第29話 開戦
「ん……ふ……んっ」
目をぱちくりさせると、わずかにあどけなさの残る顔がすぐそこにあって。
彼女は吐息を漏らしながら、俺の顔を逃がすまいと両手でつかみ、吸いつくように俺の口元にしゃぶりついている。
薄く開いたまぶたの隙間から、深紅の瞳がしっかりと俺を見据えて離さない。
……って、え? ナニコレどういう状況?
「……ぷはーっ!」
長い口づけの後、ラヴは口元をぬぐい、まるで酒を一気飲みしたかのような声をあげた。
「ほら、気持ち良くなったでしょ?」
「? 確かに、何だか力が湧き上がるようだ!」
ちなみに俺の息子も元気いっぱい!
もしかしてコレ、愛の力!?
「え……? なんで欲情しているの……?」
突然、蔑むような目で俺の股間をにらむラヴ姉さん。
「あなたの身体からアルコールを吸い出しただけなんだけど」
あ、確かに酔いが覚めている! まさかの特技にびっくりだわ。
すいません、てっきりそういうアレなのかと思ってウチの息子も勘違いしちゃったみたいです~。
だ・け・ど、初めてのチュウがアルコール吸引キッスって……
「許せん! 返せよ、初めてだったんだぞ!」
「私もこれを初めてにするつもりは無いわ」
「お前も初めてだったのかよ!」
唐突すぎるカミングアウトに呆然としていると。
「また今度、ちゃんとした初めてをしましょう?」
可愛くウィンクされた……??
「ニト様、ラヴ様! そ、そろそろよろしいですか!?」
ラヴの言葉の意味を考える間もなく、遠慮気味な声が横から飛んでくる。
「リン!? いつからそこに……」
「すみません、ニト様がお謝りになられているところから……です」
初めからじゃねーか!
いけないところを見られたようで、俺はなんだか恥ずかしくなった。
「あら、リン。待たせたわね」
……なんでこの子は平気なの?
「お二方、あちらを!」
そう言ってリンが視線で示す先。
薄く砂埃が舞う中、青銀の眼光が煌々と揺れる。
「そろそろウォーミングアップと行こうかしら?」
セリフと同時にヤツは背中の大剣を引き抜くと、大気が揺れ、周囲の窓をがたがたと震わせた。
砂埃が吹き飛び、大剣を構える白銀の勇者ルル・バーサークの全容があらわになる。
「さっきまでと違うこの威圧感……やっぱり手加減してたのね」
「は!? 今までのが手抜き!?」
ラヴとあいつが戦っているときには互角のように見えたが……あれが全力じゃないだと?
勇者っつーかバケモノじゃねーか。
「私、魔王様にしか興味ないもの♡
そろそろお相手してくださらないかしら? ……本気で」
いや、俺、そんなに強くないんだけど……泣
どうしたものかと悩んでいると、周囲からざわざわと声が。
「なんだなんだ? 騒がしいな」
「ありゃあ!? クサバ―ルのねえちゃんが本性見せちまってる……」
その声は何事かと様子を見に来た住人たちのものであった。
「あそこにいるのはトニーの兄ちゃんと……魔族が二人!?」
「あの魔族の女の子、巷で出回っている
もう片方の子は広場で歌ってる少女に似てるぞ?」
やべえ、ラヴもリンも正体がバレてしまっている。
「あれ? さっき出回ってた号外の人じゃない!?」
号外?
「二、ニト様、これを……」
「うわ、マジか」
リンが地面に落ちていた新聞を広げると、そこにはホンモノそっくりな俺の似顔絵が。
王国め、俺の情報を広めにかかってるな。
この世界の経済は『魔王特需』によって成り立っている。
新しい魔王を知らしめることで経済活性化を図っているのだろう。
「有名人になっちまった」
「……左様ですね」
さておき、まずはこの場を乗り切りたい。
注目度がいい方向に働いてくれるといいんだが。
「皆、黙っててすまない。俺は新しい魔王、ニト・ドラゴハート! 号外にはあることないこと書いてあるが、とりあえず敵対する意思なんて無い!」
俺の宣言にざわつく住人たち。
「本当か……?」
「魔王の言うことだぞ? 安易に信用できん」
くっ……やはり信じてもらえないか。
「そろそろよろしいかしら?」
住人たちへの意識が前方へ引き戻される。
見るや、ルルが殺気を高めた状態で身構えていた。
「私と魔王様の戦いを……邪魔しないでもらえるかしらッ!」
白銀の勇者が大剣を振るう。
周囲の窓ガラスを割りながら、斬撃が飛んでくる!
