第34話 厄災

 黒瘴獣こくしょうじゅうは基本、同じ種でしか群れない。


 だが、例外がある。


 それは他種を支配する異能をもつ黒瘴獣こくしょうじゅうがいた場合。


 そいつが率いる群れを、灰之宴スタンピード死之行進デスマーチと呼ぶ。両者の違いは規模だ。


灰之大渦ゲートでも現れたかっ? いや、しかし……」


 アルベルトさんは叫ぶ。


「詳細!」

「探知レーダーによれば、F七十九、E四十七、D六、計百三十二体! 人型はいません! また距離二、速度四百、北北西です!」

「小規模なのは幸いだな」


 アルベルトさんは教師陣を見やった。


「先生方! EE行動をお願いします!」

「了解です!」


 鬼気迫った教師たちによって霊航機へ移動させられそうになり、僕は慌ててアルベルトさんに申し出る。


「あの、僕も戦います!」


 僕以外もハッと息を飲み、申し出る。

 

「私も戦います!」

「俺も」

「僕たち――」

「いらん!」


 アルベルトは鋭い瞳を僕たちに向けた。


「いいか、お前は学生だ! 緊急でもない限り守られる対象なんだ! それに訓練されていないガキがいれば戦いの邪魔になる!」


 厳しい声が僕たちを貫いた。


「安心しろ。俺たちはナンバー所属の聖霊騎士だ。一人一人がCランクの黒瘴獣こくしょうじゅうと戦える程の実力者だ」


 いつの間にかアルベルトさんたちの周りには、十三人の聖霊騎士が集まっていた。また、カーラ先生など実技戦闘系の教師も集まっていた。


「若手だろうが灰之宴スタンピード程度に、俺らが苦戦するわけないだろ」


 僕たちはクラスごとに整列させられたあと霊航機の中に移動させられた。


 霊航機が発進する。


 そして霊航機の窓からアルベルトさんたちが声をあげて百を超える黒瘴獣こくしょうじゅうの群れに突撃する光景が見えた。


 

 Φ



 霊航機は猛スピードでファイアーヴェルク小聖域へと向かう。霊航機内は静かでありながら、緊張と恐怖が張り詰めていた。


 それに僕に対しての視線も感じていた。黒瘴こくしょう竜に襲われた時に似た視線を。けれど、無視する。


「来て、“焔月”」

「い、一期くん?」


 隣の席のリリーさんが、突然“焔月”を展開した僕に戸惑いの目を向けた。


「念のためだよ。気にしないで」


 灰之宴スタンピード死之行進デスマーチも突然起こるわけじゃない。黒瘴気こくしょうき黒瘴灰こくしょうはいの濃度があがったり、無数の黒瘴獣こくしょうじゅうが生息する死灰之森フォーンスに繋がる自然発生転移門、灰之大渦ゲートが現れたりすると起こる。


 数日前から兆候があるのだ。


 いくら黒瘴獣こくしょうじゅうの生息数が少ないファイアーヴェルク黒瘴こくしょう地帯だとしても、学校や聖霊騎士団たちが事前に安全性を調査しているはず。


 鼠人族としての、最弱の勘恐怖が囁くのだ。もっと悪い事が起こるのではないかと。


 “焔月”と黒刀を膝の間に挟み、神経を尖らせる。


「あ、あの、一期くん。こんな時だけど、少しだけ、いいかな?」

「……どうしたの?」


 リリーさんは視線を泳がせ、うさ耳を何度も折り曲げ、パクパクと口を開く。そしてすぅっと息を吸って。


「ごめんなさい!」

「え?」


 リリーさんの声が思いのほか大きく、周りから注目を集める。けど、頭を下げているリリーさんは気が付かない。


「一期くんから距離をとったこと、噂のこと、ヴィクトリアさんへのこと。怖くて周りに何も言えなくて、味方になることも立ち向かうこともできなくて!」

「え、や、あの――」

「あの時の一期くんの言葉が悔しくて。勇気がなくて弱い自分が情けなくて」


 リリーさんは悲痛交じりの声音で深々と頭を下げた。

 

