第33話 合宿

 僕が怒鳴ってから、クラス内で何かしらの噂を聞くことはなくなった。それでも僕とクラスの仲が良くなることは一向になく、時間だけが平等に、そして無慈悲に進み、六月も終わりに差し掛かっていた。


 最近は教師陣の一部と≪刹那の栄光オーバー・クロック≫の研究に熱心に取り込んでいて、その原理が少しづつ見え始めていた。また、その研究でのアドバイスを元に修練を重ねた結果、大きな怪我もなく十五パーセント程の出力を出せるようになってきた。


 ……ちょっとした骨折程度の怪我をしてしまうが、治癒術を使えば一日くらいで治るので、まぁ誤差の範疇だろう。たぶん。


 ともかく一日に一度の切り札という扱いではあるが、それでも安定的にCランクの黒瘴獣こくしょうじゅうを斬る力を手に入れた事実は僕の心に余裕を作ってくれた。


 そして今日、僕たちはアルクス聖域から数十キロ離れ、黒瘴獣こくしょうじゅうの出現数が年間を通して少ない場所として有名な、ファイアーヴェルク黒瘴こくしょう地帯にいた。


 聖霊騎士は、異能犯罪の対処も行うが、主な活動は黒瘴獣こくしょうじゅうの討伐だ


 つまり、黒瘴気こくしょうきが満ち黒瘴灰こくしょうはいが降り注ぐ黒瘴こくしょう地帯で活動することに慣れなくてはならない。


 アルクス聖霊騎士高校の一年生には、四月から六月にかけて、黒瘴こくしょう地帯で活動するための最低限の技術を習得する教育プログラムが組まれている。


 基本的な体力はもちろんのこと、霊装と〝浄灰〟の展開を可能とし、一定以上の身体強化術と治癒術、物質を強化したりする変性術を六月までに習得するのだ。


 そしてその成果を発揮する場面として、数時間黒瘴こくしょう地帯でランニングやトレーニングを行う二泊三日の訓練合宿、通称死灰の地獄合宿が用意されていた。


 その合宿はかなり過酷で、あまりの過酷さに学校をやめてしまう人も出てしまうとか。


 実際、今まで黒瘴こくしょう地帯で活動したことのない――それが殆ど――人たちにとってかなり過酷と言わざるを得ない。


「止まる! 止まったら、腕立てとスクワット百回追加だ!! 走れ!!」

「列が乱れているぞ!! 列を乱すな! 仲間を殺したいのか!」

「無駄口を叩くな!! ここは戦場だぞ!!」


 アルクス聖霊騎士高校の実技戦闘系教師にプラスして、今回の合宿に協力してくださっている第六聖霊騎士団に所属する聖霊騎士、十四人の怒声が響く。


 〝浄灰〟以外の霊術と異能の使用を禁止され、僕たちはかれこれ二時間近く簡易的に作られた楕円形のトラックを走らされている。


 黒瘴灰こくしょうはいが降り注ぐ環境がそもそも精神的なダメージが大きい場所だ。そこでずっとランニングをさせられるのだ。


 走る速度は早歩きよりも少し速い程度で、二十分おきに一分ほど給水時間が与えられても、体力はガリガリと削られる。

 

 しかも、少しでも列を乱したりラップタイムから遅れたりすると教官たちが張った〝浄灰結界〟の中で腕立てとスクワットなどをしなくてはならない。更に体力が尽きて倒れてもギリギリ走れるくらいまで体力回復をさせられてくれるサービスがついている。