「……?」
しかしそれは俺たちの眼前で防がれた。
突如前方に飛び込んだ彼女によって。
防壁によりそれた衝撃が、放射状に地面をえぐり砂埃を立てる。
「……おい、あれ見てみろよ」
薄く舞う砂埃が風に流れて。
同時に野次馬たちががやついた。
「
彼らの目に映ったのは。
羊のような巻き角。
一対の両翼。
漆黒をまといし赤髪の魔女。
「みんな、黙っててごめんなさい。
私は――魔族よ」
真の姿となった豪然たる魔王令嬢――我らがラヴ・ドラゴハートだ。
「今は私たちのことを信じてくれなくても構わない。
でもせめて……あなたたちに危害を加えるつもりはないということを知って欲しい」
身を挺して守ってくれたラヴの言葉に、住人たちの何人かの目つきが変わる。
「皆様。私めからもお願いでございます」
続いてよく通る綺麗な声を響かせたのはリン。
「このような事態になったのは私めの責任です。
皆様の身は責任をもってお守りいたします」
ラヴが前方からのルルの攻撃を防ぐ中、住人に語りかけている。
俺は……何やってるんだ!
この子たちはこんなにも何とかしようとしてくれているのに、とっとと諦めて他の方法を、だなんて。
自分に発破をかけ、負けじと声を上げる。
「けが人は治癒する! それと、ここは間も無く戦場になるだろう。補助魔法で身体能力を強化するから、逃げるなりなんなりして、自分たちの身を守ってくれ!」
住人たちへ補助魔法をかけ、この場から動けるようにしてやる。
壊れた窓ガラスやがれきで負傷した者が数名いたが、リンが回復魔法をかけて治療した。
「アハハ! 魔王様、まだかしら~? 私、あなたのお相手をしたくってたまらないの♡」
その間にもルルは激しい攻撃を仕掛けてくる。
「ちょっとは自重しなさい、このクソビッチ勇者!」
それを防ぐラヴ。今のところは全ての攻撃を防ぎきっているようだ。
「おい、銀髪女! どうせやるなら、もっと広いところでやろうぜ?」
街中で戦闘し続けるのは被害が大きすぎる。
郊外に舞台を移したいところだが……。
「ここが狭いなら、広くすれば、いいじゃないッ!!♡」
俺の言葉で興奮させてしまったのか、ヤツは青銀の瞳を燃えるように光らせて、大剣を思いっきり振り回した。
おかげで周囲の建物がほぼ半壊状態。
……無茶苦茶だろ!
「ニトの兄ちゃん! 今のクサバ―ルちゃんに何言っても無駄だ」
まだ残っていた住人――通りで仲良くしている商人の一人が言った。
どうやらルルの正体を知っていたらしい。
「街が壊れるのはいたしかたねえ。ある程度気にせずやっちゃってくれよ、魔王様!」
「分かった」
言い残して逃げ去る彼を見送ると――
「ぐぅッ!?」
一撃を食らったらしいラヴの身体が飛んできた。
「大丈夫か?」
「ええ、これくらい」
言うものの、傷だらけだ。
あのラヴでもここまでやられるのか……。
「ニト、全力で頼むわ」
「ああ」
ラヴの言葉と背に乗せた住人たちの命の重みで覚悟が決まる。
「頼むぞ、俺」
今まで脅し以外でほぼ上手くいったことの無い攻撃魔法だが、今回こそちゃんと効いてくれることを祈り――
「煉獄の王よ。地の底より炎をもたらし、彼のものを撃滅せよ――」
詠唱、そして。
「
ルルの足元から黒い炎が湧き上がり、極太の火柱となって天へと伸びていく。
これなら、行ける!
「……舐めているの?」
え?
今、火柱の中から声がした気が。
「効かないわよ、こんな幻影魔法」
黒炎を打ち消すように薙ぎ払われた大剣。
その衝撃波を食らい俺の身体は吹っ飛んだ。
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