第5話 魔法の訓練


 あれから三か月、父と手紙で家令の事を相談したり、兵士の募集を始めたり、エメリアーナが領軍と共に討伐遠征に出たり、元家令ブラウンの爵位取り上げが認められ公開処刑が執行されたりと色々あった。


 今の所は順調だ。

 父も『最終的には戻さなければならないが、陛下に話を通し家令の育成ができる者と徴税官を数名送る』と言ってくれた。


 文面を見るに恐らくかなり焦ったのだろう。

 それは流石に看過できんという言葉があった。


 墓守は国の要だから潰れれば国の滅亡も普通に起こり得る。

 ハインフィードの魔物が国の全土に遠征し続けるという事は無いので、滅亡するとしても国力が下がり他国に狙われるという理由になるだろうが。


 そんな重要な地を放って置いている皇帝には本当に呆れるが、そのお陰で僕がここに居られると考えるとこれで良かったとも思う。


 騎士団が行った討伐遠征でも結構な大事件が起こった。

 遠征の途中でエメリアーナが大怪我をして駆け込むように帰ってきたのだ。


 回復魔法は教会の専売特許だが、幸い僕が回復魔法を使えたので事なきを得たが、下手をすれば手続きに時間の掛かる高位の神官を呼ぶ前にお亡くなりになっていた可能性すらある。

 それほどに危篤な状態だった。


 そんなこんなで、心底心配したリーエルがエメリアーナの遠征を禁止すると言いだしたが、本人は行くと言い続けたので堂々巡りが続いた。

 僕としてはやりたいならやらせればいいとも思う。彼女は勉強を不得手としているし結婚も嫌だと言っているなら職が必要だ。

 この若さで深層で戦えるなら才能も明らかにある。というか天性の才と言える。

 彼女がずっとここに居るつもりなら騎士団長に就くのが一番収まりが良い。

 ちゃんと務められれば誰からも文句は出ないはずだ。


 とはいえ、生き残ってこそでもある。

 もっとダンジョンで己を強化するという段階を踏むべきだ。


 行きたいなら危機に陥っても己の力で切り抜けられる実力を先に付けないと、とエメリアーナに言い聞かせると納得して次はダンジョンに籠ると彼女は今現在準備を進めている最中だ。


 横領事件も爵位の剥奪が済んだ事で公開処刑が終り、募集していた代わりの人材を早期に育成する為に動き出した。

 今は公爵家からの助っ人が新人の教育するというという形で進んでいる。

 家令の件も不祥事に関わりがなかった分家から成人したばかりの男性を選んで教育を始めて貰っている。

 僕が連れて来た面々の男性の大半は執務もこなせるので、調査を命じていない者たちには手伝いに入って貰い漸くリーエルの手が空けられ、最近は日々魔法の訓練に勤しんでいた。

 今もリーエルと二人、室内にて魔法の修練を行っている。


 そんな彼女の所に顔を出して声を掛ける。


「調子はどうかな」

「はい。お陰様で順調です」


 顔を見せると彼女は魔力操作の基本である球体維持を行っていた。

 もう既に魔力の凝りは全て取り去ってあり、基本操作程度なら軽く熟せる様になっている。


「じゃあ、後はこの術式を覚えるだけだね」と本を差し出す。

 本、と言っても僕が書いたもので教える為の本では無い。色々と調べた事が乱雑に書かれている勉強ノートと言う方が正しい。

 だが、魔導文字の配列さえわかれば事足りるのでこれで十分だろうと本を手渡した。


「一緒にやってはくださらないのですか?」と不安そうな顔を見せる。


「いや、基本的には一緒だよ。けど、あった方がいいでしょ?」


 正直僕以外の人がどこまでできるのかは未知数だった。しかもリーエルは先日まで魔力を使えなかった初心者である。

 操作に関しても人によって向き不向きがある。そうなるとリーエルには難易度が高すぎて出来ないなんて可能性もあった。


 この痩せる魔法は強化術式の改良版なので己でしかできない。

 使えないとなると自力で痩せる必要が出てくる。僕だけが先にスリムになったら、追い付くまでかなりの精神負担を負うだろう。


 だから彼女に魔法の才があるかは割と本気で心配だった。

 彼女の操作技術の上達速度を見るまでは。

 正直教えなくてもこの本があればすぐ覚えるんじゃないか、というくらい技術を吸収する速度が早い。


「これとこの術式を体の中で組むんだけど、文字の形は初めてだろうからそこからやろうか」 

「いえ、魔導文字は就寝時間前にみっちりやっていますから大丈夫です」


 えっ……そんな簡単な筈じゃ……


 そう思ってやってみて貰ったら、完璧とは言えないが出来ていた。人によっては年単位と言われるものだが……

 注意力が散漫な幼少期にやるからなのか?

