15
リングへあがる前は至って冷静になれる。
それは私が度胸があるからとか、本番前だとあまり悩まずサバサバとできる性格だからだと思っていたけど違うことがわかった。 誰か見守ってくれる。
いつも会いに来てくれたりとか言葉をかけてくれたりすることはなかったが、いつもどこかで必ず見ていてくれる。そんな存在がいたおかげだった。
だから今は、妙な胸騒ぎと緊張が襲っている。
コトさんがいない。一週間前くらいから連絡がつかず、クラブの関係者に聞いても所在を教えてくれる人はいなかった。
自身が吐いて失神して怪我をするかもしれない。もしかしたら死ぬことだってあるかもしれない。そんな試合に出る前なのだからそのような感情になるのは当然といえば当然で、今までがおかしかっただけかもしれない。
それに少しソワソワしているだけでそれがどうしたと言えばそれまでで、いつもとやることは変らない。やられたらやり返す。とことん打ちのめす。完膚なきまでにやるだけだ。
そうやって自分に言い聞かせてリラックスさせて落ち着かせようとする。
そしてそのいない理由がリングに上ったときにわかる。
リングに上がるとそこには黒ビキニ姿のコトさんが立っていた。
え、コトさん?
向かい合うときに動揺したのは初めてだ。それもそのはずだ。そこにいる相手があまりにも近い存在で衝撃的すぎた。
動揺を抑えられないままゴングが鳴る。
理性で気持ちを抑え込んで試合に集中する。コトさんは拳を顔の高さまで上げてリズムを取りながらこちらの様子を伺っている。その目はいつも接している優しい目ではなく全く別人の何かを仕留めるような、鋭いここにいつもあがってくる選手の目になっていた。
まるで別人だ。そう。別人だ。今そこにいるのは似たような別人だ。そうだ。
そうではないとわかっていたが、そう無理やり信じ込ませることでさらに試合に集中させる。
しっかりしないと。しっかりしないとやられる。
私は一気に相手との距離を詰めて殴りかかる。
ボディストレートを完全に捉えたと手応えがあったが、お腹に達する直前でするりと皮膚だけをかする感触が拳に伝わり空振りだとわかる。次に今度は私の胃袋に激しい鋭痛と鈍痛が襲う。
殴られたと実感できる間もなく、呼吸は乱れて立ち尽くすのがやっとの状態の私に続けざまに3発ボディアッパーがめり込む。その三発はどれも適確でお腹を抉った。
ゔぇ
変な声と共に吐き気が襲い、思わず口とお腹を手で覆ってその場に片膝をついてしゃがみ込む。
何だよこれ。
こんなのありかよ。と嘆きたくなるほどのダメージが私を襲う。
うええええ
たまらずその場に吐瀉物を吐き散らかす。
たった数発で嘔吐いてしまうなんて。絶望とこれからどうすればいいかという恐怖が襲う。
「立ちな。すず」
コトさんの声だ。
涙で目の前が霞んでいて何も見えなかったが声だけはしっかり聞こえる。
そうだ。ここで悶絶していても誰も助けは来ない。リングに上がった以上、戦い続ける。それしか道はないんだ。
立ち上がった私に、コトさんはゆっくり近づいて上から腹部に向かって拳を振り落とす。私自身ダメージがあったことと、コトさんはまだまだノーダメージで試合時間もまだそこまで経過していないからか、その攻撃をもろに食らってコトさんの腕の上に嘔吐する。
重い。痛すぎる。
それからはサウンドバック状態だった。フェンスに追い込まれてお腹のいたるところをグチャクチャに殴られ放題。抵抗する間もなくやられまくる。
殴られる度に意識が遠のく。
しかしコトさんは意識が遠のきそうになると、わかっているかのように鳩尾の辺りをわざと殴り刺激して無理やり意識を戻させられた。
そんなことがゴングが鳴るまで続いた。
インターバル。私はもう自分では立てず、スタッフに担がれてコーナーに座らされる。
どうすることもできない。
目の前に座っているコトさんがうっすら笑っている。
そういうことか。あなたも私と同じということか。
ゴングが鳴り、もはや試合ではなくなった試合が再開される。さっきと違かったのは、全て蹴りの攻撃に変わったことだった。膝蹴り、回し蹴り、横蹴り。全てフェンスを背にして腹部へとめり込み私の内蔵たちをかき乱しいじめた。
もう吐くものすらないや。
コトさん、ギブ。
苦笑いをしてそんなことを口走った。
そんなこと訴えても無駄なのに。現にコトさんの攻撃は止まらない。
私、何しているんだ? こんな状態になっているのに、いや、こんな状態だからこそか、幽体離脱したかのように俯瞰して別の場所から私を客観的に見つめる私がいる。
痛い。痛すぎるよ。このままだと死んじゃうよ。
絶対に勝てないと私にギブと言わせるほどの圧倒的な強さ。完全に潰れ壊れても失神すら許されず、さらに殴られ蹴られる残酷な状況。生きている。これが最高に生きていると言えないだろうか。それにいつか、いつか自分もこんなふうに相手を打ちのめしたい。
何を考えているんだろう。
怪我をしているだろう状態、下手したらもう死ぬかもしれないのにそんなことを頭の中でよぎっている。
私のフェティシストは一体どこまで求めるのだろう。底しれぬ貪欲。
また私はここから向かうのだろうか。何処へ?
ただ、遠のく意識の闇の先に確かな何かを掴み、そこにまた手を伸ばそうとしている私がいる。
フェティシスト AKIRA @11821182ki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます