エンディング

怒り顔の未来: 怪物の偏愛



それは三つある未来のうちの一つ。


青い光に包まれて、空気を歪ませながら。イエトは、どのような顔を浮かべていただろうか?

ここに於ける答えは、ただ一つ。

ぞっとするような、怒りの形相だった。


それは、目の前に横たわる少年に向けた怒りではなく。こうなるにあたっての全てにおいての怒り。この場にいる私と彼と、を。妨げんとする全てへの怒りだった。

病魔への怒りでもあり、死した命と身体にわらわらと寄ってきた有象無象。おこぼれを少しでも貰おうと寄ってきた良くないものたちに、覗かれて魂ごと抜き取られるかのような怒りを向けていた。


(ふざけるなよ)


(この子は、私のものだ。

肉の一片も、魂の一欠片もやるものか。

私以外の何かに、この子をあげるものか)


青色に染まっていく。触手のように伸びた髪色から伝播するように、山肌も木々もそこに潜む命も逃げ出さんとした命も全てが、蛍光じみた、水色に近い青に汚染されていく。

魂が彼女の元に吸い込まれて無くなっていく。

虫も、木も草花も、亡霊も化物も、人も。

全てが平等に死に絶えて消えていく。

その平等から逃れるものはただ二つ。

半透明な光輝を放つ、イエト。

そしてその彼女がそっと抱く少年の身体のみ。


ただ、少年にのみ彼女は優しい微笑みを向けた。

今はもう、笑い返してはくれない彼の頬。

土気色になったその頬に指を触れる。

その皮膚に光が憑る。

移り動き、その身体がぽうと光る。

奪った命を、注ぎ込んでいく。


「こんな事をしたと聞いたら…

ジエーくんは怒るかもしれないね。

だけど私には、これしか思い付かなかった」


「……さあ、新しい目覚めだ。

君はお気に召してくれるかな?」






……





「…あれ?」


少年が次に意識を持った場所は、夜空のように点々と光があり、それ以外は真っ暗なそんな場所。自らが立っている場所も不確かな吸い込まれるような暗闇の中だった。

まず初めに慈英は、ここがあの世なのだろうかと首を傾げた。自分は確かに死んだ筈だ。生き絶える瞬間の、細胞全てが首を絞められるような絶望的な苦しみと痛みを覚えている。

ならば暗い空間であることを鑑みるに、やっぱりおれは地獄行きなのかな、なんて思っていた。


「あはは!どっちでもないよ」


心の中を読んだように明るく笑い飛ばす声。

謎の空間や、急に呼びかけられた声に恐ろしさや不穏など一つも感じない。なぜならその声音は少年には聞き慣れたものだったから。

聞き慣れた、だけではない。

その、聞きようによっては胡乱なほどに可憐な、鈴の転がるような声は慈英がいちばんに愛した者の声だったからだ。


「いえと、さん?…いえとさん、いえとさん!」


「うん、私だよジエーくん」


そうして暗闇の中を跳んで彼女の元へ。ああ、病魔に蝕まれていない身体とはこんなにも軽いものだろうか。びゅんびゅんと駆けて彼女の元へと飛び込まんとする。

身体の節々が青く、こうと光った。

人間がする筈のない発光。

驚いたが、そんなことはどうでもいい。

現況も、空間の是無も、何故彼女がここに居るのかもどうでも良かった。ただ、イエトがここにいるという事だけで、そのような瑣末事は頭から飛んでいってしまった。


しかし。

抱き付かんとするその、直前で。

イエトはすっと片手を前に出して少年を止める。

おずおずとそれに従う慈英。その様子につい緩まんとする顔を、イエトはこっそりと引き締めた。


「だーめ。

私もそうしたい気持ちでいっぱいだけど…

まず、しなきゃいけないこと、あるよね?」


「え?…えっと、その…」


「謝らなきゃいけないこと。あるでしょ」


「え…あ、あっ!

そのう…ごめんなさい。

約束、やぶろうとしちゃって…」


「まったく、お姉さんショックだったなあ。

君にとってはあの約束はそんな簡単に破っていいものだったなんて。それに、君から言い出したことだったのになあ!」


「……う、うう。ごめんなさい」


「ん。よろしい。

それじゃあ…改めて。おいで!ジエーくん!」


「…うん!」


抱擁。そこには、人間にある筈の体温も無ければ時間も無く、重力すら無いように感じた。ただ互いの少し痛むほどに締め付ける感触さえあれば、この空間の存在意義は十分だった。

どれほど、言葉も無くそうし続けただろうか。

それぞれがそれぞれの眼を見て。

流石に疑問を抱いた、少年が質問をした。


「おれは、どうなったの?」


「あは。お姉さん、ジエーくんが死んじゃうのに我慢できなくてさ。勝手に君のこと眷属にしちゃった」


流石にバツが悪そうに、イエトは言う。

そこには触れて欲しくなかったように。

当然そうなるはずなどないのだが。



「……許可を取らないで、勝手にそういうのにしたの、恨むよね?でも先に約束を破ったのがいけないんだよ?それに私をここまで誑かした責任も取ってもらわないとねぇ」


「だから、君は今から私と同じ怪物だ。

さあ。一緒に行こうよ、ジエーくん?」


それは悪辣な怪物の本性を表した、発言。いつか見た嘲笑のように、優しい女性という一面以外の面が色濃く出たイエトの貌。

それを聞き、見て。

少年は、ぱぁと笑って彼女の手を取った。


「うれしい、うれしいよ!おれも、ずっと家戸さんと居たい。おれずっと、一緒に行く!どこまでも!いつまでも!」


「……んん?

