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朝起きる度に内臓の痛みが襲ってきて私は見事にやられたのだと自覚する。
あの試合は勝った気はしなかった。
お腹の痣こそ消えてきたが、一週間ほど経った今でも食欲が戻らず、お腹が食事を受け付けてくれない。
お腹が痛む度にあのパンチやキックを思い出す。ヒカルは強かった。
その強さはただ単に技術や身体的な強さではない。小さくて華奢な身体。マシュマロのように柔らかいお腹。むしろ、その2つなら私の方が上だった自信がある。
勝ちたい。その気持ちで彼女は私に勝っていた。
その勝ちたいという気持ちは、お金でも快楽でもない。彼女にしかわからないとにかく暗い何か強い気持ちが突き動かしていたと伝わった。それがお腹に拳がめり込んだ時にひしひしと伝わって内臓を抉られた。
痛かった。気持ち悪かった。息ができなくて苦しかった。
もう一度彼女と戦ってみたい。今度はしっかり勝ちたい。勝ちたいというか、また彼女の拳にお腹を埋められて、彼女のお腹に拳を埋めたい。
これなんだ。
日に日に私の新たな興奮は確信に変わっていく。
おかしいのはわかっているし、これが何なのかさえもわからない。ただ、その感情がそこにあって湧いてきて止められない。
あの試合のどれもが快感で思い出す度に胸の高鳴りが止められない。あの恐怖も、あの高揚感も初めて五感が味わう感触全てが素晴らしくてそれがない今が物足りない。
早く試合がしたい。
ウッ
昨日買ってきたスーパーのとんカツ弁当を一気に食べてみたが、胃に食物が到達すると胃がまだダメだと言わんばかりに急激にチクチク痛みだして逆流を始める。
急いでトイレに向かい吐き出す。
そう、あの時も生ぬるい水と胃液の混じった吐瀉物をこうして吐き出した。こんな醜い声で涙目になって吐き出した。
そう、この感触。また味わいたい。生活の様々な行動があの試合のことにどうしても繋がってしまう。それだけの出来事だったということだ。
でも今は、試合ができる身体ではない。今すぐ試合をしたいがそうはさせてくれない。
ヒカルも同じだろうか。
ヒカルはどうなのだろうか。
ふと携帯を取り出してコトさんに電話をかける。
「どうした?」
「いえ、その、この前の試合」
「おお、あれね。かなりやられたよね。でもさ、あの試合ですずのファンになったって観客がいて、今度試合出る時はお金積んでくれるって」
そんなことはどうでも良かった。
「ヒカル。ヒカルって子はどうですか?」
「え? 相手の心配しているの? 」
「いえ、その、、、」
「おかしな子だね。そんな子初めてだよ。あの後、内臓がおかしいとか言って病院に行ったけど、打撲程度で済んだみたいよ」
「そうですか」
「お、もしかして、心配ではなくて相手がどれくらいダメージを受けたか知りたいとか? なるほどね。ただ、今も食事が取れなくて点滴で過ごしているみたいよ」
「それは私も、そんなに食欲はないんで」
電話の向こうでコトさんがフフフと笑う。彼女も同じか。でも、彼女は負けてしまったことで私とは天と地との差があるかもしれない。
「何か言ってませんでしたか?」
「え?」
「ヒカルって子。私と戦って」
「そうだねえ。強かったと言っていたよ」
「そうですか」
それはこちらのセリフだ。勝ったのは運が良かっただけだ。
「何? 嬉しい? それでどうだった? すずは戦ってみて」
「どうって、その、、、」
単純に強かったと言うのは簡単だが、それだけで済ませたくない気持ちもあり言葉に詰まる。
「接線とは言え、勝ったんだから弱かったかな? 期待外れか」
「いえ、そんなことはないです。また戦ってみたい」
「え? そうなの? いいね。マッチングできるか上と掛け合ってみるよ。確かに、面白い試合ではあったしね」
「ホ、ホントですか」
飛び上がってしまうほど嬉しかった。またあの子と戦える。
「あの、ところで、あの子、どういう子なんですか?」
「どういう子って?」
「うまく言えないんですが、今まで戦ってきた子とは違くて」
「そうか。私も詳しくは知らないけど、ちょっとクラブの選手としてはあまりない子だよね。そうだ。今度嫌ではなければ試合前に一緒に会ってみれば?」
「え?」
それは流石に違う。仮にもデスマッチで戦う相手に会うのは違う。
「いえ、それはいいかな」
知らなければそれでいい。また戦ってみれば、戦ってお腹を殴られれば彼女に近づける。もっとわかる。
「わかった。じゃあまたね」
体が完全に回復するまで、まる二週間ほどかかった。体が回復してから、数度クラブの試合に出た。その試合のどれもがありきたりの弱い相手ばかりで、ファイトマネーばかりが膨らむだけで自分の心は満たされない日々がまた続いた。
そして、心待ちにしていたコトさんからの電話が来た。しかしその電話は、ヒカルという子が私との試合後に出た他の試合で怪我をして選手を引退してしまったという絶望のどん底へ突き落とすような知らせであった。
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