 つまり無限に走らされる。


 周りを見やれば、一部を除いて殆どの生徒がグロッキーな顔をしていた。ヘロヘロな様子だった。


「〝浄灰〟の維持を少しでも怠るな! 死にたいのかっ!」

「新兵は伝令兵の役割を果たさなくてはならない! 部隊が全滅した時、貴様らがその情報を伝えなければならないのだ! 足を止めてはならない! 走れ走れ!」


 そして三時間以上走らされ、夕方になったため一日目が訓練が終了した。


「……流石に疲れた」


 霊航機の椅子に座り、霊力が尽きてしまて“焔月”が展開できなくなった時のために持ってきた黒刀を膝で挟んだ。


 この合宿は第六聖霊騎士団が協力しており、僕たちは彼らが所有する霊航機に乗って近くのファイアーヴェルク小聖域へと帰還した。


 霊航機から降りると未だに僕たちに取材しようとしつこく追いかけてくる記者たちに囲まれたが、教師陣や聖霊騎士がすぐに追い払った。


 宿に移動して、大浴場で汗を流す。


 風呂場はとても静かだ。〝浄灰〟を三時間も展開したため、多くの生徒は霊力が殆ど残っておらず治癒術による体力回復ができていない。そもそも体力回復の治癒術を一年生で使える人の方が少ないのもあるだろう。


 皆疲れすぎて話す気力すらないのだ。


 そして風呂から上がればすぐに夕食だ。


「おい、寝るな! 起きろ!」


 ガッシャーンという音が聞こえてそちらを見やれば、一人の生徒がお皿に顔を突っ込んでいた。寝てしまったらしい。


 風呂の中でもウトウトしている人がいたけど、風呂上りだからそれは余計なのだろう。


 周りを見渡せば、うつらうつらと舟をこいでいる人がかなりの人数見られる。


 そして結局、生徒の半数近くが食事中に寝落ちしてしまい、あっちこっちでガッシャーンガッシャーンと音が響いた。


 後でカオリ先輩に聞いたところ、毎年のことらしい。


 

 Φ


 

 黒瘴灰こくしょうはいが降り注ぐ中、教師が大声を張り上げた。


「今日は十組に分かれて、個別にトレーニングをしてもらう!」


 二日目は成績や昨日の様子から教師たちよって、一組十人で班分けが行われた。


 僕がいる班は、ローズやジョンくんなど、近接戦闘を得意としてそれで尚且つ一年生の中では実力が高い人が集まっていた。


「俺はアルベルトだ。よろしくな!」


 そして僕たちの班を担当するのは、第六聖霊騎士団のアルベルトさんだった。彼が犬人族であることを示す犬の尻尾がブンブンと振り回されている。


「お前らは皆、近接戦闘を得意とすると聞いている! 今日はそれに合わせた訓練を行うぞ!」

「はい!!」


 皆で大きく返事をした。


「いい返事だ。では、最初はストレッチを行う!」


 動的ストレッチを行い、体を十分に温めた。


「獣人族はテイルリングを尻尾に、それ以外は耳にイヤリングをつけてもらう!」


 アルベルトさんは自分の尻尾にテイルリングを通しながら、僕たちにテイルリングとイヤリングを渡してくる。


 僕は受け取ったテイルリングを自分の尻尾に通した。瞬間、纏っていた〝浄灰〟が乱された。


「ゲホッ」


 すぐに乱され方を読み取りそれに合わせた霊力制御を行って〝浄灰〟を安定させたけれど、少しだけ黒瘴気こくしょうきを吸い込んでしまい咳き込む。他の生徒たちは僕以上に咳き込んでいた。


「それは〝浄灰〟の発動を阻害する道具だ。近接戦闘職は黒瘴獣こくしょうじゅうが放つ強い黒瘴気こくしょうきの影響を受け、〝浄灰〟の展開を阻害される。つまり、お前らは阻害を受けても〝浄灰〟を問題なく展開できなきゃならないのだ! ……ふむ。皆、安定させたな」


