アパッシオナートとストリンジェンド
私は、物心つく頃から、発せられる声や音の全ての事象に対して、色がついていた。
人が話す声に、生活音、自然界の音、車や電車からでる音など、全てに色がつく。
人の話す声に対しては、嬉しいことは、オレンジ色や黄色系統、悲しい寂しいことは、水色や青色系統、怒ることは赤色系統、悪口などは灰色や黒色系統。
生活音や自然界の音、車や電車といった、感情がないものは、白色や無色透明に。
感情があれば、歌声やピアノやヴァイオリンなど楽器の音色にも、色はつく。
色がつくということは、相手が私をどう思っているかが、なんとなく、わかってしまう。
その為、他人と話すことが苦手であり、他人との接触にいつも怯えている。
両親は、私の色がつく話を信じ、そういったことに詳しい医者や心理士にもとに連れていってくれた。
できる限り、音を遮る為に、ノイズキャンセリングができるヘッドホンをつけることになり、私は、世界が少し、好きになれた。
だけど、そのヘッドホンをつけることによって、小学生時代は、いじめられた。
私を気にかけてくれる子もいたが、その子の発する声は、水色、青色と黒色が混じる歪な色をしていた。
その子は、決して悪いのではない。何に対しても怯えている私は、おかしな子、不思議な子、気味悪い子であり、周りも私に怯えていた。
中学は、保健室登校をし、高校と大学は通信制に通い、就職先は、私のような困難を抱える人を積極的に雇ってくれる自宅から近い、会社に入り、書類の整理や作成といった対人がない仕事をしている。
その日もいつみたいに、ノイズキャンセリングヘッドホンをして、会社から自宅へ歩いて帰っていると、
駅前のストリートピアノを弾く、男性が目についた。普段は、寄り道もせずに帰るが、なぜかこの日は、その彼が気になり、ヘッドホンを外した。
ピアノの音色は、白色のような、無色透明。ピアノを弾く人は、過去に見たことがあったが、全ての人が音色に何らかの色がついていた。
だが、彼には、何の感情の色も見えない。そして、ミスタッチをすれば、焦りや不安や怒りなど、何らかの色が現れるが、それが一切ない。
彼は、完全無欠な、完璧な演奏をしている。
私は、彼に釘付けになって、聴いていた。
演奏が終わり、彼が椅子から立ち上がり、私の方を見る。私は、ハッとして小さな拍手をする。
すると彼は、私に、
「つまらない演奏でしょ?」
と、言った。その声は、オレンジ色系統と水色が混じっている戸惑いのような色。
「ミスのない、すごい演奏だと思います…」
私は、彼にそう言った。彼は、少し驚いた顔をして、
「わかるの?お世辞って感じは、しないな。」
と、言い、去っていった。
それから、ほぼ毎日のように彼は、駅前のストリートピアノを弾いていた。
少しずつ、無色透明に色がついていく。私は、彼の演奏が楽しみになり、日々が色づいていく。
毎日、違う色の演奏。その日の天気や彼の気分が色濃くでる演奏に惹かれていく。
彼に出会い、生まれて初めて、音に色が見えることをよかったと思えた。この彼への気持ちがなんなのかは、わからない。
だけど、彼の演奏に私の心臓は、だんだん速くなっていく。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
俺は、物心つく前からピアノを弾いていた。
音大を卒業した母親、同じく音大を卒業した父親、両親ともに、ピアノだけで食べていける程の才能はなかったようで、その夢を俺に叶えさせようと、必死に教育をした。
そして、俺には、その才能が備わっていた。小さなうちから、数々のコンクールで優勝し、両親の期待は、日々、強くなった。
俺の演奏は、感情が色濃くだせるタイプであり、譜面を自分の解釈で弾くことやその日の気分で演奏を変える。小さな頃は、それがプロ顔負けと評価された。
だが、中学生になると譜面通りに弾け、作曲者の意図や時代背景を理解しろ、と大人は、手の平を返した。
両親も機械のように、譜面通り正確に弾くことを強要する。ピアノが嫌になるが、ピアノのしかしてこなかった俺には、ピアノしかなかった。
そこからは、機械のように無機質無感情に譜面通りに弾く。再び、コンクールをどんどん優勝し、プロのピアニストになった。
プロになっても、長年、両親や世間に押し付けられた無機質無感情な演奏を続けた。
ピアノへの熱情も激情も湧かない。