「本当に、ごめんなさい」 


 ……たぶん、リリーさんはずっと悩んでたんだろう。苦しんで、自分を責めて。そして今日、灰之宴スタンピードに襲われるという恐怖を味わって、それが決壊した。


 だから、僕は優しい声音を心掛けた。


「僕はリリーさんが弱いとは思ってないよ」


 僕は知ってる。リリーさんが僕たちの事で噂も悪口も言わなかった事を。周りから距離を取って、一歩引いて黙っていた事を。クラスから孤立しつつあった事を。


 沈黙は弱さじゃない。周りに大声で歯向かうことだけが強さじゃない。


 勇気に大小はない。あるのは恐怖に逆らう心だけだ。


「謝罪、ありがとうね。こういう言葉が正しいかは分からないけど、嬉しかったよ」


 僕はチラリと周りを見た。皆、気まずそうに視線を逸らしていた。


『まもなくファイアーヴェルク小聖域に到着します! 聖域外にて着陸するため、〝浄灰〟の準備をしてください!』


 アナウンスが響いた。


 霊航機をが聖域内に入るには、機体ボディーについた黒瘴灰こくしょうはいなどを除去する作業をする必要がある。


 緊急の今、そんな暇はないから、聖域外で着陸することを選んだのだろう。


 窓を見やれば、薄く輝くドームと三メートルほどの防壁、つまりファイアーヴェルク小聖域が見え、霊航機はその壁際に着陸した。


 そして僕たちが〝浄灰〟を展開して霊航機を降り、防壁の門をくぐろうとしたその時。


「ッ!!」


 “焔月”が宿す≪危機感知≫が僕に大きな危機を知らせ。


「伏せなさいぃいいい!!!」


 ヘーレン先生の絶叫と共に、黒々とした極太の光が横なぎに振るわれた。



 Φ



 黒瘴こくしょう地帯と聖域の境目で起き上がった僕は、その惨状に息を飲んだ。


 防壁が崩れ、瓦礫が散らばっていた。


 生徒たちが血を流し、瓦礫に押しつぶされ、気絶し、倒れている。先生たちも皆、近くにいた生徒を庇ったせいか意識を失っていた。


 意識がある者は半数にも満たない。そのほとんどだって怪我をして動けないでいる。無事な者はごく僅か。


 阿鼻叫喚と言わざるを得ないほど絶望的な惨状。


 けれど、それ以上の絶望がいた。


「ガァアアアアアア!!」


 黒瘴こくしょう竜が大きな翼を羽ばたかせて悠々と地面に降り、己が戦果を誇るように大きく咆えた。


 その体躯は体育館の中にも収まらないほど大きく、一息吐くだけで黒瘴灰こくしょうはいと火炎が燃え上がる。 


 強い。入学前の黒瘴こくしょう竜と比較にならないほど格と覇気を纏っていた。Bランク、いやAランクにも迫るかもしれない。


 ≪刹那の栄光オーバー・クロック≫の出力が十五パーセントしか出せない僕では、どんなに足掻いても決して倒せない存在。


 英雄と呼ばれる存在しか倒せない厄災がいた。

 

「……なんで」


 怖い嫌だ死にたくない。どうして、黒瘴こくしょう竜がいるのか。どうしてこんな目ばかり合うのか。


 ガタガタ体が震え、視界が乱れ、喉が乾く。恐怖に目の前が真っ暗になりそうだ。


 けど、同時に、黒瘴こくしょう鬼に立ち向かった母さんの顔を思い出してしまう。優しく微笑みながら「逃げなさい」と言った母さんの顔が。


「ッ、ローズは!」


 僕はローズを探した。ローズも僕を探していたのか、すぐに視線があった。


「「……」」


 頷きあった。言葉はいらない。約束があれば十分だ。


 あの時とは、逆だ。今度は僕が時間を稼ぐ番だ!


「はああああ!!」


 呪いと約束に突き動かされ、僕は“焔月”を手に黒瘴こくしょう竜へと駆けだした。裂帛の叫びと共に、“焔月”を黒瘴こくしょう竜へ振り下ろす。


「グゥア?」


 僅かに黒瘴こくしょう竜の鱗に傷をいれた。鱗が少しだけ欠けた。


 黒瘴こくしょう竜はきょとんと首を傾げた。まさか、僕に僅かにでも傷を入れられるとは思わなかったのだろう。


「ガアアアア!!」


 咆えた。僕に怒りを向けた。


 あらゆる黒瘴獣こくしょうじゅうは人々が多く住む聖域に侵攻する。まるでそうあるべきと作られたかのように、食事のためでもなく生きるためでもなく聖域を襲う。


 つまり、このままだとこの黒瘴こくしょう竜はファイアーヴェルク小聖域に侵入するだろう。


 そして黒瘴こくしょう竜はまるで有象無象のちり芥を払うかの如く、けが人を、一般人を殺すのだ。


 それだけは駄目だ。


「こっちだ! こっちに来い!」

「グルアアア!!」


 僕は何度も黒瘴こくしょう竜の鱗に小さな傷を与えながら、ファイアーヴェルク小聖域から離れるように走る。


 黒瘴こくしょう竜は怒りと愉悦の嗤いを浮かべながら、僕を追いかけてくる。僕をいたぶって鱗を傷つけられた怒りを晴らそうとしているのが、容易に分かった。


 けど、それでもいい。


 いたぶられても傷ついても、黒瘴こくしょう竜と戦い続けるんだ。


 この黒瘴こくしょう竜を倒せる英雄が来るその時まで。


「はああああッッ!!」


 “焔月”を振るう。

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