14

人の手がここまで暖かく気持ちの良いものだとは思いもしなかった。


「気休めだけどね」


 どれどれと、シャツをめくってコトさんがお腹の中に手を入れると優しく擦ってくれた。


「いいえ。そんなことはないです」


 なかなかジュリとの再戦後から体の調子が回復しない私は、軽いトレーニングをしようとコトさんとともにトレーニングをしていた時に、そのことを相談するとすかさずしてくれた。


「大丈夫?」


 瑠華に聞かれたときよりも、投げかけられたその言葉は重みを感じられた。


「はい。何とか」


「無茶しているよね」


 はいと言いかけたが止めた。自分がしたくてしていることだから。


「だいたい、クラブの選手の八割くらいはどこかしら負傷して、引退した後も不調を訴える人がいるよ」


 八割。その数字に少し動揺を隠せない。


「お金に困っている子で少し運動神経に自信があったり、喧嘩早いとか負けん気が強い可愛くて綺麗な子を街でスカウトする。格闘技を習ってきたわけでも、鍛えているわけでもない子達ばかりだからね」


 それはそうか。すぐに思い直す。さらに私が戦っている場所は闇のクラブ。決して安全が保証されるわけではないデスマッチ。


「スカウトをしていて、このクラブの異常生。そこに誘い込んでしまっている罪悪感はちょっとあるんだよ」


 私だけじゃない。もしかしたら、私が対戦してきた子の中でも負傷して今でも苦しんでいる子もいるかもしれない。


「それでも、あなたが選んだことだし、それはあなたの責任だから」


 その通りだ。もし、自分のせいで誰かが傷ついても逆に傷つかれても責めることも責められることもあってはいけない。


「とは言っても、みんな若いし、まだ高校生とかもいてそんな子たちがちゃんと将来のこと考えてやっているのだろうか。ただ、お金を稼ぎたいとかじゃないかなとか心配しちゃうんだけどね」


 優しい。コトさんはやっぱり優しい。


「心配する反面、そういう子たちが嫌いでもないんだけどね」


「え?」


 コトさんの顔を改めて見つめ直す。コトさんは少しだけ薄く微笑んでいた。


「ヒカルって子いたでしょ? あの子も良かったんだよね。ちっちゃくて童顔で色白で、可愛い顔、華奢で柔らかいお腹していてそれでいて闘志があって真面目で、めちゃくちゃタイプだった」


 タイプ。その言葉に引っかかる。そこにいるコトさんの印象が一気に変わろうとしている。


「けど、ダメだったね。久しぶりのいい子だったんだけど、ちょっと焦ってやりすぎたかな?」


 事情は知らないが、仕事という一線を越えた感情があることは汲み取れた。


「スカウトをしているというのも、いい子に出会うためにしているというのもあるんだよね」


 コトさんの言ういい子という基準はどこなのだろうか。わかっているのはそれが世間一般で言うのいい子でないということだけだ。


「そのいい子がどうなっていくか、どうやって戦っていくか」


 どういうことだろう。


「勿論、すずも好きだよ。そして大切」


 手をゆっくりと抜いて乱れたシャツを整えてくれる。


「だからもう一度聞く。大丈夫?」


 人の言葉の意味を探るのは困難だ。でも、こういうときこそ、どういう意味か簡単に聞けないからこそ探りたくなる。


「はい」


 しばらく考えてしっかりと返事をする。


 だから、意味など考えても仕方がないことはわかりきっているじゃないか。ここしかない。もう後戻りはできない。迷いながらでもやっていくことしか私は私でいられない。


「そうか。じゃあ、そろそろいいかな?」


「そろそろ?」


「そろそろトレーニング再開しようか」


 コトさんが立ち上がり背伸びをする。そろそろという言葉はその意味で使われたことではないことはわかっていた。


 そろそろ。


 何がそろそろなのだろうか。


 それをコトさんは最後まで教えてくれなかった。私もそれを聞くことはできなかった。





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