
そう言って立ち上がり、部屋を出ようとする皇帝に「お、お待ちください!」と声を張り上げるアストランテ殿下。
その声に皇帝は足を止め、冷たい視線を向けた。
「わ、私が何をしたと言うのです! 確かにミリアリアに対しては思い改めてもいいです!
ですがそれだけで廃嫡は余りに重い処罰ではありませんか!!」
「その年で自分が何をしたかもわからんからダメなのだ。
その上で教育もサボり学ぶ気すら無いのではもうどうしようもないだろう。
リヒトは、国が亡ぶかもしれんところを自ら知覚し己が危険を顧みずに戦場で覆して見せた。
お前が悪し様に扱ったというのに皇家の落ち切った権威の回復さえして見せてな。
言っておくぞ。グランデとハインフィードが手を組んで皇家に反旗を翻せば、国は落ちる。
その上で皇家を守ろうと仕えてくれているのだぞ。そこにお前は攻撃を仕掛けようとする!
私がお前をどう救えと言うのだ! もう幽閉か追い出すかしか道がないであろうがっ!!」
そう。もう趨勢は切り替わっている。
いや、既に切り替わっていたという事実を知った。
ロドロア兵へと偽装してのことだったので周知の事実ではないが、リヒトが率いたハインフィード軍はたった十数人で五百の兵を無傷で壊滅させたのだ。
同等の強さを持つと思われる兵がその十倍程度ハインフィードには居る。
グランデ公爵家とて強い事は周知の事実。
兄二人が国外へと追放された今、リヒトはその力の中枢にいると言っても過言では無い。
そこに近衛を使って攻撃を仕掛けるなど愚の骨頂。
完全に非があるのが息子だとわかっている以上、もう突き放す他に道が無い。
アストランテ自身がそれを理解していないのであれば尚更の事であった。
「な、何を仰っているのです!?
今回、皇家は万を超える兵を集めて見せたではありませんか!
いくらグランデ公爵家と言えど千程度が限界だったでしょう。
ハインフィードに至っては二百も居ないと聞きましたが?」
「ふっ……必要な事は学ばぬ癖にそんな事は調べているのだな。
しかしこれは事実である。ハインフィードの兵はたった十で五百を凌駕する。無傷でな。
わかるか。戦場でそうなってはもう誰も止められん。包囲など何の役にも立たん。気にせず突っ込み城を落として終わりであろうよ。
そしてグランデが居れば後の統治も成る。忠臣に対してこの様に考えること事態好かんのだが、その程度を理解出来ぬほどの愚かさでも皇帝は務まらんのだ」
流石にサンダーツ軍をという言葉は伏せたものの、間違いない事実だと強い視線を向けられたアストランテは瞠目し声を上げる。
「な、何故そんな状態を許しているのですか!?」と。
「己の欲しか考えないお前の様な者が帝位に就いてばかりで皇家の力が衰退し続けたからだ」
「なっ、ならば尚更力を削がねば危険です!!」
「そうだな。勝手をするお前に自由を与えていては危険だな」
「お気は確かですか!?」と叫ぶアストランテに皇帝は悲しそうな顔で笑った。
「ははは、こっちの台詞だ。
お前に改めるつもりがあれば他の道も考えられたんだが、もう無理だな……」
と、呟いて視線を逸らした瞬間、アストランテは何故か部屋から走って逃げだした。
「はぁ……情けない。この期に及んでもまだ逃げるのか。
近衛に命ずる。あやつの権限を全て取り上げる。後を追い取り押さえ赤の塔へと幽閉せよ」
「「「ハッ!」」」
そうして近衛を向かわせた後、皇帝は足早に戦勝パーティーへと足を向けるのであった。
皇帝の元から逃げ出したアストランテは母親である皇后の寝室へと駆けこんでいた。
「お待ちください、アストランテ殿下! 入室は許可できません!
皇后陛下は容態がとても悪くお休みになられておられます!」
「ええい、黙れ! 今はそれどころではないっ! どけぇ!」
使用人の老婆に引き留められたがお構いなしに突き飛ばし、ベッドで眠る母へと手を伸ばすアストランテ。
「起きてください母上! 母上からも父上に言ってください!
父上が気が触れて私を追いだすとか言い始めたのです!!」
「……アストランテ? い、いきなりどうしたのです……何を言って……ゴホッゴホッ」
床に臥せっている皇后を揺さぶり起こし「いいから早く来てください!」と無理やり引っ張りだそうとする殿下を使用人たちが「なりません!」と止めるが「ええい、邪魔をするなぁ! 打ち首にされたいかぁ!」と怒鳴り声を上げる。
「や、やめ、やめてちょうだい……ゴホッゴホッ」と、咳が止まらずまともに歩けない状態の皇后を無理に引っ張って行こうとするアストランテ殿下。
無理に引っ張り出し、寝巻のままの皇后を力づくで連れて行こうとした所に、皇帝が遣わした近衛たちが訪れた。
「アストランテ殿下! いい加減になされませ!」
「貴方様は御母上である皇后陛下すらも道具の様にしか扱えないのですか!?」
皇后を掴んでいる腕を捻り上げて拘束する近衛兵。
「無礼者! この私にこの様な事をしてただで済むと思っているのか!!
父上に言いつけ……ま、まさかお前らなのか、父上に私の悪評を流したのは!」
「殿下こそ、皇后陛下にこの様な真似をされて許されると思いますな!」
「好評であろうと悪評であろうと関係は御座いません。
我々はただ殿下が為さったことをそのままにご報告申し上げただけに御座います」
「観念なされませ。赤の塔にて幽閉せよ、との皇帝陛下からのご命令です」
そうして解放された皇后陛下を使用人たちが手を取り体を支えたが、呼吸困難な状態に陥ってひきつけを起こしていて意識を失いかけていた。
「だ、誰か、神官様を! 大至急で手配してくださいまし!」
そう使用人の一人が叫ぶと騒ぎに駆けつけたメイドの一人が頷いて全力で走り去る。
とうとう真っ青な顔で脱力した皇后を見たアストランテ殿下が「は、母上……?」と手を伸ばそうとするがその手も近衛に押さえつけられた。
数人の近衛兵にて拘束されたアストランテは、漸く己が仕出かした事の大きさに僅かばかりは気が付いたのか抵抗を止め、四聖宮と呼ばれる塔の一つである赤の塔へと幽閉されることとなった。
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