 アルベルトさんはどうにかして〝浄灰〟の展開を安定させた僕たちを見渡した。


「では、これから走る! 午前中はずっと走る! 身体強化や異能を使用しても構わない。兎も角、俺に遅れるな! 遅れる事は許されない!」


 背筋がピンッと伸びてしまうほど覇気のある声音で、遅れたら恐ろしいペナルティが待っているのだと容易く想像できてしまった。


 そしてアルベルトさんはかなりの速さで走りだしてしまった。


 僕たちは慌ててそれを追いかける。〝浄灰〟の維持における霊力消費量を考えるに、身体強化はあまり使わない方がいい。


 幸い、ランニングペースは全力疾走よりも少し遅いくらいだ。なら、毎朝のランニングの要領、つまり“鬼鈴”と体力回復の治癒術だけで問題ないだろう。


「ゲホッ。カホッ。ガッ」


 そして三十分近く走り続けていると、四組のジェンマさんが突然大きく咳き込み、膝をついてしまった。


「おい、そこ! 何を遅れている!」

「い、いえ。黒瘴気こくしょうきが、霊力がもう無くて……ゲホッ!」

「なら、お前は向こうに行け!」


 アルベルトさんはジェンマさんから〝浄灰〟を阻害するイヤリングを受け取ったあと、〝浄灰結界〟によって作られた安全地帯を指さす。ジェンマさんはヘロヘロになりながら、そちらに向かった。


 そしてそこで待っていた耳長エルフ族の聖霊騎士、ザシャさんに怒鳴られて黒い腕輪を身につけさせられたあと、腕立てやスクワット、クランチなどさせられていた。


「俺から遅れたら、第六聖霊騎士団員でも音を上げるほどキツイ筋トレが待っている。あの腕輪は身体強化を妨害する腕輪だ。楽は一切できない」


 先ほどまで叫んでいたアルベルトさんが淡々と述べたのだ。その落差に僕たちは背筋を凍らせた。


 ランニングを再開し、そして三時間が経った。


「も、もう……」

「お前もか。なら、向こうに行って筋トレを受けろ」


 オスカーくんがヘロヘロになりながら、安全地帯に向かった。


「結局残ったのはお前ら三人か」


 アルベルトさんは走りながら、僕とローズ、ジョンくんを見やった。


「今年は粒ぞろいだな。三時間も経って三人も残るとは。通年は一人残れば上出来な方なのだが」

 

 アルベルトさんが僕を見やった。


「それにしても久しぶりだな、坊主」

「お久しぶりです」


 走りながら頭を下げた。


「それにローズ嬢ちゃんとそっちの影の薄い坊主も一ヵ月ぶりか?」

「先月の件は本当にお世話になりました」

「姉たちが迷惑を掛けたと聞きました。申し訳ありません」


 ジョンくんのお姉さんは、生徒会の一人でショッピングモールの件に関わっていたらしい。ジョンくんも関わっていたとか。


「頭を下げなくていい。むしろあの件はこっちが礼をいいたいくらいだ。俺たちの不手際を押し付けたようなものだしな」


 アルベルトさんは走りながら、目を伏せる。


「それにしても、悪いな」

「え、何がですか?」

「例年ならベテランの聖霊騎士たちと交流ができたんだ。しかもヴィクトリア団長ともだ。そのレクリエーションとかも用意してたんだがな……」

「お姉ちゃん。毎年合宿に来ているんですか?」

「ああ、そうだ。あの人の憧れもあるんだろうが、人に教えるのが好きな性質たちでな。積極的にこの合宿に参加してるんだ。だが、今年は日時が合わなくて、若手ばかりになってしまった」

「もしかして灰の明星ですか」


 灰の明星はセラムの身柄の返還を要求しており、それが叶わない場合テレポートの異能によって捕獲した黒瘴獣こくしょうじゅうを無差別に聖域に放つと言っているのだ。


 そのため第六聖霊騎士団を含めた多くの騎士団が総力をあげて灰の明星の逮捕に乗り出している。


 アルベルトさんの口ぶり的に今日がその一斉逮捕の日だと思ったのだ。


「……なんのことだ?」


 どうやら機密っぽい。アルベルトさんはわざとらしく肩をすくめた。


「もう昼だな」


 それからしばらく走り、ランニングは終了となった。


 僕たちは〝浄灰結界〟の安全地帯に向かう。既にそこでは簡易な机と椅子が並べられ、美味しそうな食事の匂いが充満していた。


「ふぅ、食った食った。……ん?」


 そして昼食を食べ終えた頃、小さな振動を感じた。


 同時に。


「あ、アルベルト中尉!! 灰之宴スタンピードです! 黒瘴獣こくしょうじゅうの群れがこっちに向かってきています!」


 緊迫した叫びが響き渡った。

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