 いや、貴族子女でも学院で初めて魔法を学び始める者の方が多いと聞く。

 習得期間の目安を見るに僕も異常に早い方だったし、操作を覚えてからは魔力量が多い方が有利なのかもしれないな。


 いや、それにしたって早すぎだ……

 僕よりも早い。


「やだぁ、天才だわこの子。うん、僕は凡人だった……」

「やめてくださいよぅ……術の開発までされているリヒト様にそんなこと言われても困ります」


 そうしたじゃれ合いをしながらも「これとこれを組んで。最後にこれを組めれば発動する」と本の術式を指さす。


 ……こうして説明すると大した術じゃないな。数秒で説明が終ってしまった。

 そう思っていたのだが、意外と難航しそうだった。


 意味を理解し魔導文字を自然と思い浮かべられる僕と、一つ一つ次の文字を見比べながらその通りに魔力の形を作るリーエルでは難易度が違うのだろう。

 六十を超える文字を一つ一つ立体的に作って安定させたままでいなければならない。意識が逸れると形が狂ってしまうのだ。

 既に優秀過ぎるほどだが、それがポンとできる程ではないらしい。

 八文字を越えた辺りで最初の文字に揺らぎが見える。


「その、試しにリヒト様が魔法文字を浮かべてみて貰えませんか?」


「いいよ」と、彼女の目の前に術式を並べる。

 円形に組む前の平の術式。それを彼女に見易い様に目の前へと三行並べた。

 平の術式でも効果が著しく下がるものの本来は発動するが、これは強化魔法なので体の外で出しても発動しない。


 リーエルの前に数十の魔法文字が浮かんでいる。


「うわぁ、一瞬です……」

「肉体強化でも使うからね。特にこれはみっちりやったからもう直ぐに出せるよ」


 偶にティーカップを持ち茶を飲みながらゆっくり一つ一つ組み上げるリーエル。

 そうして最初の一番簡単な術式が組み上がり、体内に移動させると一瞬だけ発動し持っていたカップの取っ手が割れ落ち、ルンが黙ってカップを片付けに入る。


「あっ……」

「おめでとう。それが肉体強化だ。けど、本当に習得が早いな。自信無くすわぁ……」


 僕は強化の初歩、一行の習得だけで一月掛かった、と告げると「本当は三か月掛かりました」と笑って返された。

 実は僕に言わずに最初からずっと陰で練習していたのだと言う。

 当主としての仕事に忙殺されていた筈なのだが……


「黙っていてすみません。褒めて欲しくて……」

「いや、僕の方こそごめん。素直に凄いと思ったんだから褒めるだけで良かったよね。

 けど、リーエルは凄いところ沢山あるから言っていいなら褒め放題だよ?」

「そ、その、あまり言われると恐縮しちゃいますから。偶にでいいです……」


 そう言いつつも、カップが落ちた時に驚いて乱れた術式が修復されて、再び体内に入れると強化が発動する。

 そうして発動させたものの何をしていいかわからず、どうしましょうといった顔でこちらを見るリーエル。


「試しに維持したまま立ち上がってみて。ゆっくりね?」


 と、指示すると彼女は立って座ってを繰り返す。


「凄い……ゆっくりと言った意味がわかります。飛んでしまいそう」

「ふふ、面白いよね。魔法って」

「ええ、そうですわね。うふふ」


 そうして話しながら修練を続けていると、ふとマーサとルンが慈愛の目でこちらを見ている事に気が付いた。

 一度気になってしまうと照れくさすぎて耐え難い。


 仕方ない、とルンに向けて口を開く。


「ル、ルン、なんだ、その目は……」

「いえ、何でもございません。ただ、リヒト様の御付きは本当に気が楽だなと思いまして」


 ちょっと……どういうこと?