…人じゃなくなっちゃったんだよ?」


「うん!それでいい。

むしろ、びょうきを治してくれたんでしょ?」


「勝手にやったこと、怒らないの?」


「?怒るわけ、ない。

前も言ったことだけど、いえとさんと一緒にいれるなら、おれにとってはそれが一番いいんだ」


「……」


ぽかん、と唖然として口を開けるイエト。

そうしてから豪快に笑う。


「あっはっはっはは!剛毅だね、大物だねぇ!私、もっともっとジエーくんのこと好きになっちゃうよ!」


そう大笑う様子を困惑しながら、それでも心の底から嬉しそうな彼女を感じ取って横で微笑んで見る慈英。


笑うイエトの目元には、少しの涙があった。

彼女は、知っている。

眷属を作った者どもの前例。その眷属に拒絶されたという事例が多々あること。人間の姿であることを誇りに思っていた者。怪物になった自分を受け入れられない者。とうに正気を失っていた者。突発的に行った者たちのおぞましい偏愛の末路はそんな、救われないものが多かった。


そんな心配など、杞憂に過ぎなかった。

なんてことはない。慈英少年はとっくに、恋と愛に全てを灼かれ、他は見えなくなっていたのだ。

ひたむきな恋慕の、それ以外はただどうでもいい。

幼い故の、狂気よりも狂気らしい純真さだった。


発作的に、イエトはキスをした。それに眼を見開いて驚きながら、眼を瞑って恥ずかしげにそれを受け入れる少年。何よりも幸せならば、それで良いのだと言うように。

ただ口腔内に入ってくる舌の感触に、ちかり、ちかりと身体が青く光る自分の身体はちょっと間抜けで、それだけは嫌だと思った。






……




「おねえさんは…やっぱり人間じゃなかったんだね。あ、今はおれもそうだけど」


「あはは、うん。隠すつもりもなかったけどね。どう?なんであそこに囚われてたのだとか、私の正体だとか。そういうの、聞きたい?」


「ううん。いい。

おれにとっては、あなたはただのいえとさん。

それでいいんだ。それが、いいんだ」


「うん。だよね。

さっすが私の眷属クン、話がわかる!」



「……えっと、ごめんなさい。

やっぱり一つだけ聞いていい?

その…『けんぞく』ってどういう意味なの?」


「あら、そっからか〜。いやそりゃそうだよね、少年には難しい言葉だもの。そうだな、わかりやすく、わかるように言うなら…

…うーん、なんだろうな?召使い…とも違う、執事でもお手伝いさんでもない…」


「子ども…とも今回のジエーくんの処置に限っては違くてなあ。どっちかっていうと、旦那?」


「だ、だんなさん!?」


ぶつぶつと、ああでもないこうでもないと伝わりそうな言い換えを探して言っているうちの、一つの言葉に慈英はびくりと身体を震わせて叫ぶ。顔を真っ赤にして、あわあわと慌てながら。


「おれ、いえとさんと結婚しちゃったの!?」


今のは例えで、と言おうとしてから。

いや、それを否定する必要なんてないな?と思い。

悪戯な笑みをにっこりと浮かべて言った。


「そう!そのとーり。

ジエーくん、君は私をおよめさんにしたのだ!

どう?やっぱりこんな歳上は嫌?」


「そ、そんなわけない!

…おれ、ちゃんといえとさんを幸せにするよ。

約束する!今度こそ、絶対やぶらないから!」


耳たぶまで、全身を真っ赤にしながら、それでも眼を逸らす事なく男らしく言い切る、そのかわいらしい姿。必死に羞恥を隠そうとして、ちかちかと髪が青く光っているそのいじらしい姿に、イエトは身悶えした。


「うふ、ふふふふ。

さあ、そろそろ行こうか」


「ん…ど、どこに?」


「どこでもいい。

だけどこんな場所、ずっといる事はないよ。

もっともっと、遠くに行こう」


「!わかった。

おれ、いえとさんのことエスコートするよ!

ちゃんと守るから安心してね!

いえとさんの…だ、旦那さんとして!」


ぐっと、腕に抱き付いて、守る意思を見せる少年。

しかしそれはきっと、どう見ても甘えたい盛りの子どもが保母や母親に甘えてるだけの光景に見えてしまうだろう。

その倒錯的な、自らの『夫』に。

イエトはまた心の底から笑って悦んだ。


「ぷっ…ふふふ!あははは!そうだね、そうだ!さあさ、一緒に行こうかダーリン!エスコート、期待しちゃうよ?

それじゃあ、まず手始めに…」


「……ちょっと早めの、ハネムーンと行こうか!」


「えっ…うわわっ!」







……




今や、命の瞬きが一つたりとも存在しない山々。

その近くの、小さな村落。

空間に黒い裂け目が出来て、そこから光が二つ飛び出した。光の速度の、ほんの少しだけ劣る速度で急激に上へ、上へ。



一対の凶星が星空に飛んで行く。

凶々しいそれらは、一時も離れず。

そうしていつしか夫婦星と呼ばれるようになった。


遠い、遠い黒宙の中。

漆黒のカーテンコールの向こう側で、一夏のさらに向こうを彼らは過ごし続ける。人という、くびきを超えたまま。


くびきの無くなった、宇宙の彼方で。

怪物たちはその偏愛を向け合い続ける。









ED.1 蒼い宙へ君と往く

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