そんなピアニストにファンもつかず、生活する為に、ピアノが置いてある店に頼み込んで、誰も見向きもしない中でピアノ演奏する、退屈な、マンネリ化した日々を過ごす。
その日は、店でピアノの演奏をした帰り、たまたま駅前のストリートピアノが目につき、演奏しようと思った。
無機質無感情な演奏に、立ち止まる人もいない。
15分程弾き、帰ろうと立ち上がると、一人のヘッドホンを首にかけた女性と目が合う。彼女は、ハッとした顔をし、小さな拍手をしてくれた。
その拍手に、なぜか心に熱が灯る。コンクールで無機質無感情な完璧な演奏に拍手する審査員や観客は、つまらないが欠点もない、俺の演奏に皮肉的な悪意的な拍手しかなかった。
だが、彼女の拍手には、確かな称賛と肯定があった。
俺は、戸惑いを悟られないようにつまらない演奏だと言った。それに対して、彼女は、ミスのないすごい演奏だったと言った。
その後、なにかを彼女に言って、その場を立ち去る。なにを言ったか、忘れる程に心が混乱していた。
自宅帰り、ヘッドホンを首にかけた彼女の表情と小さな拍手を思い出し、心に熱情が、激情が灯る。
彼女の為にピアノを弾いてみよう、と思う。
そう想う気持ちに疑念も疑問も疑惑もない。
次の日から、俺はほぼ毎日、駅前のストリートピアノを初めて弾いた時間帯と同じ頃、弾くようになる。
彼女は、毎日のように立ち止まり、聴いて、小さな拍手を贈ってくれた。
彼女と出会ってから、無機質無感情の音色に、少しずつ、感情が灯る。それとともに、仕事で弾く際も聞いてくれる人がどんどん増えていく。
「今日も素敵な演奏でした。だけど、音に疲れてるような色があったので、ゆっくり寝てくださいね。」
「最近、音にいろんな感情の色が見えます。戸惑いの色とがもあるみたいですが、どんどん綺麗に色づいてきてます。」
彼女の演奏の感想は、俺の心や調子を見透かすようで毎回、驚く。
出会ってから1ヶ月が過ぎると世間話もするようになった。彼女の生い立ちを聞き、音に色が見えることを知り、今までのことに納得した。
そして、彼女にどんどん惹かれ、そして好きになる。
彼女に惹かれたのは、無機質無感情な演奏も肯定してくれることだった。
「色づく演奏も素敵ですけど、あの、完全無欠な、完璧な、無色透明の演奏も素敵だと思います。
無色透明ってことは、どんな色も付け加えることができるってことですよね?」
と、彼女は言ってくれた。両親のことは、好きではない。むしろ、嫌いだ。だけど、譜面通り正確に弾く技術を叩き込んでくれたことには、感謝している。
彼女と出会って、一年が経つと、大きなコンサート公演を観客で、いっぱいにできる程のピアニストになっていた。
評論家や観客が俺の演奏をこう評価する。
『一途に愛する相手だけに捧ぐ、アパッシオナート(熱情的、激情的)な演奏で、嫉妬してしまう。だが、その一途なアパッシオナートな演奏にどうしようもなく、心揺さぶられるんだ。』
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
私が出会った、完全無欠な、完璧な、ピアニストの彼は、たくさんの人々を感動させるピアニストになった。
忙しくなった彼とは、なかなか会えない。有名になったことは、素直に嬉しいがどこか寂しい。
それに彼は、ストリートピアノで弾くとき以外は、恥ずかしいから演奏を聴かないでくれと言う。
確かに、ここ数ヶ月で彼の演奏には、桃色のような薔薇色ような色が少しずつ、見えていた。
両親が二人きりで話すときは、そんな色をしていたような気がする…
そんなことを考えながら、私は、いつもの帰り道を歩く。駅前にくるとストリートピアノの前に彼が立っていた。
私は、ノイズキャンセリングヘッドホンを外しながら、彼のもとに歩み寄ると、彼は、私に
「今から、俺の気持ちをピアノで伝えるよ!アパッシオナートな演奏。熱情的に、激情的に愛してるって、弾くから、聴いてて!」
と…。すでに彼の声の色は、桃色に、薔薇色に燃え上がっていた。
私の心臓がストリンジェンド(だんだん速く)する。
そして、彼のアパッシオナートな演奏に幸せな気持ちなり、私は、彼に
「私も、あなたを愛してます。」
と、人生最大音量の声で伝える。
その声は、桃色に薔薇色に燃え上がっていた。
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