 あれ、ルンてこんな事言う子だっけ……


「リヒト様……随分使用人と仲がよろしいのですね」

「えっ? ああ、うん。普段は無表情で殆ど喋らないんだ。珍しくてね」

「あら、そうですの。ルンさん、何かありましたの?」


 と、不思議そうにルンに尋ねるリーエル。


「いえ、リヒト様は本を読んでずっとお黙りになっているのが常でしたから。

 頑張って女性とお話している姿がお可愛らしくて」

「お、おいぃ? ル、ルン、お前どうしたんだよ!?」

「どうもしておりません。リヒト様が人に目を向ける様になっただけですよ」


 えっ……

 ああ、そうか。


 言われてみると、病を治さないと死んじゃうからと研究にのみ没頭してたかも。

 彼女が無口なのではなく、僕が口を開く機会を与えなかったのか。


 だが、ちょっと待て……

 それでも主人をからかうのは違くない?


「ああ、うん。でもその目はやめてくれ。ソワソワしちゃうんだよ」


 ジトっとした本当にやめてよという目で見詰めれば「畏まりました」と言いつつも若干ほのぼのとした顔を見せる。


「むぅぅ……なんかやっぱり親密です。

 リヒト様は愛人とか作られる側のお人なのですか?」


 と、突然変な事を言いだし責める様な視線を向けるリーエル。

 何故か完成していた魔法文字も形が崩れてしまっている。


「ちょっと、何急に……作る訳ないだろ。僕は入り婿だよ。状況的にも心情的にもないよ!」

「私が公爵家への嫁入りだったら作ったんですかぁ?」

「ちょっと!? リーエルまでどうしたの!? どっちにしても作らないってば」


 そもそもこの体型じゃ無理だろ。お金で囲う様な関係なんて欲しいとも思わないし。

 というか、仲の良い嫁さんが居る状態なら愛人なんて作れないよ。


「僭越ながらリヒト様、リーエルお嬢様は貴方様に甘えているのです。

 どうか、このような時は甘い言葉を囁いてくださいまし」


「マーサっ!?」と何言っているのと驚きの視線を向けるリーエル。


「ああ、そういうこと。そんなの歓迎だよ。リーエル、僕はキミだけでいいんだよ」


 ここに来るまでは、もし相手にして貰えず性欲が溜まる様なら娼館でなんて考えても居たが、彼女を裏切るようなことはもうしたくないと素直に思えている。

 そのくらいにはリーエルという女性は僕にとって大切な存在となってきている。


「リ、リヒト様まで!!」


 目を彷徨わせて、どうしていいかわからなくなったであろうリーエルは「こんな中で集中なんてできません!」と頬をパンパンに膨らませた面白可愛い顔で逃げる様に部屋を出て行った。


「あれ、怒っちゃった……?」

「あれは怒ったのではありませんよ。リヒト様は対人の機微をもう少し頑張りましょうね」

「ふふ、リーエルお嬢様があんなお可愛らしい振る舞いをされるのも久しぶりです」


 ……なんだろう。今は何を言い返しても勝てない気がする。

 視線の置き場すら無い気がしてくるな……

 ここは戦略的撤退だ。


「と、兎に角今日はもう仕舞いだ。僕も部屋に戻る」

「「畏まりました」」


 そうして部屋に戻り、これからの計画を練る。

 リーエルがあそこまで制御を出来るなら学院に戻るのはもうすぐだ。

 学業の方もここでやっていたそうだからな。


 故に主に心配なのは晒されるであろう悪意のこと。

 子供の相手をしている時間は無い、と僕が陰口を無視を続けてしまっていたお陰で舐められすぎている。

 不治の病に犯されたまま生きてきたのだから落ちこぼれていても仕方ない、というのが大人の貴族の評価であったが故に家の名にも傷が付くほどでもなく、入学前は周囲に大人しか居なかった僕にとって子供の嘲笑に付き合うなど時間の無駄だとしか思えなかったのだ。


 痩せてからの復学ができればいいのだが、完全にスマートになってからの復学では時間がかかり過ぎる。

 ちゃんと学校へ通ったという事実が無くなってしまうのでそれも難しい。


 僕らが学校に行けば間違い無く嘲笑を受けるだろう。だが、リーエルと僕はもうお互いを侮辱されて無視することも難しい。

 となると、力を見せて黙らせる必要が出てくる。


 そうなると個人の力も必要だ。

 僕は魔力馬鹿だから本気の戦いになれば有利だけど学院内で致死性の攻撃をする訳にはいかない。

 いくら公爵家の御曹司とはいえ他家の者に魔法を撃ちこむ様が露見すればお説教だけでは済まされない。

 だからある程度穏便に済ませるならカースト上位の誰かと決闘するくらいが丁度良い。

 恐らくはこちらから申し込めば何時でも受けるだろう。それほどに舐めている。


 本当に頭の悪い連中だ。

 学院内には権力を持ち込まないとされているが、卒業した瞬間その盾は無くなる。

 しかも在学中はという決まりではないので家同士のやり取りで文句を付けることはできるというのに……


 いや、それは今考えても仕方ないか。

 本題は舐め切った学生たちを黙らせること。


 決闘するとなると、僕自身が魔物を倒して素の膂力を上げる必要がある。

 今現状では僕は魔力馬鹿なだけだ。それでも標準よりは余程強い筈だが肉体の力は弱い。

 切り札はあるがリスクもあるのでできれば使いたくない。


 だから魔物を倒してレベル上げを行っておきたいところ。


 僕がある程度安全に戦える場所となるとダンジョンなのだが、行き帰りの時間を考えると少しやって帰るという方法は非効率が過ぎる。

 両親は過保護と言える人たちなのでダンジョンに行くなんて絶対に許してくれなかっただろうが、ハインフィード家ならエメリアーナの存在もあるし理解して貰えるだろう。


 その場合、長期の遠征で暫く離れる事になるが、リーエルは納得してくれるだろうか……


 まあ、そこは相談する他無いな。

 もうすぐ夕食だし丁度良い。


 そうして考えを纏めつつも、魔物図鑑の本を手に取り夕食までの時間を潰した。





 時間が潰し終わり、夕食の食卓の席をリーエルたちと共にする。


「えっ……リヒト様がエメリアと共にダンジョンに!?」


 と、予定通りダンジョンに行きたい旨を伝えたのだが、エメリアーナも行くと言っていたからか、一緒に行くと勘違いしてしまった模様。


「いや、エメリアーナと一緒にではないよ。戦闘経験の無い僕とでは実力が違い過ぎる」

「べ、別に一度手伝うくらい構わないわよ。仕方ないから守ってあげる」


 と、照れくさそうに言うエメリアーナ。

 そしてそれを少しご立腹そうに見ているリーエル。


 何この面倒な状況。

 普通に一人でいいんだが……


「えっと、僕は自分が強くなるために行くから護衛は連れて行かないつもりだよ」

「リヒト様、それは護衛を兼任するメイドとして了承出来かねます。他の案を出されませ」


 と、後ろから声が聴こえ「えっ……」と振り返ればルンが強い視線を向けていた。


「そ、そうか。じゃあルンと二人で行く事にしよう」

「お待ちください。行くなら私も連れて行って頂きたく。辺境伯として力を付けねばならないのは私も同じ。グランデ公爵家のお力添えがある今しかその機会は無いでしょう?」


 えっ……リーエルが魔物と戦う?


 出来るのだろうか。出来るならば悪くない選択だが……

 この先、辺境伯ともなれば何度も王都を往復するだろう。共に在れないこともある。

 力が無いと知られればちょっかいを掛けられてもおかしくはないのだから、これは有りだ。


「人型の魔物の命も迷わず奪える? 気にして居たら周りの命が危なくなるんだけど」

「ええ。そこに懸念はありません。ただ、もう少し魔法の習得を詰めたいとは思いますが」


 なるほど。

 であればやった方が良さそうだな。


「よし、じゃあ皆で行く? 二週間程度の長期の野営になるけど」と二人に向けて問いかけると彼女たちは笑みを浮かべた。


「そうこなくっちゃね。いいわよ。大変だから覚悟しなさいよね!」

「いや、キミは途中までだよ。強さを求めるならもっともっと奥に行かなきゃダメでしょ?

 リーエルが行く以上、護衛はちゃんと連れて行くから」


 そう告げるが、今回は護衛をすると引かないエメリアーナ。

 お姉ちゃんが心配で仕方ないのだろう。


「私が居なくとも、護衛は連れて行ってくださいまし!

 リヒト様こそ大事なお体なのですよ!?」


 こそって事は無いだろうが、公爵家からの客人だし婚約者でもあるのだからそうなるか……

 

「わかったよ。ただ、今回は本気でやるからね」


 彼女の声に了承しつつも、僕は鋭い視線を二人に向けた。


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